6月後半 逗子通信




6月16日(月)
どうやら編集N氏は朝の7時すぎまで仕事をしていた様子。わたしはワインの残りを飲んでゆっくり眠らせてもらい、入れ替わりに9時半に起きてシャワーを浴び、ダイニングで朝の仕事中のカメラマン、K氏と雑談をしながらメールチェックなど。

N氏起床を待って帰国用の荷物造り。比較的楽に荷物は収まった。夕方4時過ぎ。セパンへ転戦するため居残るK氏、O氏、民宿の住人に見送られ、空港へ。道を間違えてパリ環状線を時計回りに入ってしまったが、こちらの方がすいていて早い、という説通り、渋滞にあわず、すんなり空港へ着いた。

チェックインしたのはよいが新しい第2ターミナルには時間を潰す飲食店がなく、バーでサンドイッチ(今回は最後までサンドイッチだなあ)食べつつビールとワインを飲んだ。パリ発23:30最終便でフランスを発つ。すぐに夕食が出たので、ワインを2本貰って酔っぱらい、リスミーまで飲んで、ハリーポッターなど観ていたら眠りこけた。

6月17日(火)
日本から来たとき乗った飛行機と違って椅子があわずお尻が痛かったが、ほぼ眠っているうちに日本海上空まで到達した。着陸したのは17時45分、荷物を受け取り一旦出発ロビーまで上がって海外用携帯電話を返却、JRのホームへ走ったら18時29分発横須賀行きに乗れた。これは若干遅いけれども成田空港駅から逗子まで直通という便利な電車だ。グリーン車料金も950円で済む。

メールをチェックしつつ、のんびり窓から暮れゆく日本の風景を眺めているうちに、また眠りこけて21時過ぎに逗子に着いた。家でお風呂に入り、リクエストしておいた豚しゃぶ&うどんのスペシャル帰国料理を楽しみ、ビールとお酒をしこたま飲んだ。帰ってみると、地震の被害が思ったより深刻であることを知り驚いた。宮崎勤の死刑執行にも驚いた。酔っぱらって倒れて寝た。

6月18日(水)
帰ってきたら帰ってきたで、原稿書きが待っている。のだが、朝は女房の「今日は心療内科の予約のある日じゃないの?」の声で目覚め、ああ、確かにそうだったと寝惚けマナコで起き上がって9時半の予約だったなと、女房の運転するクルマで病院に向かう途中、診察券を確認して予約は明日だったことがわかりUターン。

ところが家に帰ってきてよくよく考えてみると、肝臓検診で逗子病院に行かなくてはいけない日であることがわかり、今度は自分の運転で逗子病院へ。先月の血液検査の結果は、いつも通り問題なし。ランニングの効果があったか中性脂肪値も下がってもう少しで正常値だ。

帰宅後はひたすら原稿書き。原稿書き。原稿書き。フランスでも時差のあるような生活を続けていたのに、やっぱり時差ぼけは来て、効率は上がらない。

今回のル・マンではいろんなネタを仕入れて来たが、なかなか表に出す場がなくて困る。それよりはギリギリの仕事だけして、全額費用を持ってもらう方が嬉しいんだがなあ。たとえばアウディとプジョーのドライバーの着座位置がなぜあんなに違うのかとか、プジョーのトーションバースプリングシステムを童夢がなぜ採用できなかったかとか、ミシュランのタイヤは一体どこのメーカーに有利だったのかとか、夜もまともに寝ないで勉強してきた成果を発表する場がないんだなあ。

主として今年わたしにル・マンに行けと言ってくれて、経費の一部をもってくれた雑誌は結局表面をなめただけの原稿しか求めていないようだし。誰が何時に何のために何位になって結局誰が勝ったかとか、どこのホスピタリティーが立派だったとかなんだとかについては、わたしは全然興味がないわけで、こりゃもう書きたい原稿を改めて売り込んで良いっていうことかなあ。現場で出会った旧グループCカーたちを含めてね。

えー、ちなみに、
観客席の定点観測および、

08年ル・マンで出会ったグループCカー
についてアルバムを作ってありますのでよろしければどうぞ。写真ばかりですので重いです。

6月19日(木)
早朝覚醒したので原稿書き。今日こそ心療内科。投薬を減らして続行。帰宅後は原稿書き。時差ぼけにより昼寝。原稿書き。時差ぼけ解消のためランニングなど。

6月20日(金)
え?もう金曜日ですか?うそでしょ。わたしの大切な日々はどこへ行っちゃったの? 原稿書かなくちゃ。なんだかなあという生活ではある。ただし日曜日は、ツインリンクもてぎで、カートレースに出る予定だから、それを楽しみに頑張る。でも天気が悪化しそうで、心配だなあ。

6月21日(土)
何とか原稿を仕上げ、日曜日のカートレースの準備を始めた。雨だったらと思って2種類のヘルメットを用意して一方にはターボバイザーをつけてみた。でも、ウェットでもレースやるんだよね?と思っていたらツインリンクもてぎから電話がかかってきて「雨が予想されるので申し訳ないがキャンセルとなりました」という悲しいお知らせ。がっかり。久しぶりにマジにレースするつもりだったのに。

で、やり場のない闘争心をランニングにぶつけてみた。(それほどではないか)でも走り出したら雨が。闘争心はへなへなと萎れ、6km弱走って帰宅。結局、遅れ気味の原稿書き。なんだかなあ。

もうデスクトップもノートパソコンも、ディスクが満杯状況になりつつある。まあ、どちらも新機種導入の時期かなとも思う。念のためディスクツールで圧縮、整理。

6月22日(日)
早朝覚醒。原稿書き。昼過ぎ眠くなって、昼寝したらまだ時差ぼけが残っていてマジ寝。時計の「4時半」という表示を見て、「え?朝?夕方?どっち?」と大混乱。

原稿書きするが、効率が上がらない。ふだんなら1日で済む原稿に丸2日かかりそうだ。

6月23日(月)
原稿書きの1日。ひまになるかなと思ったら、やっぱりそうはいかなかった。まだ時差ぼけが残っているし。

6月24日(火)
早朝覚醒。本当に、年をとると、時差ぼけの抜けが悪い。ランニングして身体に喝を入れているのだが根強いなあ。

6月25日(水)
早朝覚醒。原稿書き。比較的効率よく仕事が進んだ。

夕方ランニングの後、テラスで夫婦2人、炭火バーベキュー。バーベキューには良い季節だ。気持ちの良い風の吹く中、至福の時を過ごす。

焼いたのは女房がなにやらインターネットで蓄積したポイントで獲得した但馬牛。飛騨牛の表示偽装で大騒動の中、この肉は本当においしいよなあ、と納得。でもどこの肉でもおいしければいいんだけどね。そもそも但馬ってどこ、と言われると考え込むしなあ。野菜や厚揚げも焼いて、ビールにワインに日本酒、部屋に帰ってからはウイスキーと、フルコースでほぼ気絶した。

6月26日(木)
朝一で起き、富士スピードウェイへ。雑誌企画のため先乗り。ラッシュの前に、と思ったら早すぎて、御殿場インターそばで朝ご飯を食べ、御殿場駅構内の散髪屋さんで頭を丸めてからサーキットへ。

編集部員と合流、FCJ参加26人全員にインタビューするという途方もない作業に着手。編集部員は都合により午後帰京するし、こっちは時差ぼけで午後は眠いしで結局今日の収穫は8人。

面倒な仕事、と言ってしまえば終わりだが、こちらが興味を持った人間だけに取材するのではなく総当たり的な取材は、意外な驚きももたらしてくれておもしろい。

夜はお一人様でホテルへ戻り、ホテルそばの吉野屋へ。BSE騒動以来、何年ぶりだろうか。「やっぱり騒動のせいか、味が変わったな」と思ったら生卵をかけるのを忘れていた。食べ方を忘れるほどに吉野屋には足を踏み入れていなかったんだなあ、としみじみする。

コンビニで買ってきたお酒を飲んで、久しぶりにゆっくり映画でもみようかと映画カードを買って部屋に入る。ビデオオンデマンドで百何十タイトルを選べるというので楽しみにしていたが、エロビデオをとりあえず見て、さんざん選んだあげく洋モノのSF映画を観ようとセットしてベッドに入ったら、そのままねむりこけてしまった。1000円、損した。

いよいよアメリカが北朝鮮のテロ支援国家指定解除へ。また頭越しだね。誰のせいだか、政治力は貧困、経済的にも破綻、国民に愛国心を強いる割には政治家たちの愛国心が希薄な我が国は、こんな有様なら早いところ中国に併合してもらった方が…。CODA。

6月27日(金)
ホテルで朝ご飯を食べた。イゴールが当たり前のように和風朝食を揃えてお味噌汁飲んでた。おもしろいヤツだな、お前。

サーキットで編集部員と合流、FCJ全員インタビューの続き。「これは無理か?次回イベントまで伸ばすか?」という案もあったが、せっかくだから今回終わらせるつもりで頑張る。

夕食は同宿のI氏と、御殿場駅前のジンギスカン、「EN−YA」へ。タクシーの運転手が「あそこは潰れたはずだ」と言い張るが、ほぼ満員状態で賑わっていた。入れてラッキー。期待通りおいしかった。御殿場に泊まることなどほとんどないので、ぜひここに来ようと思っていた。結局1年ぶりかい?。焼酎で酔っぱらって帰り、部屋でカップ日本酒でトドメを刺す。

6月28日(土)
朝ご飯を食べ、昨日に引き続きFCJ全員インタビューの続き。全く近年の若い子供達は顔がみんな同じに見えるので、見つけるのに一苦労する。おそろしく面倒な仕事である。

その合間に自分の仕事も。夕方は、I氏と御殿場駅前の居酒屋「晩々」へ。電話をしたら2人なら入れるということだった。タクシーで向かう途中、ホテルそばの意外な近場にも店があることを発見。「ここの方がおいしいよ」などと運転手が余計なことを言う。

晩々は満員だった。ちまちまツマミ系のものをつまんで、酔っぱらってホテルへ戻り、カップ日本酒でトドメ。

6月29日(日)
朝走りたかったが、疲れているし、どうせ雨だからとゆっくり起きて、朝ご飯を食べてサーキットへ。大雨なので長靴に履き替えて歩き始めたら、水が靴の中に染み込んで何の役にも立たなかった。思えば20年ほど前に、取材用に買った長靴だ。ここで成仏させようと1日グッチョングッチョンと履いていた。

決勝前に、今回最大の課題だったFCJ選手26人全員インタビュー完了。決勝後の自分の仕事も含め、今回は4日間かけて34本のショートインタビューを片付けた。仕事したな〜。

雨のレースは大混乱になるかと思っていたが、雨の量が減ったこともあったのか、なかなかハイレベルの格闘が各所で見られて、今季最もおもしろかったのではないか。

事後仕事を終えて、7時すぎ帰路へ。道はすいていた。疲れていて、倒れるように眠った。

6月30日(月)
弊社新規ミッションのため9時にクルマで家へ出る。道がすいていて早めに目的地へ着いたのでお昼を食べ、その後打ち合わせ。これまでとは少々毛色の異なる仕事が決まりそうだ。良いことだ。到底人手が足りなくなるのだが、そこはあれこれ工夫しなくてはならない。グルグル考え事をしながら帰路に着いたら眠くなって、途中で休んで帰宅。いろいろ準備をしなくてはならない。