11月14日号 『タイガー計算機を買った』

以前からタイガー計算機が欲しかった。タイガー計算機と言っても、40歳より若い方には話が通じないに違いない。タイガー計算機というのは、電卓が登場する以前、およそ1960年代くらいまで用いられていた機械式手動計算機である。

わたしは高校時代に自分専用の電卓を買った。確かLED8ケタ、単3電池4本仕様というしろもので、当時1万円程度したのではなかったか。高校生の買い物としては高かったが、電子的に計算をする機械に純粋に興味があった。といって高校生にそれほど電卓の用途があるものではない。わたしは仕方がなく化学の教科書を開き、面倒そうな計算問題を探しては解いていった。一瞬のうちに答を出す電子頭脳にシビレたわたしは、徹夜で化学の問題に取り組んだ。その結果、いつも落第点だった化学の試験で、いきなりクラス首位の成績を記録することになった。化学の教師はあまりの番狂わせに首をひねっていたが、わたしはわたしで、その成績を喜ぶでもなく「高校の成績なんてこんなもんだ」と斜に構えて苦笑していたのだからイヤな小僧だった。それはともかく。

タイガー計算機は大学の技術計算やら銀行の利息計算やら、要するにその道のプロが用いる道具だったから、高校時代すでに電卓を持っていたわたしと時代的な接点はない。しかし、実はわたしはこのタイガー計算機を大学時代に愛用することになる。

わたしは大学で「自動車部」に入り、ラリーを始めた。当時の大学ラリーはオンタイム走行の正確度を競う、いわゆる「計算ラリー」が主流で、ラリーと計算は密接な関係を持っていた。そこで用いられたのがタイガー計算機だったのだ。

当時のラリーで、なぜ電卓ではなくタイガー計算機が用いられたのかには理由がある。タイガー計算機は非常に大きな機械であり、未舗装路を突進する競技車両の中、振動に耐えながら夜を徹して操作し続ける際、大ぶりゆえに操作がしやすかったのだ。さらに、電卓は小さなディスプレイしかないが、タイガー計算機は機械的な表示窓が三つあり、たとえば乗数、被乗数、そしてその解が同時に確認できるという、競技には適した性質があった。

おそらく我が部が所有していたタイガー計算機は、大学の研究室が放出したもので、すでに骨董品の部類に入る状態の機械だったが、我々はその操作方法を学び、夜な夜な競技車両に積みこんでは林道へ練習走行へでかけた。この頃のこと、そしてタイガー計算機の思い出については、近いうちどこかで原稿を書こうと思う。

大学を卒業し、紆余曲折を経て自動車競技を眺めて暮らす生活を送るようになって、タイガー計算機が懐かしく思い出されるようになった。思えば、あれが今のわたしの出発点ではないか、と。数年前、我が自動車部が廃部になることになった際、出かけて思い出のタイガー計算機を引き取ってこようかと思ったが、時間の都合がつかず実現できなかった。この機会を逃したら、タイガー計算機を手に入れることなどできないだろうなあ、と残念だった。

先日、学生ラリーをやっていたという、とある自動車メーカーの研究者と酒の席で隣り合わせ、タイガー計算機の話になった。そのとき彼はこう言うのだった。「先日、会社の倉庫でタイガー計算機を見つけましてね…」と。それを聞いて、わたしの心の中で「あの懐かしいタイガー計算機が欲しい!」という気持ちが再燃した。でもどうやって探したらいいんだろう。

そこで思いついたのが、インターネット上で展開する競売のシステム、ヤフーオークションであった。試しにタイガー計算機で検索をかけてみると、あっけなく出品されているのが見つかった。といってももちろんラリー用品としてではなく、「アンティーク」としてである。わたしはこれまでヤフーオークションに参加したことがなかったので、そこに登録しオークションの進め方を学んだ。と、そうこうするうちに実際に入札する間もなく最初に見つけたタイガー計算機は、売れていってしまった。

ああ、これでしばらくあんなものは出品されないだろうなと思っていたら、なんと1週間に1品程度の頻度で出品されることがわかった。そこで次に出品されたものに初めて入札してみた。前回の様子を見ると、およそ1万5千円が相場らしい。わたしとしては2万円程度までなら出してもいいと思っていたが、徐々に値段が上がり1万5千円に達したところで、購入するのはもう少し研究してからでもいいなという気分になり、競りから下りた。

今度はきちんと狙いを定めようと、インターネットでタイガー計算機の歴史を探したら、製造元(もちろん今は生産も販売もしていないが)の情報ページが見つかった。それによると、タイガー計算機は大正12年に1号機が生産されその後基本構造はそのままに徐々に進化しながら昭和45年まで生産されたことになっている。わたしが学生時代に主に使っていたのが、昭和20年代に生産されたモデルと昭和40年代に生産されたモデルであることも判明した。

そしてオークションへ戻ると、なんとまあ不思議なことに、まさに昭和20年代のモデルと昭和40年代のモデルが立て続けに出品されたではないか。わたしは早速入札した。そして1台目の昭和20年代のモデルはあっけなく1万5千円で落札できた。さらに2台目の昭和40年代のモデルは、8千円程度で競り落とせそうだったのだがオークション終了間際に競争相手が現れて値段がつり上がり、結局終了5分前1万6千円できわどく競り落とすことになった。


手前が昭和20年代、向こうが昭和40年代のモデル。

今、2台のタイガー計算機を手にして、久しぶりにワクワクと嬉しい。もちろん、懐かしさもこみ上げてくる。もっとも、当時、どうやって使っていたのかを思い出すのには少々苦労した。だがそれもまた楽しい。どちらもきちんと動作するがさすがに汚れや渋さがあるので、次は分解整備をしようと思っている。当然、ラリーとタイガー計算機をネタにした原稿も1本書くつもりだ。良いおもちゃを手に入れたものだが、果たしてこの気持ちを女房に理解してもらえるかどうかが、今後の課題ではある。