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3月1日(月)
朝、退院後初めて東海大学病院のリハビリルームへリハビリへ行く。ちょっとしか経たないのに、担当のお嬢さんY氏の顔を見ると懐かしい感じがするね。気弱になっているのかな。まあ、「膝は良く曲がっていますね」と褒められて、俄然やる気だしちゃったりしているオヤジだけどな、オレ様は。結局今日限りで松葉杖を奪われて「自分の足で歩きなさい」ということになりました。さすがに左足にはごつい装具がついていますけど。
さっくり帰ってきてクルマを女房にわたし、自分はこつこつ仕事場で仕事。いや実際、膝が痛くて夜よく眠れないので昼間はグロッキーなんですよ。3時間続けて眠れません。いいんですかね、これで?
3月2日(火)
あさっぱらからこつこつ仕事。昼間は問題ないんだけど、つうか,、リハビリしつつ原稿書いているんだけど、夜中は3時前に痛みが出始めて目が醒めて苦労するんですわ。痛み止め飲んだり座薬入れたり冷やしたりしてようやく明け方眠り直してる状態なんですけどね。
3月3日(水)
朝7時半だかなんだかの電車に乗って上京。楽をするならクルマなんだけど、自分の足で歩いてリハビリもしたかったしね。本来はフツーに歩けるはずなんだけど、やはりあちこちをかばってしまうので、歩き方は不自然になるね。いくらか快方にむかっているようだとはいえ、相変わらずまともに眠れていないしねえ。
しかもあんまり早くてしかもあまり使わない路線の電車に乗ったものだから、新逗子始発で座れたのはいいけれど、いつまで経っても目的地へ近づかない。あれれー?と思ったら、各駅停車の時刻表しか見ていなかったことに気づいた。よくよく調べてみると、快特だとか特急だとかがバンバン追い抜いていくわけだ。
まあ、座れて楽ちんだし、時間は各駅基準で見ているから心配ないし「そりゃそうだよなあ、こんなに時間がかかるわけないよな」と自分で自分にあきれながら、さすがに横浜で1本早い電車に乗り換えた。で、9時にニスモ集合。その時間もすごいね。始業時間ですよ。編集者と今年のスーパーGTについてK氏の見解を聞く。
10時過ぎ終了。ところがこの日は午後4時からもう1本続けて取材をしろという話。その間、わたしはどうすればよろしいのでしょうか。聞いたら、編集部のそばにインターネットカフェがあるというのでそこへ行って仕事をすることにしたが、よい年をした物書きに仕事を依頼しておいて、時間待ちにインターネットカフェへ行って待ってろと言う仕打ちには常識を疑ったが。まあそこそこ仕事が出来て、それはそれで良かった。インターネットカフェ、きらいじゃないんですよ。今のところ、住む気はないが。
16時からのM氏とインタビューに向かう途中、懸念だったとあるドライバーがGT300のシートを確保したようだという吉報が電話に。同時に、別件であきれるような話も耳に入る。まあ、いつものことだ、しかたがない。
ニスモ、TRDと続けて話を聞いたのだが、今年のスーパーGTに前向きな意見が聞けたのは収穫だった。もし、あまりに性能差が生じたらそのときは性能調整が行われることにはなっているが、その性能調整は、受けたら「誇り」、受けさせたら自分の「恥」だって言うんだね。同じ条件でのレースになったんだから、そういう意味で気持ちがいいと。
よく車両規則も理解せず、ましてや技術者の気持ちも知らないままにスーパーGT批判をする一部ファンには、この気持ちはわからないんだろうな、というか、それをまず伝えるのが我々の仕事でなくちゃならないんだろうな。
仕事後編集部であれこれ他の企画の相談やら提案やらしているうちにF氏が家まで送ってくれることになった。正直なところ、足の状態を考えるとありがたかったかもしれない。車中では今後の情報産業の在り方についてあれこれ情報交換、時代の変化を肌身で知る。わたしも頭の中で理想を語っているばかりではなく、早いところ動き出さなくては。
3月4日(木)
朝、内科の病院へ定期健診に行こうと思ったら、水曜日ではなくて木曜日だった。月日の経つのは早いものだなあ。すごすご仕事場へ引き返し、こつこつと仕事。
JAFパスが到着。取材に出かける身分を権利を示すカードではあるが、毎年「これを受け取る以上はそれだけ仕事をしなければならないのだなあ」と義務感、使命感も抱え込む。
こつこつ仕事をしたりメールをやりとりしている間に、驚愕すべき情報が。それでなくとも今年、我が業界には大きな変化が起きるはずなのだが、その進行速度は、わたしなんかが予想したよりはるかに早そうだな。わたしもいろいろ新しいことをやろうと考えてはいるけれども、目先の仕事(これを片付けないと食べていけないし、実験の原資も生まれないもんね)に追われて、気持ちがくるくるするばかり。
それでも結構仕事は進んだかな。その代わり、この週末から週明けにある鈴鹿でのイベントとFN、スーパーGTのテスト走行取材にはとても出かけられそうもないなあ。いや、相変わらず左膝が夜中に痛んでよく眠れないという大問題も抱えていて、病院とリハビリに行こうと思っているせいでもあるんだけどね。
3月5日(金)
朝からこつこつお仕事。このご時世にありがたいはなしですけどね。昼過ぎ、東逗子の左膝主治医の医院へ。夜、痛むと訴えたら「じゃ、水、抜きましょうか」と、もの凄い径のシリンジを、迷いもなく膝にぶっつりと刺し、ピンク色の体液を20ccばかり抜きましたか。「穿刺」とかいう処置らしいですね。あまり突然だったので仰天しましたが。手術後1ヶ月だったら、珍しくない措置らしいとのこと。
帰宅後、ちまちま仕事。とにかく仕事が溜まってるんですよ。これではこの週末に鈴鹿へ取材へ出かけるなんてとても無理。しかも、長くとりひきのある会社から「5月支払い分から支払いは10%OFFでお願いします」なんてメールが飛んでくるものだから。おおよそ予想はついていたものの、お願いされても、もう進んでいる仕事、ありますが?と。良識あれば「発注日」で指定するもんだろうにね(笑)、どこかの自動車会社の内部コストダウンの記事か何か読んで触発されちゃったんだろうなあ。
ところが種々雑多な業者が関わるうえ契約書もなく信頼だけでやってきたこの業界においては「詐欺」に等しい通告。悪気はないんだろうけど、甘えはたっぷりの混乱しまくり文書でした。みんな、気持ちをしっかり持ってがんばろうよ。
3月6日(土)
朝からこつこつお仕事。横浜ではボートショーがあったり鈴鹿ではスーパーGTのテストがあったりするのだが、いずれも不参加、部屋にこもって原稿書き。
左膝の痛さは相変わらず、動きはどんどん良くなるが、夜中の痛みは約束通り3時間おきにやってくる。困ったもんだ。仕事をしているうち、さすがにひとこと言っておかなくちゃなと、某編集部担当者に10%オフなら、少なくとも現在受注して進めつつある仕事は止める、と通告することに決めた。だって、そうだよねえ。長いつきあいがある仲間だと思って無理に時間を作って受けた仕事について「10%カットね」って後付けでメールしてくるんだから。
このとき無理して後回しにした仕事は、正直なところ何倍ものギャラがもらえる仕事ですよ。でも自分ではお金よりも友だちづきあいを優先したつもりだったんだがなあ。というわけでしばらくメールと電話のやりとり。スジさえ通してくれれば、わたしは友だちづきあいを蹴っ飛ばそうとは思わないんだ。仕事は金だけじゃないからね。というわけでスジが通ったの……かな?? スジ通すって基本姿勢は忘れ去られてしまったのかいな?
3月7日(日)
朝からこつこつお仕事。ある事実を確認したくて、とあるメーカーの技術者が当時書いた英文技術論文集を読みこむ。ところが、肝心な部分が記述されていないんだね。こういう技術者の機密保持意識は高い。こんなことに感心しつつ、仕事とは関係ない部分がおもしろくて読みふけってしまいましたよ。原稿は、進みませんでしたね〜、すみません。女房は夜遊びに付き、わたしは近くにできたコンビニへ行き、おかずパンを四つも買って、ビール飲みつつ仕事。これもまた楽しいね。
ただし、何か変なモノを食べたのかどうか、いつもより2時間も早く猛烈な眠気がやってきてダウン。女房が帰宅したのも、上の空。つうか、その頃にはちょうど左膝が痛くなっていて、その対応に忙しかったんだが。せわしない夜中を送る。
3月8日(月)
夜中、グダグダしていたものだから目覚まし時計に気づかずお寝坊。慌てて身支度して、東海大学病院へリハビリへでかける。ちょうど手術から1ヶ月ですね。早いもので。
リハビリの予約時刻には間に合った。わたしの足は、全方位とはいかないが、比較的順調に回復しつつあるようでよろしい。念のため借り続けていた松葉杖を2脚とも業者に返却。ついでにリハビリ用のゴムベルトを買ってきた。これを足にかけてビヨンビヨンと伸縮させて運動をするんだよ。
帰宅後は必死に仕事をして、夕方、バスで上京。女房はクルマで歯医者へ行っていた。グリーン車で、仕事の仕上げを1時間。品川駅で送信。相変わらず綱渡りをしていますなあ。
約束の時間に少し早かったので、五反田駅前の焼き鳥屋、炭火朔朔で砂肝、ネギ間、豚ナンコツ。典型的オヤジ用焼き鳥屋だったが、結構いけたような?
その後某誌編集長と「いもたろう」で合流。今回の騒動と今後の本作りについて語らう。終電で帰宅。
3月9日(火)
相変わらず、明け方に膝、というか近頃は左脛が痛んで、3時間おきに目が醒めちゃうんだよなあ。厳しい。慌てても仕方がない、じっくり構えて、大仕事の構想を練りつつ資料集め。一旦納めた原稿の直しを一部。褒めて仕事をさせるのが上手い編集者という「仕事師」がこの業界には確実に存在する(笑)
ふと思い立って、人を引き合わせる算段。この激動の時代、ネットワークを作っておくことはとても大事な意味を持ってくるだろう。と言って、都内で夜遊びをしなくなった最近のわたしには、思い浮かぶ店がない。あれこれインターネットを検索すると、若い者向けの同じような店しか見当たらないのな。やっぱりときどきはきちんと夜遊びをして、立場相応の接待場所をいくつか取りそろえておかないと。といいつつ今さらしかたないし、相手が女性でもあると言うことでこぎれいな今風のお店を予約しましたよ。
3月10日(水)
朝一番で、逗子病院へ行き定期採血。帰宅後、迷ったけれども、取材にはクルマでTOM’Sへ。うちからはクルマが一番便利だもんね。TOM’Sそばのおそば屋でおそばを食べて時間調整。舘代表の取材はつつがなく終了。雑談を通してあれこれ余計な情報も収集。帰り際、大岩氏とF4について話せた。大岩さん、F4が楽しそうだったな。
帰宅後、あまりの睡眠不足にお昼寝。夕方逗子駅から上京。新逗子で頭を刈った。約束の時間ちょうどに「花炎」に到着、T氏、K氏を待つ。パリ在住T氏とK氏はいつか引き合わせておこうと思った。とはいえ、ここから直接何かが始まればいいという話ではない。あくまでもネットワークの接続をしただけの話ではある。
豚肉を食べさせる店。赤ワイン2本、芋焼酎はカウントせず(笑)。もう少し飲むかと言うことで松濤倶楽部に行った。まあ、当然ながら終電には間に合わなくなり、女房に頼んで新宿のホテルを確保してもらう。両手に花で、おじさん、当初の目的なんか忘れて気持ちよくなっちゃってごめんなさい。
アイラモルトウイスキーを飲みまくって酔っ払ってタクシーに乗り新宿ワシントンホテルへチェックインしたのは…2時半頃? 5500円なのに、売れ残りの部屋だったのか、マッサージチェアーはあるわ、パソコンのセットはあるわ、ひどく豪勢な部屋でしたよ。ただ、マッサージチェアーの動かし方がわかりませんでした。酔っ払っていたからだね?
3月11日(木)
仕事が遅れているので、粛々と原稿書き。とは言いつつ、相変わらず左膝の痛みで夜、熟睡できないので、昼寝を挟みながら、少々厳しい1日。焦っても仕方がないと自分に言い聞かせるばかり。本当にゆっくり眠って起きたいですね。
3月12日(金)
とあるところから回ってきた映画の招待券を使うため、朝っぱらから横須賀のシネマコンプレックスへ。山田洋次「おとうと」。
期待もあったんだが、ダイジェスト版か?と錯覚するほどあっさりとした作りで、あっけにとられたまま終わった。出来の悪い弟としては覚悟までしていたのに、最後の最後まで吉永小百合と笑福亭鶴瓶が姉弟には見えなかった。なに?これ。横須賀の大戸屋で、女房ともども首を傾げながらお昼。わたしは大戸屋というものを知らなかったが、女房に聞けば今注目のお食事処だそうで。
3月13日(土)
朝、東逗子の主治医のいる医院へでかけ、専任トレーナーのリハビリを受ける。10年間、靭帯断裂をごまかして暮らしてきたために、身体の筋肉の使い方のバランスが完全に崩れているそうで、リハビリと同時にそのバランスを元に戻さなければならないそうな。恐ろしい話ですね。横浜市大でのリハビリと並行してこちらのリハビリも受けることにする。
左膝の手術跡については、可動域も広がっているし腫れも引いてきているので、順調だと。痛みは、患者によっていろんな痛みが出るけれど今のわたしの状態ならば、痛むたび薬でごまかすのが最善ではないかということになった。
帰宅後は仕事。F1やIRLの開幕戦が(もちろん国内スーパーGTの開幕戦も)近づいているというのに、手元に抱えた仕事と、雑誌の仕事で頭と手はいっぱい。いつものことながらいつわたしは開幕するんだろうという状態。
夕方、知人に呼ばれて東逗子へ。なぜか逗子市会議員選挙に関わることになり、その選挙(後援会)事務所開き兼打ち合わせ。立候補した知人は20年近く前、コンピュータ雑誌の編集者とライターという関係で5年間ほど日本全国を回っては記事を作った仲。たまたまどちらも隠居先が逗子だったんだよね。気心は知れているし無党派どころか支持母体は、友人知人のみと言う完全にしろうとの思いつき立候補であるのも気に入ったので加わった。なにしろ、選挙運動に関するレギュレーションブックを、このわたしが読み解いている始末なんだから。
この「地方選挙の手引き」と銘打ったレギュレーションブックが、実に興味深いしろもの、そんなことがこんな文言で規定されているかいと、まるでJAFの競技車両規則書と同じ乗りで楽しみつつ読める。ちょうど同じ判型だし厚みも似ているんだよね。自分たちの選挙そっちのけでいちいち興味深い文言を見つけてはみんなで盛り上がれるのも、素人選挙ならではの楽しみである。
ちなみにわたしは選挙用ポスターの掲示責任者ということになったようだ。市民のみなさんは掲示された選挙ポスターの隅っこをチェックしてくださいね〜。帰宅後夕食、仕事を少し。
3月14日(日)
相変わらずきちんと眠れず、頭脳は絶不調。仕事をしていたら選挙後援会事務所(これがややこしくて、告示前は選挙運動は出来ないから、名目上は「後援会事務所」でないといけないらしいんだよね)から呼び出し、具体的な作戦会議。と言っても、しろうとが集まってわらわらしているだけで、実際の主義主張の練り上げにまで行き着いていないのが現実(笑)。今最大の問題は、ポスター貼ったり選挙カー運転したりする人をどうやって集める?というレベルにとどまっている。学園祭の出し物だって、これじゃ完全に出遅れだよねえ。まあ、今回の市議選中の泡沫候補中の泡沫候補筆頭だな。わたしは、得難い経験と、レギュレーションブック読みに熱中し楽しませていただいているけども。
帰宅後は仕事。全部自分のせいだとはいえ、とにかく、いろんなものがもう間に合わないよう。
3月15日(月)
朝から東海大学病院へリハビリ。「もう、走ったり跳んだり跳ねたり以外はできるだけいろいろ動いてください」と担当は言うものの、怖くてできないよねえ。いや、もう装具さえ付けていればそろそろそこそこのことができそうなんだけど、「それやっちゃあ絶対ダメ」という動きもあるらしいんで、どこか慎重になっちゃうね。しかも夜中はまだ目が醒めるほど痛いし。この痛みが治まるまでは当たり前のリハビリをコツコツ続けるしかないな。
帰宅後はひたすら仕事。ほんと、ひたすら仕事ですよ。あんまり仕事がありすぎて、今週末のスーパーGT開幕戦取材は金曜入りは無理そうだなあ、と予定の変更。
と言っているそばから、スケジュール的に無理のある仕事を泣く泣くお断りする。このご時世、短時間に取材もなく、なにかおもしろいものを書けと言う注文が少なくないが、大事に思う雑誌だけに無責任に仕事を受けるわけにはいかない。編集部員が悪いんじゃない、時代が悪いんだけどしかたがないよね。
とかやっているそばから今度は別件の仕事の依頼があって、これまでは「なあなあ」の関係で受けてきた相手だけれど、これからはそう気安くもしていられず、ある程度の条件をはっきりさせてくれないと受けられませんよと一旦返した。世知辛いけど、そういう時代になったと言うことだよね。
と思っていたら、校了中の雑誌編集部から「マクラーレンMP4/4のベルハウジングに組み込まれたオイルタンク付近から後方へ伸びている数本の管は、何の管ですか」というとんでもなくマニアックな質問が。大体のことは答えられるけれど、気になって現在もレストアに関わる名メカニック、F氏に電話、確認した。こういうこだわりは(すっげー面倒だけど)大事だよねえ。こういう時代だからこそ。
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