 |
3月16日(火)
前日編集部にお願いしていた条件出しについて、早速返事が来たので原則受け入れてお仕事を受けることにする。金額じゃあなくて、スジなんだよね。スジってナニ?という話もあるが。
夜中、左膝が痛むので、3時間以上続けて眠れなくてつらい。医者に相談すると、脚の骨に貫通坑開けてチタン鋲打って加工しているんだからそれくらいの痛みが出ることはありますよ、薬でごまかしてやりすごしてくださいと、とりあってくれないんだが。いつまで??
1日中、寝たり起きたりしながら原稿書き。トータルすると結構進んでいるかな。いろいろお仕事の依頼が来て、嬉しいことは嬉しいんですけどね。
3月17日(水)
相変わらず、脚が痛い。昼間は原稿書きながらセラバンドというゴムのバンドを使ってこまめにリハビリしているんですけどね。脚の機能そのものは、どんどん良くなっていくのがわかるんですよ。でも痛いの。知恵熱みたいなものなのかね?
必死に原稿を進めていますよ。大仕事の追い込みですね。これを過ぎれば、ほんの少し余裕が出来るかな。クルマのタイヤを買いに行かなくちゃいけないんだけど。やっぱりRE050かな。
3月18日(木)
やはり夜中、脚が痛み出して目が覚める。もう、それを予期してノートパソコンをベッドに持ち込み、原稿書きをすることにした。前向きに物事をとらえれば、案外仕事も進む。アイシングをしながら、追加の痛み止めが効いてくるまで原稿。
で、朝もちゃんと目覚めて原稿にとりかかれるから、ここのところ生活が3時間刻みの特殊なシフトになっている。頑張って原稿をまとめつつ、週末の調整。飲みに(いや、将来に向けた打ち合わせに)行く算段もね。
3月19日(金)
夕方頃、逗子駅前のコインパーキングにクルマを置いて上京。先に出た女房が乗って帰る手はず。わたしは湘南新宿ラインのグリーン席でひたすら原稿書き。
18時7分(笑)、渋谷のモヤイ像前で大先輩A氏と合流、246を渡った居酒屋「やまがた」へ。この見事なオヤジ系居酒屋、昔から興味あったんだ。編集N氏、同業I氏も合流、時流を語っているうちにただの飲み会に。そうだよねえ。
その後、すぐそばの立ち飲み居酒屋「富士屋」へ、ここも、行ってみたかったんだ。今日は徹底してオヤジ居酒屋特集ですね。最近はこういうお店が心地よいですね。閉店までいて(といっても、ラストオーダー22時30分だが)みんなと別れる。わたしはちょっと歩いて松涛倶楽部20周年記念ナイト「ラフロイグ一樽飲めるか」イベントの場へ。18年ほど前、大きな仕事が終わったとき、つきあいのあった同僚というか大先輩に「最後だから」と初めて連れて行ってもらった店。それ以来の仲になった。ここで飲み続けていられるんだから、わたしの仕事もなんとかそれなりに続いているって証明なんだろう。最終電車で新横浜へたどり着き、新横浜プリンスホテル泊。もう、べろべろでしたが、「おじいのウコン」はすごい。追加注文しておかなくちゃ。
3月20日(土)
6時発ののぞみに乗ろうなどと思っていたのに、案の定無理。シャワーを浴びて8時発に乗る。名古屋で近鉄に乗るとすぐそばで聞いた声が。なんとT社O氏とD社H氏が。なんだかいたたまれない思いをしながらちょっと耳ダンボ。
白子駅では、結局タクシーに同乗させていただいた。ありがとうございました。一応、取材のお願いを打診するが「キミたちにオレを理解することはできんよ」といつもながらの受け流し。ただ、F4に国土交通大臣賞が授与されることになったという大事件については、確かに我々の認識不足であったと車中、反省。
午前中の走行終了後は、約束のS社K氏インタビュー。なんか、最近こういう重鎮ばかり担当させられますね。
空き時間は宿題原稿。パドックを歩いていたら、やはり業界の重鎮に「おーい、大串くん、脚が痛いの苦しいのとつまんないことばかりりつぶやくなよ」とクレームを受ける(笑)
そのうちツイッターを通して、四日市のガレージ、フヂイエンジニアリングから工場を見に来ないかとのお誘いが。開発中のFR単座スポーツカー、M−01を見せたいとのこと。何度も試乗をお誘いいただいていたのにこちらの都合失礼をしていた。で、仕事の終わったカメラマン、G氏を誘って出かけた。
非常におもしろいクルマだった。もし商品化するとなると、いくつか心配な点もあったが、まだプロトタイプ、これを走らせながらいろんなことを考えたいという、その手法は大賛成。お手伝いできることがあったら、協力させていただくことにする。こういう、熱心な人たちがいるのを見ると、こちらも力づけられるなあ。ちなみにこのガレージで、もうひとつ興味深いモノを見せてもらいましたよ。例のアレの1台ですね。

M−01のコックピット。これにかわいいGTっぽいボディが載る予定。
親切なG氏に白子のホテルまで送り届けてもらい、わたしはひとりで、駅前居酒屋マルイへ。前回行って、ちょっと気に入ったところ。おばちゃん二人がやってるんだけど、お料理作るのが楽しくてしようがないんだね。焼きおにぎりをつくるときなんか、炊飯器からのご飯を、慈しむように丸めるんだよね。もうね、その仕草を眺めているだけで一杯飲める。
ニコニコ飲んでいたら、通りの外を、青っぽいユニホームを着た若手ドライバーの二人がわたしに気づいて、ひやかしながら通り過ぎていきましたよ。明日がレースじゃなかったら引っ張りこむところだったんだけどね。
わたしのメニューは、ニラもやし炒め、ウインナーやき、アスパラベーコン巻き、コハダの酢じめ、ポテトサラダ、京風揚げ焼き(だったかな?).非常にグローバルな品揃え。
3月21日(日)
朝、親切なGクンがホテルまで迎えに来てくれた。ありがとう。昨日、思いがけない重鎮(ほんとに、今回はこんなのばっかり)からメールをもらっていて「明日行くから話をする時間が取れないか」と言われていたので、まずニスモに行き、新エンジンの謎(笑)に突っ込み取材を40分ほど行い、その後、重鎮、松浦賢氏に会って、あれこれ話す。こちらからも少し相談があったので、本当にちょうど良かった。
とかなんとかやっているうちに、決勝レースが始まってしまい、レースはあんな風に。ポールポジションをとったHSV−010GTがそのまま上位独占してもナニだっただろうし、外野のわたしとしては結果だけはきれいな落としどころだったと思う。これで大変な目に遭う人たちが一杯いることはわかっているが。
レースが終わった後、伊沢拓也、山本尚貴という、考えてみるとさっきまでヒヨコみたいにピヨピヨしていたような頼りないコンビの健闘を祝す。二人とも別人のように力強かった。こういう変身を見ると、本当に嬉しいね。HSVのストレートスピードが伸びなかった点について、瀧PLに話を聞く。なるほどねえという感じ。岡山が楽しみになってきましたよ。そういえばとある人物にとある質問をダメモトでぶつけたら、暗に答えが返ってきた。おいおいおい、日本のレース界にとっては大事件になりかねないぞ!?わたしは個人的に大きな期待を寄せるけれども。
とか取材していたら帰宅のタイミングを失いサーキットに閉じ込められてしまったので、腰を入れてプレスルームで宿題原稿書き。終電が怪しいかなあという頃、ようやくタクシー会社がクルマを回すと言ってくれて、サーキットを脱出。いろいろあってへろへろに疲れていたので新横浜まで女房に迎えに来てもらって帰宅。いやあ、結局なんだかんだ言っているうちに2010年も開幕しちまいましたなあ。
3月22日(月)
もうね、朝っぱらから原稿書かないと、間に合わないの。明日納品日。宅配でもいいというけれど、その時間もないからぎりぎりまで仕事して明日直接お届けしますよ。いやもう原稿書いた書いた。今回はいろんなコラボレーションの結果の作品なので、そのすりあわせが大変。力がある人は、みなさん個性も併せ持っているもんでね、それを合わせてわたしの個性に染めてから1本にまとめようという話なんだから、こりゃもう大変。しかも作業中にとんでもない資料が見つかったりするし。でも頭が調子良く動いてくれたので、良かったなあ。いつもこんな感じだと嬉しいんだけどなあ。
3月23日(火)
朝一番から東海大病院でまず手術後の診察。執刀してくれた主治医ではなくて、担当医というのかね、この人は。「まあまあですね」とか、なんだかよくわからないお言葉をいただき終わり。そのまま、いつもの若きY氏担当によるリハビリ。だんだん厳しくなってきましたよ。そんなことまでしてよいですか?みたいなことやらされました。若いお嬢さんに攻められると、おじさん、うれしくなっちゃって無理するんですよ。計算済み?そう?
病院を出たら、やはり今日中に納品を、という確認の電話。で、わたしはそのまま病院のトイレでトレーニングウェアから納品用スーツに着替え(病院のトイレは広くていいね)、クルマで納品先へ向かう。
実はギリギリまで仕事をして、納品用CDを作成したまではよいが、パッケージやらその他納品用書類などはまったく手つかずだったので、納品先の近所で文具店を探し、納品物件を整える。いやもうすれすれの仕事をしているなあ。
ただ今回は年度の締めに向けた事実上仮納品で、内容についてはまだまだ直しが入ってくるのは織り込み済み。完成度はまだ70%だと思うんだけど、とにかく、大会社との手続きというものは原稿本体以外の作法もきちんとしないといけないので気を使う。
打ち合わせでは、わたしが担当した以外の部分が大幅に遅れていてスケジュールを大幅に見直さなければならない状態になっていたと言うことを知り、ストレスが一気に解けた。一方、今年夏前から始まるはずの予定だった大仕事が半年ほどずれそうな感じになり、そのかわり他の仕事が入ってくるような流れに。差し引きオーライって感じか?このご時世、頑張らないといけませんね。
ひと仕事終え、心が楽になってクルマに乗ったら、膝を中心に痛みが出てそのうち全身の節々が痛み始めて運転がつらい状態に。え?インフルエンザ?とも思ったけれど違うようで、とにかく、全身が痛い。こんなの初めて。かろうじて家に帰り着き、慌てて夕食を胃袋に押し込んで、痛み止め飲んで足をアイシングして倒れて寝た。あまりにもつらいので、とうとう夜中、座薬使っちまいましたよ。どうなる? オレの足。とお尻。
3月24日(水)
若干、気持ちが楽になったのでゆっくり目覚めさせていただきました。でも書かなくちゃいけない原稿は山積で。ただ弊社の今年度売り上げ報告が回ってきて、それを眺めるとやはり暗澹たる気分にならざるをえないね。さまよう気持ちをなだめながらこつこつ原稿書くばかりですよ。しかもぐずぐずと花冷えして、膝が痛いのなんの。気持ちも滅入りますね。
市役所へ行き、今回購入した左膝用装具の国民健康保険補助の申請と、市議選期日前投票を行う。明日、使うために注文していたお花のアレンジメントもお店から引き取ってクルマに積んでおく。
3月25日(木)
朝から、まず義弟の家へ向かう。義弟夫婦は上尾に住んでいるのだが与野という地名が頭の中にこびりついていて、どんな道を選ぶか頭がぐるぐるした。結局、新しい道の使い方もわからないので岩槻から行った。1月に亡くなった姪の四十九日代わり。生まれた病院を出ることもなく百日少しという短い人生を終えた彼女の仏壇ならぬ「部屋」が作られてあって、両親の気持ちもわかるだけに気持ちは切なかった。
その後、今度は岩槻方面へ、白岡駅で姉を広い、実家へ、今度は父親の命日だ。まずは母を連れて、母の大好きな回転寿司へお昼を食べに行く。山ほどお寿司を食べビールを飲んだ。ここで女房に運転を代わり、墓へ。今回は、母を車椅子で墓前まで連れていこうと当初から決めていた。案の定、墓所には貸し車椅子があって、母はいやがってクルマで待っていると言い張ったが、強引に車椅子に座らせて、父親の墓前まで連れて行き、家族4人で墓参り。良かったと思う。
帰宅後、ばか話をして帰路に。姉を乗せ、杉並経由で。杉並にはちょうど北京勤務から帰国したばかりの姪と、その娘たちがいて、挨拶が出来て良かった。その後の帰り道は、わたしは助手席で眠るばかり。
帰宅後あれこれメールを整理していたら、やはり明日は富士スピードウェイへフォーミュラ・ニッポンのテスト取材へ(政治的に)出かけた方がいいかなあという気分になる。悩むが、脚も痛む。薬を飲んで寝る。
3月26日(金)
比較的夜間、脚の痛みは大人しかった。朝、富士にでかけようかなと思ったら女房が「ガスってる」と言うので気持ちが折れ、欠席を決意。その後すぐお天気になったらしいんですけどね。いや、富士に出かけてやらなくちゃいけないことは結構いっぱいあったんだけど、無理してもよいことはないよねえ。
9時前までゆっくり朝寝をさせてもらって、原稿書き。結局1日、資料探しと原稿書きをしていた。もちろん、これだって、ついでにやっているわけではなくて、いつかは片付けなければならないものなんだけどな。今は、デスクに向かっている間は断続的にセラバンドでリハビリ運動をしている。早く治ればいいなあ。
3月27日(土)
朝一番で選挙事務所に顔を出し、そこから膝の病院へ。痛みの相談とリハビリ。今自分でやっているリハビリの一部が、現状には良いものではないと指摘を受ける。痛みについては、再び膝にたまった水をかなり大量(前回の倍くらいあったよなあ)に抜き、ついでに内部の感染の有無を調べることに。今までとは違う痛み止めと、念のために座薬を処方してもらってきた。
その後選挙事務所に行き、候補者と地域を練り歩いての活動。選管から交付されたのぼり状の標識を表示する必要があるので、ご一行様の様子から選挙業界ではこの手の練り歩き活動を「桃太郎」と呼ぶらしい。おもしろいね。わたしとしては、今まで歩いたことのない東逗子近辺の路地を散歩している気分。膝のリハビリにもなるし。
スーパーマーケット前やら駅頭での演説をするうち、拡声器を使っての選挙活動は終了の時刻に。我が選挙事務所はその時点で活動終了、後片付けと打ち上げの準備(笑)
会費制の打ち上げは東逗子駅前にあるビル2階の、初めて踏み入れる不思議な場所で行われた。このビルの地下には、ミラーボール回る社交ダンスホールがあり、その一角がなぜかスナックになっているという不可思議な状況にあることは08年7月、ここでも紹介したが、今度は2階。で、ドアを開けてみるとそこは今度はバレエ教室だ。(笑)
で、候補者、運動員その他関係者総計14名は靴を脱いでそのフロアに上がったわけだが、よくよく見ると、バレエ用のレッスンバーやらミラーやらがある教室の壁の一部に不釣り合いな重厚な木製ドアがあり、その奥にはスナックのカウンターがあって和服のママと酔っ払ったオヤジ2人組が…。東逗子って空間が捻れ曲がっているのな。いや、そもそもそもそも、どんだけ市民が踊っているよ。
そのママの指示で、バレエ教室のフロアに折りたたみテーブルを4脚展開、テーブルクロスを敷いて打ち上げ会場ができあがる。そこでママが言うわけだ。「あのね、悪いけどビールは外のコンビニで買ってきてね。うちから出すと700円で高いから。ついでになにかおつまみとか乾き物なんかも買ってきた方がいいわよ。締めにおうどんか何か作ろうか?」。なに?ここ。つうか、このビル……。
まあ、そういうわけで、泡沫候補であるにもかかわらず、まるで当選したかのように陽気な選挙運動打ち上げ会が、実に様々な分野から集まった老若男女によって繰り広げられましたとさ。結果はともかく、選挙、おもしろかったなあ。
わたしは11時すぎに辞去して女房に迎えに来てもらい、帰宅して夕食。女房に、とても高価な腕時計をプレゼントしてもらった。こんなものをもらったのだから、これまで以上に頑張らなくちゃと思ったが、泥酔していたのですぐに気絶した。
3月28日(日)
期日前投票を済ませているのでゆっくり起きて、原稿書き。泥酔して帰ってきたゆうべ、打ち上げをやった奇怪な店に眼鏡やらクルマのキーを入れたセカンドバッグを忘れてきたことに気づく。
投票結果の大勢が判明する夜9時頃にタクシーで選挙事務所へ。当初は予想通りの展開だったがその後、全く票は伸びず、結局最下位落選。まあ。準備不足もはなはだしかったし、いやしくも公職選挙だ、甘くはないというこった。敗戦をかみしめながらの雑談の中で、市政レベルの選挙の仕組みについて、様々なノウハウを聞いて、ためになった。缶ビール飲んで、お開き。葉山の支援者H氏のポルシェで送ってもらった。でも、最下位だとは思わなかったね。
3月29日(月)
東海大でリハビリの日だったが、原稿の締め切り日だったのですっかり忘れてしまった。ひたすら原稿を書き、途中で気づいて予約を取り直す。
午後、奇怪なバレエスタジオに行ってみるが、閉じている。暗くなってからまた行ってみようと家に帰り原稿書き。夕方再び東逗子へ出かけ、スタジオが閉まっているので電話をしてみたら、ビルの地下フロア(つうことはあの社交ダンスバーのあるフロア??)に住んでいるらしいスタジオの先生(なのかバーのママなのか、つうかみんなどこに住んで何をやっている誰なのよ)につながり、「ああ、あれね」とすぐに持ってきてくれた。今度、遊びに行ってみよう。(2階のバーの方に)
あれこれ細かい仕事や他片付けモノをしているうち眠くなり早寝。わたしの好きだった深夜番組が、ぞろぞろとゴールデンへ進出し、(当然ながら)しなびてしまおうとしているのが残念だ。今日の「お試しかっ?」など、見るに堪えない内容だった。まあ、深夜番組をつかまえて見るに堪えない、もないもんだが。TVの企画がこうしてご時世から逃げ回ったあげくに崩壊していくのを見ると、我が身を見るようでつらい。
3月30日(火)
夜中、やはり膝周りが痛み目が醒める。睡眠がしっかりとれないので、グロッキー。昼寝しているから合計睡眠時間が少ないわけではないんだが、やはり疲れる。で、夕方、予定通り東逗子の主治医の元へ。感染検査は異常なし。刺激がなくなる夜間は、わずかな痛みが増幅されて感じられるんだろうと言うけれど、本当にうなされて目が醒めるほど痛いんだってばよー。「じゃー、精神安定剤も飲もうか」と、押し切られる。あんまり薬は飲みたくないんで、きっと飲まないだろうけどなあ。
こつこつ原稿書きとスケジュール調整。リハビリを本格化させるため、自転車をインターネットで買った。
3月31日(水)
朝一番で東海大病院へリハビリに。夜中痛むのは気のせいだって言われたよ−、と担当の理学療法士にこぼしたら、「あはは、そんなことあるんだね」と笑われた。で、リハビリはどんどんハードになって若干息が上がった。もう2か月経つんだもんね。あんまりびくびくしていたらだめなのかもしれない。
睡眠不足で帰り道が危ないのなんのって。帰宅後は早速昼寝ですよ。仕事が進まないったらありゃしない。午後はこつこつ原稿&インクジェットプリンタのインクを補充。今度の機種は補充が面倒だ。考えてみるとそろそろレーザープリンタの方もトナーが切れる頃だなあ。この先、オレたちどうやって暮らしていけばいいだろうね、と困り果てながらもう今年も3か月も暮らしちゃったんだなあ。たくましいもんだよなあ。
|
|