10年4月後半 逗子通信




4月16日(金)
夜中、発熱で苦しむ。風邪の症状は出ないで、ただ熱が上がって節々が痛むだけで前回と同じ。一体ナニだろう。ちょうど座薬もあったし、強引に熱を下げて明け方少しだけ眠る。そのかわり、ふしぎなことに木曜の夜から、あんなにしつこかった膝の疼痛は出なくなったんだよねえ。

で仕事の荷造りをぼんやりした頭で行い、逗子駅から送り出される。原稿も書かなくちゃ行けないのに最悪の状況だな。ようやく名古屋に着く前に原稿を書き上げ、送信。ほっとしたら近鉄に乗っている間に若干の直しの依頼が戻ってきて、近鉄で直しを入れる。

雨の中、タクシーで鈴鹿サーキットについたのは3時前だったか。F3がフリー走行していて、くるくる回っていた。自分の居場所を確保して……と言っても、例年の2&4に比べると、プレスルームはガラ空きの状態。世の中が世の中だとはいえ、悲しい光景だなあ。

最低限の仕事と挨拶と打ち合わせをして、G氏のクルマでA氏ともども白子駅前のホテルへ送ってもらう。夕食は、駅前マルイ。いつもはひとりだが今回はわたし、A氏、I氏、で、細川慎也の4人。

細川の話がおもしろかった、しかも考えさせられた。人間が生まれ、育ち、何事かを為して、そのうち衰えて行くという過程がどうあるべきなのか、そこにまがりなりにも関わっている我々はどうあるべきなのかを、あの細川に(笑)考えさせられた。有意義な夕食だった!

ただ夕食が終わる頃から例の寒気が。慌ててホテルへ戻り、ロキソニンを飲んで部屋を最高に熱して、寝た。

4月17日(土)
熱にうなされ、1時間刻みの睡眠になった。ただ、いま考えると部屋を暖めすぎたせいだったかもしれない(笑)

結構一所懸命仕事。仕事の内容はRACING VIEWSへ。この、わたしとI氏が思いついて急に始めた(構想は半年に及ぶのだが)企てに対し、周囲から随分暖かい激励の言葉や協力の申し出をいただいて、驚いた。業界にとっても良い結果を生み出せるよう頑張る。

というわけで仕事をして今日は津で仕事があるというA氏と別れひとりG氏にホテルまで。すでにやはり体調に異変の兆候があったので「マルイ」で、もやしニラ炒め、しめさば、月見うどんとビール2杯、佐藤の先割り一杯でさっさとホテルへ帰り早寝。部屋の温度に気をつけた。

4月18日(日)
朝方、寝汗をどっとかいて、それで結構さわやかに目が醒めた。得体の知れない熱病が抜けたような気がした。相変わらず、膝の疼痛は出ず。左膝の状態も、次の段階へ入ったってことかいな?

粛々と仕事。RACINGVIEWSの仕事やら、その他請負仕事など、今年は少々条件が変わったのでレースが終わった後もプレスルームでしばらく仕事。もう新幹線の終電が危ないなと言うところでようやく終わりタクシーを呼んだら「30分かかる」という。なんとまあ、愛用していたホンダタクシーは営業を辞めてしまい、今や近鉄タクシーだけが頼りなのだった。

これはもうだめかもしれんね、名古屋に泊まって、明日の東京仕事は家に帰らず直行かね、とうなだれていたらG氏がスーパーマンのようにわたしを白子へ送ってくれた。本当にありがとう。おかげで21時10分のN700のぞみに飛び乗れた。のぞみはその20分後が最終だったかな?

たださすがに疲れていたので、品川経由の切符を買っていたけれど、新横浜まで女房にクルマで迎えに来てもらって、ショートカット。この経路だと1時間近く早く帰れるんだよね。で、コンビニのスパゲッティをおかずにビールを飲んで倒れて寝ましたよ。

4月19日(月)
朝からクルマで世田谷のインパルショールームへ。金子豊氏と話し込む。金子氏はとても書けないような状況についてあれこれズバズバ説明してくれて「書いちゃえ、書いちゃえ」と言ってはくれるのだが、そうもいかない。ただ、表に出す記事の基盤として、とても役立たせてもらっている。

その後、イデアへ。イデアにて夕方まで次号レーシングオンの打ち合わせ。

4月20日(火)
朝から東海大へ。今日は担当医師の診察&リハビリ。週末の発熱が心配だったが「そんな副作用は聞いたことがない」と片付けられた。

帰宅後、今度は東逗子の執刀医の病院へ行き、状況の説明と、リハビリのやり方についてのレクチャー。発熱は、原因はわからないが念のために再血液検査。

4月21日(水)
横須賀線で上京、新幹線及びレンタカーで遠方取材。テーマは比較的楽なもので、さほどストレスではなし。夕方、ホテルにチェックイン、地元のレース関係者、W氏と待ち合わせて、飲みに出た。生ハム大盛りピザ、おいしゅうございました。ライブもよかったですね。わたしはハイボールを山ほど飲んで、外野からレースをいかに盛り上げるかについて語るだけ語って、くるくるになって帰室。何をしゃべったんだったっけ??

4月22日(木)
女房がわざわざ12時チェックアウトのホテルをとっていてくれたので、ゆっくり10時過ぎに起きてメールなどをチェック、お風呂に入ってお昼前に雨の中、出発。ガストに寄ってお昼ご飯を食べつつ時間調整。

午後から取材2本。ところが1本目は取材対象が「アレ?それ、オレ、関係ない」と言い出して、ずっこける。まあ別方面での取材もあったので完全に無駄にはならなかったが、こういうこともある。2本目は、それなりにためになる取材だった。

仕事が早めに終わり、追いかけられている仕事もなかったので、レンタカーを返した後、新幹線ではなく在来線のグリーン車でトコトコ帰ってきた。

4月23日(金)
タイヤを買いに、横須賀のオートバックスへ。標準がブリヂストンのRE050 225/45R17 なのだが、BSのフラッグシップ的モデルで、ウワ−、こんなお値段なのと、うろたえるようなお値段である。ただ、まあタイヤは命を乗せて走っているわけで、安ければいいというモノでもないし、ここは一つ、大人として頑張ることにする。ただ、念のためRE050はモデルチェンジしてS001になっているので、旧モデルの在庫なら安くなるのかなあと店員に打診すると、RE050の在庫もあったが、お値段は一緒だと。

パソコンいじりながら作業を待つ。すると作業が終わった際にピットへ呼ばれて、実は右リヤタイヤハウス内をカバーする樹脂製の内張(外張?)がタイヤと干渉している形跡があるので、早めにディーラーに相談せよとのアドバイス。どうもありがとう。で、帰宅。RE050は決してロードノイズが低いタイヤではなかったが、S001は若干静かになったように感じるなあ?

帰宅後早速ディーラーに電話し、急遽入庫させることにした。

4月24日(土)
朝、開店と同時にディーラーへ入庫させようと海岸通りを走る。春の海は良い景色だね。少々早すぎたので、デニーズで朝ご飯を食べた。

ディーラーでもピットに呼ばれて、自分の目でチェック。すれすれではあるが.クリアランスはあって、これが標準だという。柔らかい素材で変形もしやすいので、何かの拍子に瞬間的にタイヤと接触する可能性はあるかもしれないが、心配することはないと説明を受ける。そんなものなのかいな?というか、このすれすれ設計が今の自動車ってことなのかいな?

ついでにオイルエレメントとオイル交換。やはりDSG装備のせいか、オイル消費が速い。というわけで帰宅。

午後から、春の宴と称し、友人が集まって酒盛りをする予定だった。まず赤井邦彦氏が逗子駅に到着、迎えに行く。ついで、火山噴火の影響でイギリスへ帰れずにいた津川哲夫氏がタクシーで到着。その後某編集部K氏の車で、そもそも宴会のきっかけを作った某出版社K氏、追って新橋方面の酒場のお姉さんU氏到着。町内会A氏、某出版営業N氏もいらっしゃって、この間入れ替わりもあったが、盛会となる。

この宴会は、独女K氏がツイッターでボソッと「大変素晴らしい日本酒をインターネットで手に入れた」とつぶやいたことがきっかけになって催された。「そんな素晴らしいお酒をひとりでのむつもりじゃないだろうな」と返したら、「じゃあ、独女友とみんなで大串家へ行くから宴会をやろう」と話は進んだ。で、ゲストも加えてこのようになった次第。

この人数になると(お酒を飲まない方もいたが)そもそものきっかけになった「農口尚彦作 常きげん山廃大吟醸」はお一人様おちょこに1杯から2杯ずつ程度の配分になったが、おいしゅうございましたよ。N氏の評価は「お米の味がして後味さっぱり」……まあ、「ちょうどいい」ってこったな。というわけで、おもしろかったね。日にちが変わる頃、解散。


これがそもそものきっかけですね。

4月25日(日)
飲み疲れ。目覚めてからはだらだら原稿書き。有り難いお誘いもあったが、やり残したことがいっぱいあって、無理。膝のリハビリに自転車をこぐ。

4月26日(月)
月末の事務作業に思ったより時間を取られる。遅れた原稿をひたすら書く。取材についてのアポイントのやりとりをしているそばから、明日の夕方に予定していた取材がキャンセルになっていたことに気づく。少々コミュニケーション不足に陥っているなあ。

4月27日(火)
遅れていた仕事を書き上げ、納品。午後、女房と逗子のドコモショップへ。失効するポイントを有効に使うため。わたしは今、自分が使っているドコモの携帯電話を機種変更する気はさらさらなく、(というよりもウイルコムのけったいな端末を2年契約で買ってしまったので、契約内容上、あと1年は我慢しないともったいないから)女房が持っていて調子が悪いという携帯電話を機種変更した。

先日、我が家に集った人々は多くがiphoneユーザーであったが、結局ほとんどが別途携帯端末を併せ持っているということが判明、そりゃそういうことになるかもなあと思ったばかりだったし、ましてやXperiaではないしな。品切れだし。

その後、東逗子の執刀医の病院へ。膝の曲がり具合をチェックして、「いいじゃないですか!」と言われるとなんだか嬉しくなるよね。

4月28日(水)
朝一番で東海大病院のリハビリ。随分足腰がしっかりしてきたと言われて嬉しい。周囲は、(言ってはナニだが)半分壊れかかったじいさまばあさまが多い。骨組みばかり治して幸福になれるのかどうか、などということを毎回考えさせられる1時間である。

帰宅後はお昼を食べて、逗子駅から上京、市ヶ谷のJRPへ打ち合わせに出かける。ついでに新社長白井氏に挨拶。いつもと違う場所、というかJRPで会うと、なんだか照れくさいね、とお互いに。

都内で一杯飲んで帰ろうかなあとも思ったけれども直帰。

4月29日(木)
9時半に川越市駅、という指定の仕事があって、朝一番で起きて電車で池袋経由ででかける。渋滞が怖くてとてもクルマは使えなかったが、なんだか道はすいていたようですね。

87年に1回取材したことのある、風戸裕がヨーロッパで使っていたGRD273に再会。しみじみする。一旦、アメリカだかイギリスだかに渡っていたのが買い戻されたようだ。不思議に嬉しい取材であった。そのまま帰宅。夕食は麻婆豆腐だというので、紹興酒を買って帰り1本飲んだ。

4月30日(金)
女房が、あろうことか真夜中のサッカー中継をTVで選局したまま眠りこけたおかげで、その前から気持ちの良い眠りに入っていたわたしは2時すぎに、あまりのうるささに(なぜサッカー中継はあんなに絶叫するか)目が覚めてしまい、一旦仕事場でメールなどチェックした後、改めて眠り直したが、そこからは1時間おきの眠りになってしまった。(と言って、6時過ぎに女房の手によって執り行われたという我が娘、ひなたの朝食の儀は知らず)、7時に起きて、シャワーを浴び、身支度を調え富士スピードウェイへ向かう。

ゴールデンウィークの渋滞がイヤだったし、そもそも金曜日に某編集部が取材の予定を入れていたため。実際、近年のGTは、スケジュールが立て込んでいて土日の2日に落ち着いてインタビューすることなど事実上不可能なのだ。で、結局搬入日の金曜を使うことになる。

渋滞にはまったくあわず、9時すぎにあっけなく現地到着。富士スピードウェイの年間取材パス更新について、わたしはかなりいい加減な対応をしていたようで、担当COBANS社には迷惑をかけた。あれれ〜?ちゃんと手続きしたつもりだったのになあ〜?

予定は午後1時からだったので、あれこれ細かい宿題仕事をプレスルームで進める。結局午後3時から中嶋悟氏、佐藤正幸氏と、レース界の重鎮取材を2本立てで済ませ、今週末の仕事は半分終わったようなものかな。GT500のエンジンマウントについてエンジン担当と話がしたかったのだがタイミングがつかめず。

6時半に現場を離れ、ホテルへ。当初沼津に予約していたが、先日会ったレース関係者が御殿場のホテルを1室、分けてくれた。ありがとう。で、チェックイン後、結局ひとりでぶらぶら御殿場駅の方へ歩き新しくできた「みなみ」という居酒屋へ入る。

こぎれいで今風の店で、食材は新鮮で、何ら文句はないが、今夜わたしが求めていた店ではないなあ〜という感じ。なぜか最近、古めかしい店が好きなのだな、特にひとり居酒屋の場合は。レース関係者も顔を見せるが、わたしはウドの酢味噌(べらぼうに美味しかった)、サザエの刺身、手羽焼きを生ビールと日本酒1杯ずつで済ませる。知人と合流の話もあったが、実現せず、わたしはひとりのまま2件目探訪へ。

ラーメンでも食べて帰ろうかとおもったけれども、散歩がてら御殿場の街を歩いてみる。25年も富士に通っているが、たいてい沼津泊まりで、御殿場はその1割程度しか泊まったことはないから、町並みが新鮮だ。自衛隊の演習場もあるし旧い町だし、裏通りを歩くとなかなか興味深い。あちこちで、日本語のあまり上手ではないお嬢さんに「3千円」とささやかれたが、あれは、くっついていくとどうなったもんなのかな?

2件目は裏通りの「酒蔵新五月」。名前からしてよし。しかも店構えも古めかしいし。創業25年だかなんだかで、入ってみると内装、客層も実に風情があってなおよろし。年をとると、なぜ旧いものが気持ちよくなるのかねえ。建材の波動(笑)が精神と同調するのかどうか、得体の知れない快感が走るよなあ。今回も、店に入った途端に「あ、ここだ」と思ったもの。

レバ刺し、セロリを注文。焼酎も「芋か麦」しか選択肢がないし、サワヤカである。もちろんわたしは芋焼酎お湯割り。隣り合わせた3人組のじいさまたちは9時が門限だそうで、三々五々帰って行った。ああいうかわいいおじいになれるといいね。

で、ホテルへ帰宅。睡眠不足で少々疲れ気味なので、ゆっくり寝て残りの仕事に備えることにする。