お詫び・訂正
締めきりに追われて原稿を書いていると推敲がおろそかになって、誤字脱字をしでかしたまま原稿を納めてしまうことがある。大抵は編集者が気づいて直してくれるのだが、中にはそのまま印刷されてしまうものもある。また、単なるミスだけでなく、原稿執筆時の勘違いや、思い違いで誤った記述をし、関係者に迷惑をかけることも、正直なところ多々ある。さらに執筆後の情勢変動により結果的に生じる誤りもある。印刷媒体は、一旦店頭に並んでしまうとそこまでで、こうした誤りを訂正したり誤解を招いた部分について補足説明をしたりする機会はなかなかない。ここでは、こうした誤りに関するお詫びや訂正や補足をしたい。ただし誤りすべてに対応するのも不可能なので、気づいたり指摘されたりしたうえで必要を感じた件について、執筆者としての責任に基づき、場合によってはお詫びをし場合によっては訂正をし場合によっては補足説明するなどの対応をする、ということにさせていただく。
2010年度
SUPER GT総集編公式ガイドブック 2010−2011
045ページ、047ページに「東名自動車」の記述がありますが、「東名エンジン」の誤りです。東名エンジン今井修様、読者の皆様、編集部の皆様には大変ご迷惑をおかけいたしました。ここにお詫び申し上げます。

以前「東名自動車」として知られていた会社は、移転の際に東名パワードと社名変更をしており、東名自動車から独立した会社に、今井修氏率いる「東名エンジン株式会社」と中野啓吉社長率いる株式会社東名スポーツがあります。それぞれ設立から25年が経っています。

古い頭のまま原稿を書き、確認もしないまま本にしてしまいました。深く反省いたします。


2009年度
月刊モデルグラフィックス12月号

P21の由良拓也氏の経歴中「エバカーズ在籍時」は誤りで、由良氏がエバカーズに在籍したことはありません。この部分は編集部担当でしたので、目が届きませんでした。由良氏、読者の皆さん、そして編集部にお詫び申し上げます。

また、KE007のトレッドは当時のF1の中にあって特に狭くはなかったのではないかというご指摘を読者からいただきました。実際にデータを比較するとそう言えそうですが、関係者からトレッドの狭さを意識する証言も得ており、当時の状況や設計コンセプトなど、次回何かの機会にもう一度KE007を取材する際のテーマとさせていただきます。曖昧な記述になってしまったことをお詫び申し上げます。


2008年度
月刊レーシングオン12月号

P23の3段目、「森脇(基恭)さん」とあるのは「モリワキさん」の誤りです。若い担当編集者は「モリワキ」を知らなかったようで、勝手に勘違いをした編集者の手によってわざわざ書き換えられてしまい、印刷されたものです。編集者の無知ゆえの誤りとはいえ、校了ぎりぎりのスケジュールで原稿を書き、著者校正もしないまま原稿を手放してしまったわたしの責任も免れるわけにはいきません。関係諸氏をはじめ、読者の皆さんにお詫びいたします。


月刊レーシングオン1月号

P32の6行目、「当時ニッサンにモータースポーツ専門の担当部署はなかった」は誤りでした。第二車両実験部第九車両実験課、いわゆる追浜ワークスがまだ機能しており大森の宣伝部が行うレース活動以外全般を担当していました。取材不足によって生じた誤記です。

■2006年度
月刊レーシングオン11月号
本誌P.48のホンダRA301の解説文で、現在走行可能なのはサーティースが所有していた後期型のみ、としましたが先日のモータースポーツジャパン2006の現場で、J・バトンが前期型に乗ってわたしの目の前を走って見せてくれました(とほほ)。取材ではレストア担当者が「サーティースのところから来た車体しか走れず、もう1台はレストア未着手」と答えてくれたのですが、その後調べると2000年の動態確認テストで後期型も走っており、真相がわからなくなっています。少なくとも現時点で「前期型は」確実に走れる、としておきます。少々調査不足、確認不足でした。

特別編集「Cカーの時代(総集編)」

P.59「わたしとCカー」文中、「わたしの中ではCカーは90年いっぱいで終わっている」と書いていますが、正しくは「92年いっぱい」です。元々の原稿は92年としてあったのですが、少々行き違いがあって90年になって印刷されてしまいました。

月刊レーシングオン6月号
P.22〜23にかけて掲載されている写真は、「Tojiro3」のもので、マクランサはこの時点では影も形もない状況で、このボディを原形に後に作られた車体です。謹んでお詫び申し上げます。なお、写真についてのコメントはあくまでも「マクランサ」についてのものになっております。

週刊オートスポーツ3/16号(1055)

週刊オートスポーツ3/16号(1055)に掲載のフォーミュラ・ニッポン10年史の中で、P.52で「道上選手が雨の中突進した」との記述がありますが、99年第9戦では雨は降っておりませんでした。

またP.53で「2001年高木虎之介選手がF1へ参戦した」とする記述がありますが、高木選手が参戦したのはアメリカのCARTでした。

以上、関係者及び読者に対しおわびするとともに訂正いたします。


■2004年度

12月20日:逗子通信
12月前半と後半のリンクを間違えてしまいました。moon様にご指摘頂きました。ありがとうございました。

レーシングオン12月号 「勝者の復活」P.131
「R382が1971年のニューヨークモーターショーに出品されている」旨、お知らせいただいたのは「高祖洋氏」です。失礼をしてしまいました。


■2003年度

エフワンダー Vol.22マレーシアGP号 「F1マシン講座」

「ディフューザー」を「ディフレクター」に訂正します。
変換ミスに気付かないままにしてしまいました。
Vol.23ブラジルGP号の当該記事本文中で訂正するとともに、お詫び申し上げます。


■2002年度

レーシングオン 10月号 「今夜も自動車レース」
事態:
レーシングオン10月号に掲載しました「今夜も自動車レース」で、ヴィッツ関東シリーズで発生した事故について記述したところ、事実と異なるとの指摘をいただきました。
指摘箇所:
「追突を受けた選手が後方に向けてやめろ、と合図をした」とあるが実際には合図はしていない。
説明:
事故時にわたし自身は現場にいなかったので、記事は周辺情報でまとめたものであることは記事中に記述したとおりです。後方に向けての合図については、事故直後ご本人とパドックで立ち話をした際、何らかの勘違いをして記憶と取材メモに記録されてしまったようです。
記事のテーマが、今回の事故そのものではなく一般的な競技中の接触についてであったこともあり、事実関係の確認が不十分であったこと、結果としてこのような形で事実の異なる記述をしたことについて、お詫び申し上げます。また、レーシングオン11月号当該ページで訂正をいたします。


■2001年度


レーシングオン 339号 2月15日発売 P.61 「今夜も自動車レース」
「ダークサイト」を「ダークサイド」に。

レーシングオン 341号 3月15日発売 P.61 「今夜も自動車レース」

「一生懸命」を「一所懸命」に。
「経緯」を「敬意」に

オートスポーツ 8月2日号 「どうする、どうなるフォーミュラニッポン」
お詫び
本誌8月2日号で、「どうする、どうなるフォーミュラニッポン」と題する覆面座談会を構成し、その際、「JRPとレイナードの間に癒着がある」とするチーム側の声を紹介しました。しかし、特定の関係を作って不正を為した事実は断じてない、とレイナード日本代理店から抗議を受け、同時に事実関係について詳細に渡る説明をいただきました。市販レーシングカーの販売代理店というビジネスに関わる風評を、配慮ないまま記事にまとめ発表したことについて、ご迷惑をおかけしたレイナード日本代理店チーム・ルマンに対し、構成者としてこの場を借りて心よりお詫び申し上げます。