 |
1月16日(土)
ようやく平熱のまま寝て平熱のまま目覚めた。だが体力が明らかに落ちていて身体を起こせない。腰もまだ痛み、本調子ではない。申し訳ないが午前中だけ寝かせてもらう。ベッドの中で、今年の取材宿泊先の手配など。実は今シーズン、どれだけ現場取材に行けるかわからないような経済状況だが、準備だけはしておかなければならない。損をしてまで現場取材に行く気はないので、そのときは予約をキャンセルして別の仕事にシフトするまでだ。
お昼前にようやく起きてデスクに向かい、仕事をぼちぼち始めるが、ペースが上がらない。当たり前か。寝ている間に、FIA−GTがらみの事態がいろいろ進んでいたので、後追いで情報収集。昨年に引き続き、今年GT−Rの主戦部隊になると思っていたギガウェーブが突如破綻した後、どうなることやらと思っていたら新しいチームが決まって発表されていた。その名もSUMO POWER。スモパワー?スーモパワー? と調べてみるとそのままスモーパワー、すなわち「相撲力」というチーム名であった。すごいね、これは。
夕方になっても食欲はホンモノではない。ビールは飲んだものの、おいしくないし。(じゃあ飲むなってか)
1月17日(日)
徐々に復調。朝から仕事。金曜いっぱいで仕上がっているはずの2本の原稿が、両方とも残り1割程度のところで足踏みしていたのを進めた。だがこの調子では週明けからの1週間が大変なことになるなあ。
そこそこ仕事は進み、良かった。夕食に豚肉と白菜の鍋いためを食べつつ、今夜はおいしくビールを飲んだ。取材の準備をして早寝。
1月18日(月)
自分としてはものすごく早起きしたつもりだったけれど、7時前の電車に乗ろうと逗子駅に行くともう通勤客がいっぱいだ。世間は厳しいのだ。
8時に新橋駅前でH誌カメラマンI氏と合流、カローラフィールダーで一路鈴鹿へ向かう。途中、サービスエリアで朝食代わりに桜エビそばを食す。途中、わたしが運転を担当、お昼過ぎに鈴鹿着。お昼ご飯にうな丼を食べる。
ホンダの新しいスーパーGT用マシン、HSV−010GTのお披露目会出席と取材が目的。会場のサーキットへ着いてみると、なんだか本格的な会場が用意されていて驚いた。ピットで簡単に見学会があるだけなのかと思っていた。
開場までのわずかな時間を利用して、プレスルームでメールチェックをすると、納めたはずの別件原稿がサーバーから戻ってきている。慌てて納品先に連絡を取るとサーバー不調の模様。別サーバーに納品し直す。
発表会で取材。その後の懇親会でも取材。HSV−010GTに関係のない仕事も1本抱えていた。しかし、このご時世に、こういうこだわりのレーシングカーを作ってしまったホンダの良い意味での空気の読めなさに拍手。技術に関わる人間はこうでなくちゃ。雰囲気に飲まれてエコエコうなされている方々は、後の方に下がっといてね。
ホテルに戻って、I氏とホテル下のレストランですき焼き御膳の夕食。ビールはサービスで1杯ついてきたので、焼酎をボトルでもらって飲む。昼間から高カロリー食を食べ続け、わたしの胃袋は限界近かったが、人の悪口を交えつつ語らっているうち、なんだかんだと焼酎は720mlを2本飲んじゃいましたよ。
夕食を終えて幸せになって帰ってくると、先ほど納めた原稿に直しが入ると予告の電話があって一転不幸な気分に。早く起きて明日片付けようとそのまま倒れて寝た。
1月19日(火)
朝になっても直しの指示は来ておらず、朝食を食べたりお風呂に入ったりして、9時サーキットへ出発。プレスルームで、さらに別件の原稿書きに着手。10時からのテスト走行を横目で眺めつつ、原稿を書く。どうやら直しの指示はやはりサーバー不調でメールごと電脳世界の迷子になっている模様。改めて送り直してもらうことに。

目になじんでくると、格好いいね、このクルマ。
夕方には別件で東京で取材の予定があったので12時の走行終了まで見届け、タクシーで白子駅へ。ちょうど近鉄とうまく連絡して15時30分ののぞみに乗れた。のぞみの車中で、1本原稿が仕上がり、メールで送信。こちらは締め切り1日前だったかな。
東京駅丸の内北口オアゾ内の喫茶店で東京R&DのO氏、元社員のM氏のインタビュー。取材目的はともかく、レーシングテクノロジーと物作りについて、いろいろと考えさせられる内容だった。取材終了後、ひとりで階下にあったJAXA情報センターを見学。液体ロケットエンジンの展示とか、HUBをはじめとするロケットやら人工衛星やら国際宇宙ステーションの模型やら、眺めて楽しかったですよ。衛星写真のコーナーでは係員のおじさんがあれこれ細かく説明もしてくれたし。
そのまま帰宅。帰路、原稿書きをしたらなぜか若干車酔い状態になったので仕事をあきらめた。帰宅後夕食。結構疲れ果てていて、早寝させてもらった。
1月20日(水)
朝から必死で原稿書き。もう考えられないスケジュールで原稿をあげなければならない。夕方まで突進して、夕方逗子駅から上京。現在進行中の某仕事に関わる面々が集合しモツ鍋を囲みつつ打ち合わせをする会。
逗子から湘南新宿ラインに乗ったら恵比寿は1時間。車中で原稿書き。少し早めに恵比寿についたのでずいぶんにぎやかになった恵比寿の夜の街を散歩して時間を潰そうと思ったら、突然街中で名前を呼ばれてびっくり。なんとスペインバールで、これから集合する予定のA氏、H氏がシェリーをなめながら時間つぶしをしていた、その目の前をわたしがきょときょとしながら通り過ぎたので呼び止めたそうな。わたしら、何か悪事を犯しても、立ち回り先ですぐ一網打尽でとっつかまるタイプだな。
恵比寿「黄金屋 隠れ家」。店の前でI氏と合流。おしゃれなモツ鍋屋さんだったが、ちょっと若い女性客におもねりすぎの、大人の男4名が集うには気恥ずかしいお店でした。Aさん、ごちそうさまでした。
その後、バー五へ行き、飲み直し。話題は、この先フリーランスはいかに時代を乗り切るべきか、という方向へ。日本モータースポーツ記者会(JMS)に入っていない4人で悪巧み。わたしはマイヤーズをロックで。
新宿方面では別途、知人の集いも催されていたが、原稿も抱えているし、終電前の帰宅を決意。まだ湘南新宿ラインも走っていて、案外早く逗子にたどりついた。小腹がすいたので松屋のカレーを食べてタクシーで帰宅。メール類をチェックして倒れて寝た。
1月21日(木)
朝から必死で原稿書き。間に合わなかったら申し訳ないの一念。そう思うと、結構仕事が進むってことは、ふだんだらけてるってことか? そうではないと信じるが。
先日、沖縄のお店に注文した「おじーのウコン」が届いた。これは数あるウコンものの中でも、「あれれ!効いてるぞ!」と驚いたしろもの。だからわざわざ沖縄に注文したんだけどね。

パッケージのデザインも、いかしてますよね。こんなオジーになるよ〜。
必死に仕事を進めるばかりの1日。今年は打ち切られるかなと思っていた仕事の打診があり、なんとか今シーズンもニッポン、スーパーGTの取材に出かけられそうな目処が付いた……かなあ?
1月22日(金)
朝から必死で原稿書き。書いていると、いろんなことを調べたり考えたりしたくなるが、今回は脇道にそれている時間はない。最初に作ったプロットまっしぐら。少々遅れたけれども、なんとか2本納めて、脱力。
1月23日(土)
次の原稿があるけれども、少々休ませてもらう。と言っても、次の原稿と次の次の原稿の資料整理やら、月末の事務仕事やらと、原稿を書いていないだけで結局仕事はしているわけだが、脳みそにかかるストレスは段違いだ。朝、イラストレーターの寿福隆志氏逝去の知らせ。何度か取材現場で一緒になった。綿密な資料集めの姿が思い出される。なんだか知り合いが立て続けにたおれていくような気がする。冥福を祈る。
昼過ぎ、上京する女房を逗子駅に送る。わたしもどこかへ遊びに行こうかと思うが、今ひとつ気持ちが踏み出せず、家へ戻ってだらだら仕事を続ける。夕食の時刻になり、さすがに逗子へ。バスに乗っている段階で、まだどこで何を食べて何を飲むか決めていなかった。茅ヶ崎やら辻堂まで足を伸ばそうか、大船やら藤沢でも探検しようか、最寄りの東逗子で用を済ますか……。
結局逗子へ出て、味噌ラーメンに餃子を食べつつ、あれこれ考えた挙げ句、何年も前から気になっていたスナック「クルワカン」へ突撃。逗子人ですらあまり歩かない路地に、来る者を拒むたたずまいのこの店、逗子在住歴の長いA氏さえ「あの店、何か知ってる?」とわたしに聞くような存在である。
この手の地元店は、常連が集っていて大失敗しがちなのだが土曜日の早い時間だし、そのときはそのときで店を変えればいいだけだと突入した。そうしたら中は上質な昭和の、だけども妙にアバンギャルドな内装で、そこにバーテンとホステスが。これぞまさにスナックの王道。一瞬、何かタイムスリップしたかの錯覚に襲われる。ガラパゴスかタスマニアか、はたまたロストワールドか。きけば四十数年前から営業している逗子の老舗中の老舗であった。なんと常連最高齢は90歳を超えており、今も元気に飲みに来ては壊れたように歌って帰るとか。こりゃ失礼。
この際だからと、逗子の夜の事情についてあれこれ話を聞く。そのうち、常連のおじいがぽつぽつ現れる。みなさん地元の方で、話がおもしろい。ええっ?? 逗子海岸って、元々有事の際には駐留米軍の上陸用舟艇が押し寄せる拠点として設計されたんすか?? という感じ。ホステスもずいぶんな数が出勤してきて、とうとう団体客がボックスに入って店は大賑わい。こんな店が逗子にあったのだなあ。驚きつつ焼酎を飲む。これは思いがけない掘り出し物かも。
逗子の豆腐店店主で某大学ヨット部監督のK氏とは、かつて逗子にあった「キノコラーメンの店」の話で盛り上がる。この店、店構えからして普通のラーメン店ではなく、それこそ来る者を拒みまくり。逗子に引っ越したばかりのわたしにはとても入れず、前を通るばかり、いつか試そうと思っていたら「キノコの研究に没頭したい」と張り紙を残してあっけなく閉店してしまった。没頭する対象がラーメンではなくてキノコの方かい、とずっこけたもんだ。なんとK氏、この店に突撃した経験のある勇者であった。逗子の古株ですら、かなりの決意が必要だったとか。けったいな街ですね、ここは。
けったいと言えば、東逗子近くの焼き肉屋さんも話題にあがった。この店の名が「イリヤちゃん」。なぜにイリヤちゃん? だがイリヤちゃんは、正確には先日までの旧名で、今は「仔牛苑」に改名。こうしえん? こうしえん?? ちなみに逗子駅前商店街には、「ウララ」という八百屋さんがある。カタカナのウララ。なのに八百屋さん。この店名の由来は結構有名。やっぱりけったいな街ですね。結局12時の閉店まで飲み続けてしまった。タクシーで帰宅。
1月24日(日)
朝から仕事。女房がいないので、お昼には先日行って気に入った「康楽」へ行って、メンチカツ定食を食べた。午後もだらだら仕事。夕方、女房が帰逗子。駅まで迎えに行き、ついでにお寿司をテイクアウトして夕食。女房は前夜一緒に遊んでいた友人のT氏からCDをあずかって持ち帰った。
とある有名シンガーソングライターの曲にとある有名作詞家が詞をつけてとある有名シンガーが1978年に歌った曲が聴きたくて、ネットでさんざん探したが入手できる音源がない。で、半ばあきらめていたところ、なんとまあT氏がその有名作詞家と昵懇の仲であるという。だもんで、先日彼女が我が家へ遊びにきたとき、有名作詞家に会う機会があったら話をしてくれと頼んでいたら、本当に話してくれて、事務所を通して当時のEP盤からCDを焼いてくれたのだった。
30年ぶりに聞いて泣けた泣けた。名曲だ。ぜひとも紹介したいが、このような経路での著作物入手が果たして胸を張って語れるものなのかどうかよくわからないので、ここではごまかしておく。でも、いい曲なんだ。カラオケにもなっていないし、少々マニアックだけど。ただ、生産者直送品は強烈に高くつきそうだな(笑)
1月25日(月)
なんか、得体の知れない花粉でも飛んでいるのか、身体も頭も重い。女房も同じ症状。仕事を仕上げなければならないが、短い原稿なのに行ったり来たりして全然前へ進まない。と苦しんでいたらお昼頃、非常に悲しい報せが届く。祈りは通じなかった。切なくてかなわない。この世の無常をかみしめる。
ベテランエンジニアから、F3のロガーデータ公開について相談の電話。非常に興味深い資料を手作りされたそうで、なんとか公開する道を考える。
苦しみながら原稿をなんとか仕上げて、納品先のI氏に半ば押しつけた。ここ数日左膝が痛い。スポーツドクターの診断を受けるまではあきらめていた故障が、手術すれば治るかも知れない、と思った途端に意識の中に入ってきて、今まで気にしていなかった痛みを意識するようになったということなのだろう。明日にはもう一度ドクターに会って手術の相談をしなければいけないが、気持ちは千々に乱れるなあ。
1月26日(火)
原稿書き。午後、整形外科へ行き、左膝の相談。結局2週間近く悩んだけれども結論は出ず、医者と相談して「今、治した方がいいと思うか?」と聞き、「治した方がいいと思う」との答えを聞いて、手術へ向けて踏み出した。とはいえ、仕事のことを考えると2月のうちに手術と2週間の入院を終えてしまいたいし(それでもかなり厳しいが)、もしそれを逃すと、時間はシーズンオフまでない。ひどく急な話だが、唯一2月8日手術、という枠があったので、そこへ向けて検査を受けてみることにする。
帰宅後、また原稿。いろいろと予定が動き、前倒ししなければならない。早寝。
1月27日(水)
実は25日、義弟の娘が亡くなった。重い障害を持って生まれて来た子だったが、生後100日あまり、頑張っていた。奇跡を祈っていた。とてもかわいらしい子だった。でも思いは届かず、天に召されてしまった。葬儀のため、早朝から上尾の義弟宅へ。その後、火葬まで立ち会い、生まれた病院から退院することもなくこの世を去ってしまった義理の姪の死を悼み、冥福を祈る。
帰宅後、原稿書き。とりあえずまとめ上げて納品、早寝。
1月28日(木)
朝一番で家を出て、東海大学医学部付属病院へ。前十字靱帯再建手術へ向けた検査のため。受け付け開始の8時前に着き、レントゲン撮影、血液検査、尿検査、心電図計測などなど。スムーズに進み、結果は問題なし。最終的に担当医師と手術と入院の段取りについて確認。すべての作業を終えてお昼には帰宅できた。6日入院、8日手術と決まった。
夕方、上京。まずは新逗子で頭を刈る。赤坂V社でA氏とあれこれ打ち合わせ。逗子在住のA氏、実はわたしが入院する病院にちょうど同じ時期1泊2日の短期入院の予定だとか。なんたる偶然。打ち合わせの続きは病院で、と笑う。
その後五反田へ。昨年末、制作に関わった「NSX−GT1997−2009」の打ち上げ会。編集部員と、協力いただいたH社広報部員M氏で炙屋小鉄。その後、編集長A氏、M氏とバーザナドゥ。終電間際解散、わたしは渋谷へ移動し、松濤倶楽部でグラッパ。バーテンT氏が、入院に備えて特別ドリンク(笑)を用意して送る、と言ってくれる。3時、東武ホテルで気絶。
1月29日(金)
朝、お風呂に入ってチェックアウト。その足で東急ハンズへ行って、買い物。ハンズではいつも「何か買わなくちゃ行けないものがあったよなあ、でも何だったっけ」状態になるなあ。首を傾げながら、プラモデル工作用道具箱を購入。渋谷の街をぶらぶら散歩しながら駅へ向かい、湘南新宿ラインで帰宅。
午後は、あれこれ仕事のための調べ物をする。2月に入って動き出す大仕事のスケジュール調整。と言っても、わたしは2週間も入院してしまうわけで、うまく時間をやりくりしないといけない。
1月30日(土)
夜は横浜で友人M氏の誕生パーティーだったので、今日は朝からお休みとさせていただく。朝10時、逗子のお花屋が開くのを待って、先日女房が注文していた花束をピックアップ。本当は横浜駅のコインロッカーにキープするつもりだったが空きがなく、新橋駅のロッカーに保管。せっかくお休みだから、浅草で演芸見物をすることに。
今日は演芸ホールで正統派?と思ったけれども、正統はDVDもあるわけで、やはり若干寒気と緊張にさらされるイロモノ、と結局東洋館へ。いやいや、今日も期待を裏切らず、寒かったですよ。でもこの温度はTVでは絶対に感じられない。
16時半にひけ、浅草を散歩しながら駅へ向かい、新橋で花束を引き取って横浜へ向かう。今日も「おじーのウコン」で武装。関内からぶらぶら歩くとちょうど約束の18時半に伊勢佐木町は「純ちゃんのダイニング」へ到着。まだ誰もいなかったが続々と人が集まる。主役M氏、友人でありパリから一時帰国中T氏、元編集者今はレース界の裏フィクサー(笑)であるK氏とその彼女、世界で戦うスーパーバイクライダーK氏、M氏の仕事関係者、さらにライダーK氏奥さんが合流、大騒動に。濃い顔ぶれですなあ。レバ刺、ユッケ、ケジャン、各種チヂミなど、大変おいしゅうございましたよ。
2次会はカラオケバー&パーティースペース「EVIL」へ。ここには、それまで新橋で別件飲み会に参加していた我が女房が泥酔状態で合流、さらにどんちゃん騒ぎになる。たまにはこういう騒ぎもいいですね。お開きは3時すぎ。横浜泊まりの方々もいましたがわたしは女房とエルグランドのタクシーで帰宅。寝たのは4時すぎでしたとさ。

真夜中の伊勢佐木町で歌って踊るバカ2人。
1月31日(日)
さわやかに(だけど遅めに)目覚め、康楽へ女房ともどもお昼を食べに行く。味噌ラーメンとタンメン。前夜飲んだことがバレバレですね。
帰宅後は粛々と仕事。
|
|