2月前半 逗子通信




2月1日(月)
朝、少々仕事をして、相模原方面へ出かけ……たら、ナビが動かない。あれれ? まあいいか、と思っていたら待ち合わせをしていた相模大野駅の入り口を通りすぎてしまい、ああ、約束の時間に遅れる、と16号をUターンしてもう一度入り直そうと思って車線を変更したら黄色線だった。あ、しまった、と思ったら、なんとまあちゃんと見ている人が見ていたのだなあ。あんなトリッキーなところで取り締まりするなっての。で、十年以上ぶりで交通機動隊のお世話になりましたよ。これもナビが故障したからだ!と八つ当たり。黄色線またいだのなんか、運転始めて初めてじゃないかね。こういうものだよねえ。1日、どうもすっきりしないまま過ごす。

2月2日(火)
朝起きたら雪が積もっていた。新幹線に乗って打ち合わせに行かなくちゃならないのに大丈夫かなあ。と出かけたら特に心配することはなかった。駅からはレンタカーで目的地へ、実質30分で済むかなと思っていた打ち合わせは結局丸々5時間。新幹線で帰宅。いろいろやらなくちゃならないこともあったが力尽きた。

先月末、ここに書いた東逗子の焼肉店「イリアちゃん」だが、1か月ほど前に「仔牛苑」に改名したと思ったら再び「イリアちゃん」に!イリアちゃんに何が起きているのだ? ちなみに女房の調査によるとイリアちゃんは店主の娘の名前だとか。 骨肉の経営権争いか? 東逗子で。

2月3日(水)
朝から逗子病院に行き、入院中に飲む薬を出してもらう。前回の血液検査の結果は、ほぼ健康だがγ−GTPの値が若干高かった。年末年始の不摂生がバレバレですね。その後はひたすら原稿書き。及び、大仕事のあれこれ手配。いろいろ手伝ってもらわなくてはならない。

夕方、若手カメラマンG氏来訪。お正月に義兄からもらった下関直送フグを入院前に片付けておかなくちゃならなかった。というわけで、フグ鍋をして食べる。唐揚げ、皮の湯引きなどなど。かなり飲んだな。

2月4日(木)
入院中に片付けなければならない仕事の資料などを準備したり各方面と連絡をとったり。A氏から、提案のメール。みなさん、次の時代へ向けていろいろ考えているんだなあ。顔を合わせて話そうという話ではあったが、時間のやりくりが難しく、結局入院後へ。それまでじっくり考えよう。

夕方、クルマを辻堂のディーラーへ。ナビ故障について。実はオーディオCDをナビとオーディオの筐体の隙間に挟むというミスを2回犯しており、原因はそのあたりにありそうだなとは予想していた。自分で筐体を取り外してチェックしようと思ったのだが、DINパネルがどうしても外れず、無理してもナニだし、入院前で時間もないしでディーラーへ持ち込んだ。

すると、やはりCDが2枚、ナビの筐体に刺さって、ディスプレイの動作を妨げているという。じゃあ、それを外せばいいんじゃないか、と思ったら「ここでは作業できないのでナビメーカーへ送っての作業になる」と言う。そんな馬鹿な。機械的なトラブルなら、それなりのことはできるので、「じゃあ筐体を外したままにして返してくれ、自分で修理する」と言った。そうしたら、結局「頑張り屋さんのメカがうまく取り出し、正常に作動するようになりました」と。 ??? な話ではあるが正常になったのならいいや。工賃は?と問うと、無料でいいですと。

帰宅後も、入院に向けた準備。シーズンオフに手をつけたいテーマがいくつかあるのだが、自分のサスペンション修理に2週間かける。足回りがしっかりしないと、どうせスピンする。

2月5日(金)
朝からあれこれ用意。お昼前、市役所に行き、高額医療費補助の申し込みをして証明書を発行してもらう。今回は手術と入院で個人負担限度額をはるかに超えるのがわかっている。と言っているそばから、入院先の病院から、空き部屋がなく5500円也の差額ベッドしか用意できなかったと連絡が。

03年のインターフェロン治療の時は、内科的にも精神的にもかなりの負担が予想できたので特別個室を使ったが、今回は外科だし、一般病棟でいいと申し込んでいた。余分な金がかかるなあ。今までごまかしてきたケガだけに、貧乏性が出る。

DVDやら本やらを準備して、なんだかどこかへ静養にでかけるみたいな気分になるが、オレ様、この2週間でかなりの原稿をこなさなくちゃいけないって現実を直視していないよな。

夕食に、女房がわたしの大好きな祖師谷牛で豪勢なステーキを食べさせてくれた。万が一も覚悟は一応したけれど、頑張ってこよう。

2月6日(土)
調子に乗って祖師谷牛を食べ過ぎたか。朝、荷物を持って女房の運転で病院へ向かう。道がすいていて1時間かからず到着しそうになったので、病院そばのデニーズで朝ご飯。

入院手続き。1日5500円も差額をとられる部屋だが、通常病室とそれほど環境が良いわけでもなくて、気持ちは複雑。でもインターフェロン治療で入院した横浜市大付属病院の通常病室よりははるかに専有面積が大きくて居心地は良い。LAN回線もベッドサイドに引いてあるし、窓辺のベッドからの眺めもよろしい。


9階、窓際に整備中の巣。

入院と手術についての説明を受ける。事態が具体的になるにしたがって、気が重くなってくるなあ。麻酔担当の研修医には「あのう、大串さんって、自動車雑誌に記事を書いている、あの大串さん? どこかで名前を観たことがあるなあと思って」と確かめられた。もう、下手なことはできませんね。

なぜか、この病院、看護師がチームに分かれていてそのチームが色分けされている。わたしの担当は、その名も「ピンクチーム」。なんだかそれだけでわくわくしますね。みなさん、若くてかわいらしいお嬢さんたちで、面倒見てもらいがい(どんなかいだっての)がありそうですよ。

お昼前に女房が帰る。お昼ご飯にカレーライスが出てきた。ベッドの上で巣作りしていたら、逗子町内会のA氏ご夫妻が来訪。検査のため来院したそうな。氏は週明け、偶然同じ病院に入院予定。女房は「逗子オヤジーズ」と名付けて、今回の仲良し入院にあきれている。階下のカフェでお茶をごちそうになりながら雑談。でも話題がJRPの社長人事の行方って、どうなのよ、それ。

ひとりになってからは、あれこれパソコンいじり。ツイッターやらメールやら、入院しているというのに社会との接続感が持続するのは時代の進化と言うべきなのか、どうなのか。気持ちが焦って、少しでも仕事を進めようとする自分がベッドの上にいるが、まあ、手術をしてその後落ち着くまでは身体も頭もお休みとさせていただこうと自分に言い聞かせる。

夕食はアコウダイの煮付け。ビールも飲まずに夕食を終える。家から持ってきた「レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯」第2巻をDVDで観る。長らく放置していたもの。でもやっぱりいまひとつ気持ちが落ち着かないのは仕方がないか。

2月7日(日)
なかなか寝付けず、本を読んだりパソコンいじったりするが、結局あまりよく眠れなかった。で、6時起床。仕事をせずに寝そべっていると気持ちが焦るが、まずは手術をやりすごすことだ。この仕事中毒を治さなくちゃいけないなあ。

明日は朝から手術の準備が始まり、午後は全身麻酔で意識を失うことになる。酒を飲み過ぎて倒れたことを除けば、意識を失うのは生まれて初めてではないか? ある意味臨死体験であって、興味津々。一方、最悪の場合はそのまんま意識が戻らないかもしれないのでそれなりの覚悟はしているが、身辺を整えるまではできなかった。そのときは、恥のかきすてだ。まあ、酒の飲み過ぎで倒れるよりはリスクが小さいとは思う(笑)。

午後、シャワーを浴びる。二回り以上は若そうなピンクチームの看護師さんに、まるで子供扱いされてあれこれ教えられたり指示されたりすると、オレさま、なんでこうもだらしなくデレデレするかね? ただ明朝の浣腸は……。できればわたしより二回りくらい年上の大ベテランか、いっそのことアシモにお願いしたい。

「レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯」を見終わる。5部、330分に及ぶ大作。1972年にNHKで放映されたのを観て、若きわたしはひっくりかえって感動した。それ以来気になっていたのだが、DVD化されたのを知って2年ほど前に買って放置していたもの。今観ても、やはりぶっとんだ名作。日本のTV局には作れない。ただ、いろんなことに手を出しすぎたダ・ヴィンチが「時間がない、時間がない」と言いながら老いて死ぬ、という結末にショックを受けたつもりだったのだが、実際観直してみると、かなりニュアンスが違う終わり方だった。別の伝記か何か読んでショックを受けたのだったか? なににせよ、じっくり作り込まれたオススメである。

2月8日(月)
いよいよ手術の日。朝からいろんな準備が始まる。まず点滴が打たれ、浣腸。とあるバーのバーテン君は「全麻のときの浣腸は絶対にいやだと言って拒否したんですよ!」と言っていたが、わたしはなされるがまま。ただ祈りは通じず、ベッドサイドにやってきた担当看護師はうら若く、場合によってはお寿司食べに行こうねと誘いたくなるくらいキュートなお嬢さんだった。

もうおじさん、言われるままにベッドに寝て、心の中で「ごめんね、ごめんね!」と泣きじゃくりつつ53歳のおしりを突き出した。あまりにもおぞましい場面だ。その後、ぐしゃぐしゃになった尊厳を取り戻そうと、「浣腸」をググっていろいろ調べてみるとあらぬ方向の情報がわんさか出てきて、それはそれで興味津々、いくらか救われたような気がしたのは気のせいか。ちなみに浣腸、とてもよく効きましたよ。

全裸に手術着。新妻の裸にエプロンならかわいらしいもんだが、今回の中身は53歳のオヤジだ。おまけに右足には静脈血栓を防ぐための圧力をかけたり抜いたりするフットポンプ用ハイソックスを履き、中世ヨーロッパの王様みたいだし。まあ、せっかくだから点滴棒押しながらあちこち行ってみましたがね。午後1時半、ストレッチャーに寝て、「ぼうっとする薬」とやらを肩に打つ。主治医はマレーシアへテニスのナショナルチームのチームドクターとして出張していて、帰国したその足で手術をしてくれる。スケジュールが立たないわたしにとって、今年唯一のタイミングだった。

手術室に運ばれ、背中になにやら注射を打たれる。あれが硬膜外麻酔だったのかな?多くの人の体験談によると「じゃあ麻酔、入れますよ」と一言あって、点滴のパイプから薬液が入り、「1、2、」と数えているうちに意識をなくす、という過程が一般的だったので、それを楽しみにしていたのだが、わたしは身体を丸めて背中に注射打っている時点で意識をなくしてその後はまったく、きれいさっぱり何の記憶もない。

意識がない間に行われた手術が何なのかというと、膝関節を内部でつなぎ支えている前十字靱帯が断裂してしまっているので、膝の比較的余分な腱を切り取り、骨に穴を開けて靱帯の代わりに通して釘で固定するという、結構なサイボーグ化である。ちょっと前まではスポーツが本職の方々しかやらなかった手術らしいのだが、近年は一般化しているそうな。今までわたしは、靱帯が切れたまま筋肉で支えて10年あまり過ごしてきたというわけだ。

大串さん、と呼ばれて目覚めたときにはもう手術が終わっていた。「え〜?もう終わり?」膝はもちろん、身体のどこにも痛みや違和感はなく、ふわふわ雲の上で昼寝から目覚めたような快感に包まれていた。「いやー、よく寝た!」とそのときはさわやかな気分。

ベッドに乗せられて病室へ帰る。女房は、麻酔の覚め際に理性のタガがはずれてしゃべりまくるという奇言というか本音を記録しようとICレコーダーを枕元で回し始めるし、わたしはわたしで「写真、写真!」と女房に撮影を指示するしで、「おまえらここに何しにきた?」状態。幸いにしてわたしは比較的正気で、女房は「ちぇっ、おもしろくないの!」とか不満をたれるし。手術前には神妙に一応最悪のことも覚悟したんだが、人間はなかなか悔い改めない生き物ではあるなあ。


こんな有様で、管をいっぱいつながれて帰ってきたわけですが。

痛くないとは言っても、手術中の挿管のせいか気管と喉が痛く、それが少々つらかった。ただ、硬膜外麻酔という比較的新しい手法の麻酔があって、それは手術後もタンクに入れた薬液を脊椎の硬膜のそばに注入し続けてくれるので、手術の痛みはまったく感じない。

3時間経って病室に帰ってきた段階でわたしには、点滴の管、手術部位からの出血を内部から抜くためのドレン、導尿管、硬膜外麻酔の管、右足に圧力をかけるエアポンプの管、それに酸素マスクの管がつながっていた。重病人だよね。

なんだか全身が重く、寝返りもうてずに背中が痛くて夜は余りよく眠れなかった。というわけで、コナン・ドイルの「四つの署名」を読む。これ、確かわたしが買った初めての文庫本だった。今回は新たに買った物だが、当時は創元推理文庫で、天小口が裁断されていない典型的スタイルだった。、40年ぶりくらいに読んだが、こんな内容だったかなあと拍子抜け。

2月9日(火)
いろんな管がつながっているし、足も重いので寝返りが打てず、背中が痛くてよく眠れなかった。起きてからはぼんやり。午前中のうちからベッドの背を起こして身体を立てる練習をして、午後には車椅子に乗り移る練習をしようという話だったが、身体を起こすと貧血状態になって気持ち悪くなり、全部延期。

食事も通常食は許されたがまったく食欲なく、ヨーグルト飲料のみ。硬膜外麻酔がきいているせいだろうとのこと。発熱も38度弱しているし。ただ麻酔のおかげか、頭は正気になっているけれど、痛みという痛みは不自然に感じないのだ。夕方、女房、姉、甥が見舞いにきてくれる。甥はなんとこの病院で医者になるための勉強中で、「授業のついで」だそうな。わたしの主治医には授業を受けたことがあるんだそうで、近々、自分の足の不具合を当人に診察してもらう予定だったとか。世間は狭いですね。狭いと言えば、今日から手術&入院予定の逗子在住A氏も再び顔を見せる。病人が病人に見舞ってもらってもね。まあ、フロアを4階下りるだけだけど(笑)

車椅子の練習を延期したため、小用はベッドの上で溲瓶を使ってすませろということになる。いやまあ、溲瓶使うのなんて何十年ぶり? その昔使ったときはガラス製でしたが今は樹脂製なんですねえ。浣腸に比べれば溲瓶なんて、子供の遊びだね!

夕食になっても全く食欲は出ず、身体を起こすことができないままダウン状態は続く。ベッドの上では少しは身動きが取れるようになったので、あまり夜更かしせず、よく眠った。管はいろいろくっついたままですが。

2月10日(水)
いくらか寝返りが打てるようになって、気持ちよく眠ったような気がする。朝の気分は良く、身体を起こしても貧血が起きないし、生き返ったような感じ。ただし硬膜外麻酔をはじめ、いろんな管は繋がったまんまですけどね。

早速車椅子の練習をして、トイレに行く練習。スタート直後、本日で退院のA氏夫妻がいて、昨夜使ったとおぼしきTVのプリペイドカードをお見舞いにいただきました。お互いに、お大事にね〜。

一応車椅子というのはどんな器具なのか体験したつもりでいたけれど、実際に問題を抱えて目的を果たそうとすると、そこかしこのインフラが関わってきて本来の役割を果たせなかったりするのだということが、目からウロコ状態で見えてくる。バリアフリーという社会的課題に対する考え方が、こんな入り口のレベルで変わってくるよ。


わたしの愛車「ドチャメンコ8号」 エンジンレス。

身体につながっていた、いろんな管は抜けて身軽になったけれど、昨日の貧血の問題があったので、リハビリ室へ行っての理学療法は2日後に延期、今日はベッドの上でマッサージ的なトレーニングのみとなった。少なくともベッドまで出張してきた今日の担当は、若くてかわいらしいお嬢さんでしたよ。リハビリルームに、誰が待ち構えているのかは知りませんが。

その後、CPM(Continuous Passive Motion)という装置を使ってベッド上のリハビリも行われた。これは、さきほどの理学療法士のお嬢さんの優しい手つきとは異次元のしろもので、「自動的他動運動」という訳通り、動力使って固定した膝を強引に曲げたり伸ばしたりする装置。症状に応じて角度を調節するらしいのだが第1回目の今日は、約1分間隔で0度(伸展状態)から50度を1時間。いやもう伸展時には大の男が痛さのあまりうなりますよ。「おととい手術したばっかりなのに、いいんすかこんな無茶して?」と息も絶え絶えで訴えると「はあ、大丈夫です。手術室で0度はいけると確認してますから」って、こともなげに。いや、まあ、。そりゃそうだろうけど。プラモデルだって接着剤で羽根を胴体にくっつけたら固着するまで1日は放置するぞと。

CPMを終えへろへろになって倒れているところに女房と、某誌元編集部員が顔を出してくれる。大磯の試乗会帰りだそうな。なんと彼は今まで入院どころか歯医者の麻酔も経験したことがないという驚異の経歴の持ち主。たぶん、先日の皆既日食の時は空に向かって拝んだタイプだろうなあ。

そろそろいろいろお仕事を再開する予定ではいたのだがとても無理。もう少々猶予をいただく。硬膜外麻酔を止めたので、じわじわと膝が痛くなってきましたね。

2月11日(木)
世間はお休みですか? こちらは粛々と療養に励んでおりますよ、昨晩は左足に痛みが出て、ベッドの背当てをほぼ直立させないと我慢できない状況でほとんど、断続的な睡眠しか取れず、へろへろの朝だったけれど、ロキソニンを定期的に内服するようになって楽になったかな。身体が横に出来るようになったので、昼寝をむさぼりました。

その間に例のCPMが運ばれてきて1時間苦悶のリハビリ。これでは仕事をしている余裕がありませんね。と言ってても時間は厳しくなるばかりなので、ようやく資料集めに着手、構想を練り始めましたけどね、時間はかかりますね、すいません。

気持ちとか体調が良くなってくると、いつものせわしない気分に戻ってしまって案外DVDとか本とか読まなくなっちゃうのな。貧しい頭だよなあ。ドチャメンコ8号でちょっと遠出でもしてみますかね。車椅子でコンビニの買い物ってしたことがないものなあ。経験しておく価値はあるよね。で、本も読まずに9時消灯、早寝。日常とさほど変わらないから違和感ないね。

2月12日(金)
身体が落ち着いてきて、断続的ではあるけれども、睡眠らしい睡眠がとれるようになってきましたよ。ごはんもおいしいしね。でも毎食後の歯磨きやお箸洗いなんかに随分時間がかかっちゃうんだ。

今日はベッドの上でCPMを60度程度から始めたら、リハビリルームの予約と重なっていたため、急遽車椅子でリハビリルームへ連行され、理学療法士のお嬢さんの指示であれこれ。こちらは比較的無茶はないが、やっているうちにじわじわ患部が痛んでくるような内容だな。でも、痛くなると、担当は優しい手つきでマッサージしてくれるんだよね。天使の手ってこんな柔らかさなのなあ……と、わたしの目はすっかりミカン目ですよ。ここでもいくらか投資を回収してる気分。

リハビリが済んでベッドに戻ってからは再びCPM。曲げ方向、75度、行ってみましたよ。目標は135度なんでまだまだ彼方ですけどね。終わったら疲れ果ててそのまま眠りこけちゃった。仕事はどうなるんでしょうか。お夕食までの間、いくらか資料集めと整理と構想練りをやりました。一応頑張ってます。ほんとだよ。

寝るまで、女房が録画してくれた「崖の上のポニョ」を観た。病的なまでに母性をテーマの軸に置いた作品で、少々わたしには???。母なる地球に収束するテーマかもしれんが、大人には陳腐に過ぎるなあ。つうか、幼児、幼女と母がいれば世界はクリーンで幸せに戻るという世界観は見た目無難ではあろうが、病的で怖いぞ。

2月13日(土)
やっぱし、膝の中であれだけの改造をやっているわけだから、内視鏡手術のおかげで傷口は小さいとはいえ、何かというと痛むよね。しかもハードなリハビリなんかやっちゃってるし。だから、通常は強い痛み止め飲んだ上、氷枕で冷やしっぱなしですよ。

まあ、ようやく日常生活のペース含め頭も落ち着いてきたので、仕事を進め始めました。これまでも頭の中でいろいろ練っていたけど、さすがにモノにしなくちゃね。今はどこでもそれなりの仕事ができるから便利。もし必要な資料をここに積んで、原稿用紙を前にしたら凍り付くばかりだもんね。

今日はリハビリは休日につきお休み。CPMは頑張って曲げ側85度、伸ばし側5度でいってみましたよ。まだサスペンションとしてはまったく機能していませんけどね。先のことを考えて、今日は初めて松葉杖の練習をしました。ナースピンクに背中を支えてもらいながらおそるおそる歩くんだけど、健常体で遊ぶのとは大違いで、左足がまったく役に立たないと、かなり怪しい。1回、完璧に転倒しましたからね。想像つかないよね、健常者。「次の練習も付き添いつけてね」と条件がつけられてしまった。いや、こちらとしては望むとことなんだけど(笑)


まあ、そういうわけで残りの時間は粛々と原稿書きをし、今頃「二十世紀少年」のDVDを観て寝ました。

2月14日(日)
今朝も、あのすてきな詩を読んでくださるあの方は、白樺の森の向こうからいつもの麦わら帽子に麻のジャケットを羽織って、丸い眼鏡に朝露を光らせながら姿を見せてくれるのかしら、と、高原のサナトリウムならぬ鉄筋コンクリート建て9階の窓から通勤ラッシュの国道246号線に列をなす大型トレーラーの列を見下ろしているわけだが、こちとらの原稿の締め切りが近づいてくると気持ちも殺伐としてきていけないや。

朝からCPM。頑張って曲げ95度、伸ばし0度から始めたけど、結構いけそうなので、30分経ってから曲げを105度にしてみました。なんとかいけますね。目標135度だったからいいとこまで来てるかな。

世はオリンピックが開会したのだそうだが、まったく興味のないわたしは、誰が何をやっているのだかもわからない。フィギュアスケートのナントカちゃんたちがでるんだよね、くらいの認識。そういえば、ボブスレーかリュージュで練習中事故があったそうな。実はあれ、ものすごく危険な競技で、わたしが取材に行った北欧のオリンピックコースで、練習中の日本のナショナルチームの4人乗りボブスレーがコースアウト、かなり深刻で悲惨な事態になったはずだったのに、まったく国内で報道されなかったのが不思議だったことがある。これが自動車レースだったら何を言われていたか。

実はわたしはボブスレーのナショナルチームの練習に同行したことがあって、非常におもしろい体験をしているんだが、理由あって、どこにも原稿を書いてないね。ちなみに、リュージュで本番コースを試走して途中で転倒して裏返しになったまま滑走したわたくし、というネタもあるんですけどね。(笑)

さあ、本来の原稿書かなくちゃ間に合わなくなっちゃう。今日昼寝したら、締め切りに追われてうなされる悪夢を観ましたよ。これでも病人だよ、わたしは……(泣)

2月15日(月)
朝から原稿書きの1日のつもりなんですが、こういうときに限っていろいろ予定が入るんですよね。まず午前中のうちにリハビリ室での1時間のリハビリと病室での1時間のCPM。お昼を食べたらレントゲン撮影。ついでに、誕生日の女房に花束を買ったりもしましたが。あっ、オリンピックとやらで脳死状態のTVは眺める気もせず、TVカードの300円は投入せず、地上波TVなしの1日です。

部屋へ帰って見ると、全床ワックスがけだとかで追い出されるし、落ち着いたと思ったら「お風呂の練習しましょう」とナースピンクが。今日でシーネが取れるので、お風呂の練習、という手はずだったのに、肝心のシーネはとれておらず、代わりの装具はまだ届いていないという状態で、ナースピンクと「どうする?」と顔を見合わせる始末。なんか、この病院、それぞれは頑張ってくれているんだけど、各部署の連携がうまくとれていない感じな。

この際、一緒に入って背中を流してくれても、わたしはかまわないんだが、楽しくなっちゃいすぎる気もするので、片足立ちのまま頑張って身体を磨く。さっぱりした後は、ひたすら原稿。構想ねっていただけあって、思ったより進みますね。編集が気に入るかどうかはともかく。と言いながら2月も前半が過ぎていくか……。