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1月1日(木)
去年の今頃は、頭の具合が悪く、抗不安薬のセパゾンを頓服したりしていたのに、今年は弊社を取り巻く環境がはるかに悪く先も見えない有様なのに、わたしの頭の具合はむしろ快調で、不安どころか「なんとかなるさ〜」とお気楽なもんだ。もう少し不安になった方がいいんじゃないか、と余計な不安感をおぼえるほどだ。
夕食後、アラスカのライブカメラを確認したら、見事なオーロラが観測できた。一度、ホンモノを眺めてみたいとは思っているのだけれど。
1月2日(金)
女房の作ったお節料理を持って、実家へ。今年は例年になく道が混んでいる。ガソリンが安くなったからだろうなあ。
箱根駅伝を眺めつつ、昼から母親と年賀ランチ……から、だらだらと夕食に突入。夜、お笑い番組を観て早寝。
1月3日(土)
朝、お雑煮を食べて早めに家を出た。墓参りして女房の実家へお年賀。早く着いたので、昨年に引き続き千歳台のユニクロで買い物。義弟夫婦と6人、義弟作の餃子を食べた。わたしはビール。女房の運転で帰宅。
ケーブルTVで放送されていた「波乗りレストラン」を観ながら夕食&追加ビール。波乗りレストランは初めてまとめて観たが、気恥ずかしくなるほど少女漫画っぽいストーリーに台詞回しで、がっかり。少しばかり読書と映画が好きな夢見る少女が何か勘違いすると、この手のものを書く。
1月4日(日)
今日は、走り初めの日と決めていた。昨年に引き続き、逗子−葉山の湘南七福神めぐりをするつもりで、前夜からあれこれ準備。ただ起きてみると気温が低く、億劫になる。気温が少しでも高まるのを待って、お昼過ぎから走り始めた。詳しくは走行日誌。
光照寺−寿老人、東昌寺−福禄寿、延命寺−弁財天、宗泰寺−大黒天、玉蔵院−恵比寿、長運寺−布袋尊、仙光院−毘沙門天とおよそ18.5kmを走ってめぐり、各所で神様のお顔を買う。これ、小さな土鈴で、最終的には福笹に七夕のお飾りよろしくぶら下げる趣向なのだが、福笹には大きな鈴がついていて、これも買ってバックパックに差して走ると、シャンシャンとサンタクロースの橇みたいな状況になるのでさすがのわたしも買えず、お顔だけ七つ集めて帰ってきた。

左から寿老人、福禄寿、弁財天、大黒天、恵比寿、布袋尊、毘沙門天ですな。
昨年同様、最後の仙光院でおみくじをひく。「末吉」。えらく調子の良かった昨年とは違ってあれこれ悲しいことも書いてある。総評は「船に乗って順風を待っている状態でにっちもさっちもいかないが、神を信じて誠実に暮らせばやがて順風も来て月も輝く」ということになる。いや、今の世相を思うにその通りである。待ち人は「来ず」とバッサリだが金運は「やがて開ける」はよろしい。旅は「待つべし」。ということで現場取材は控えめにってことかいな。まあ、心に留め置きましょう。
10日ぶりに走ったらダメージが激しくて、参った。帰宅後マッサージしまくり。その他は何事もなく就寝。
1月5日(月)
仕事場に溜まっていた仕事関係以外の書籍のうち、不要なものを抜き出す。本はどんなものであっても捨てないという原則を子供のときから貫いてきたけれども、もはや我が家はオーバーフロー状態で、数年前から少しずつ本を捨ててきた。近年は女房がブックオフに持ち込むという方法で、随分たくさんの書籍を処分した。今回はわたしも関わって書籍の処分である。
年末にも同じ事をしているが、とても追いつかず、年始にも数十冊の書籍を抜き出した。で、横須賀のヤマダ電機とブックオフへ。ヤマダ電機ではワイヤレスのヘッドフォンが欲しかった。このところ、狭くなった我が仕事部屋で仕事椅子にからまり、イライラの種になっていたのがヘッドフォンのワイヤだった。これがなくなれば、どれほど快適かと、昔から買おうと思っていたものだ。
ヤマダ電機でそれなりに納得できるものを見つけて購入、その他こまごましたものを買って、ブックオフへ。わたし自身、ブックオフの店舗に足を踏み入れるのは初めてだったが、この店舗、ブックオフにオフハウス、ハードオフが併設されており、本だけではなく古着や古道具も売買されているのでびっくり。自分が持ち込んだ本が値踏みされている間、店内を散策して興奮。これはおもしろい!
わたしは物を捨てられない症候群の人間だが、こうやって再利用されるのが眼に言えるのならば、物を手放すことにさほど抵抗感を感じないということに気づかされた。確かに、そう思ってヤフーオークションでいくらか道具を処分してきたが、まどろっこしいのであまり頻繁には利用していなかった。だが、ブックオフ(とその関連サービス)ならば、まとめて持ち込めば、割が悪いにせよ引き取ってくれるのだ。どちらにせよ身軽にならなければいけないのならば、ここを利用する価値はある。
数十冊持ち込んだ本は1500円弱にしかならなかったが、十分だ。帰路は女房と「あれを持って行こう、これを持って行こう」と話が盛り上がる。これをコペルニクス的転回と言うなあ。
帰宅後、ワイヤレスヘッドフォンを開梱したら接続ケーブルが別売りであることが判明、惜しくも手持ちがなかったのでテストも出来ない。しかたないのでアマゾンで、購入予定だった本と一緒にケーブルを発注。これが16時である。(明日以降へ続く)
早めにベッドに入り、稲垣某が主演している横溝正史ドラマを見る。ジャニーズ的大根役者がいなければ楽しめたのかもしれない。制作者も、内心そう思っていたに違いない。我が国の文化はどこへ行くかなあ。深夜バラエティーの「お試しかっ!」焼肉編の方が,心置きなく眺められたなあ。
1月6日(火)
朝、起きた瞬間から今日は水曜日だった。ということは、1か月ぶりに病院へ行く日だ。慌てて身支度してクルマで逗子病院へ。待合室に入って保険証を眺めているうち、「6日9時半」にこれもまた1か月ぶりの心療内科予約を入れていた。「いけない、予約をぶっとばしちゃった」と思いながら待合室で週刊誌を読んでいたら、看護師が「今日はいつもの先生がいらっしゃらないんだけど……」と声をかけてくる。会話がどうも噛み合わないなと思っていたら、わたしが1日日付を間違えていたことが判明。出直すことに。ということは今日は「6日だから心療内科の予約に間に合うぞ」と慌てて違う病院へ飛んでいく。
心療内科では、もう抗鬱剤は必要ないだろうと、ようやくの卒業勧告。睡眠導入剤は逗子病院でもらえばいいだろうということになった。確かに去年の今頃は「頭の調子が悪い」と日記に書いて抗不安剤を頓服したりしている。随分わたしの頭も爽快になったもんだ。
帰宅後、11時にアマゾンから荷物が届く。「え?前日16時に発注したばかりだぞ?」といつもながら頭がぐるぐるする。たかだか20時間しか経っていないではないか。アマゾンの出荷システムはいったいどんな状況になっているんだろう。こりゃ、そこらの小売店の商売が成り立たなくなるのも納得だ。
午後、女房に逗子マリーナまでクルマで運んでもらい、逗子市内一周駅伝で担当する第5区の試走。可もなく不可もないタイムで4.4kmを走りきる。いや、不可かなあ? まあ、これで許して貰おう。第5区を走りきったあとは自分の足でジョギングして帰宅した。
この年末年始、TVのバラエティ番組には、オリンピックにアマレス選手として出場した娘を持つ元プロレス選手が、かなりの頻度で露出している。個人的にこの人は受け付けない。そもそも娘とセットで、なんで元プロレス選手がしゃしゃり出てくるよ。しかも「気合いだ,気合いだ」と暑苦しいったらありゃしない。この人をTVに出しているのは誰よ? と本人には申し訳ないが知人でもなんでもないわたしとしてはムカつくばかりだ。これはどういう仕組みなんだろうなあ。それとも、皆さんに人気があるってことなのかい?
体調を心配していた知人から年賀状が届いた。いくらか安心した。
1月7日(水)
逗子市内一周駅伝に出走予定である。一昨年は、補欠として参加し、レースには出なかったにもかかわらず打ち上げで飲みまくった。昨年は予定が合わず不参加。もう忘れられたかなと思ったら、今年は我が地区にBチームが設けられ、正選手として第5区を担当することになった。逗子市体育会の役員がわたしの住む住宅地にいて、平日の昼間にトコトコ走っているわたしの様子を眺めていたようで、異例の抜擢というか余計なお世話というか。周囲は中学生や高校生がほとんどで、当然ながら飛び抜けた最高齢選手である。まあ、楽しんでこようと思う。
朝一番で逗子病院へ行き、採血。睡眠導入剤の処方をお願いする。ひょっとしたら睡眠導入剤も必要ない状態になっているかもしれないが、今、快調なのでわざわざリズムを崩すようなこともしたくない。
今日も家捜しして不要な書籍を抽出、スキー道具などと併せ、ブックオフに持ち込む。また数十冊を処分。年末年始で百五十冊くらい放出したかな。値踏みの間、わたしは横須賀のオートバックスに行ってスタッドレスタイヤを買おうと思っていたが、思ったより高く,二の足を踏む。そうこうする間に、ウレタン製の適合タイヤチェーンを発見、購入した。わたしのクルマはゴルフXの中でも大径タイヤを装着しており、これまで純正以外には適合サイズのチェーンが見あたらなかったのだった。というわけでスタッドレスタイヤ購入は見送り、古いスタッドレスタイヤだけ処分してもらった。
1月8日(木)
朝、クルマに乗って取材へ。南町田の駅で編集者F氏をピックアップ、御殿場はノバ・エンジニアリングへ。往路の東名高速上で、偶然、同業者I氏の車に出くわす。I氏も同じ雑誌、同じ特集の別件取材に出かけるところだった。
ノバではおもしろい話が聞けた。帰宅後は、原稿書き。だんだん、いつもの生活に戻ってきたなあ。とか言いながら、駅伝シミュレーションで8km弱、スピードトレーニング。まずまずの状況かな。
1月9日(金)
1日、だらだらデスクに向かって原稿書いたり事務仕事したり。外は、久しぶりの雨。落語百選のDVDを観たり原稿書いたり。今ひとつ、気持ちがすっきりしないのは正月休みボケか?
1月10日(土)
駅伝前日、身体を休ませようと思っていたけれども、逗子市内駅伝は最長区間でも6.5km、わたしが担当するのは4.4kmと、一気に走りきらねばならない。わたしにとってはスプリントに等しい高速レースである。それなら,少しでも身体を慣らしておいた方がいいかなと思い、とりあえず走った。
その後、上京する女房を逗子駅まで送り、ついでに散髪。帰宅後、近くの公民館で駅伝チームミーティング。受け取ったユニフォームにゼッケンをつけたり、いろいろな道具の準備をしながらスパゲッティをゆでてカーボンローディング(笑)し、早寝。
1月11日(日)
朝6時起き。ゼリー食品で朝ご飯。自転車で集合場所の逗子アリーナへ出向き、チームと合流。開会式の後、バスで第4中継所となる逗子マリーナへ。
「逗子市内一周駅伝」と言うと、市民親睦のためのホンワカした雰囲気がするけれども、とんでもなくて、すでに56回を迎えるこの大会、非常に先鋭的になっており、地区対抗部門に出走するチームは、中学、高校でバリバリ現役陸上選手だとか、ナントカ選手権に出た経験者だとか、その手の猛者を集めて、非常にレベルが高い。
なにしろわたしの担当する第5区4.4kmでは、トップの選手が16分で通過する予定になっている。これ、そこらのランナーではとても届かない、よほど訓練を積んだ「専門職」のタイムである。ちなみにわたしが先日試走したときのタイムは23分30秒だ。恐ろしいことには、交通規制の限界があって、トップ選手通過後わずか7分で繰り上げスタートとなるというルールになっている。
これでは、もし第4区の選手が首位でわたしに襷を渡してくれても、わたしは次の選手の姿を見ることが出来ないという計算になる。つまり、わたしなどお呼びではないレベルの大会なのだが、地域の体育会としてはわたしのようなオヤジランナーも引き入れたい意向があるようで、なぜかわたしにお呼びがかかった。
前夜のミーティングでは若めの補欠も当日立ち会い予定でいることが判明したのでさすがにその場で正選手を辞退したのだが、話を聞けば、第4中継所まで襷がつながるのは上位数チームで、残りはみんな繰り上げスタートになる、という話だったし(そりゃそうだよねえ、7分だもんなあ))「22、3分で帰ってきてくれれば御の字です」とか監督になだめすかされるし(試走タイムは23分30秒でしたとは言い出せなかった)で、覚悟を決めた。
そんな状況だったのに、スタート予定時刻が迫ってくるとワクワクしてくるからどんだけ競争好きなオヤジだよと自分で自分にあきれながら中継を待つ。結局首位がぶっちぎりで第4中継所を通過したため、規定時間内に襷がつながったのは上位4チームだけ、残り30チームは一斉に繰り上げスタートとなった。これも変なプレッシャーを受けずに済む、わたしにはありがたい展開だった。
ところがやはり大会のレベルは高かった。地域対抗部門以外に団体参加部門があって、そこには幼稚園の女性教諭だとか,地元のランナーズクラブだとか、比較的親近感(笑)をおぼえるチームが参加しているのだが、一斉スタートするやいなやわたしは主流からどんどん引き離され、最初1kmの登りで、早くもブービー争いを女子ランナーと展開するに至った。(ブービー争いだったとは走行後わかったことで、わたしはまだ4、5人は後ろにいると思いながら、いや、祈りながら走っていた)
2km手前で女子ランナーに先行されたが抜き返した。しかし2km過ぎてまた抜き返され、あとはじりじりと引き離されていった。この時点でわたしの後ろにはたった1人の選手しかいない。わたしはなんとか女子ランナーを追いかけて、交通規制が途切れないように頑張った。わたしの前で一旦通行止めが解除され、わたしが来るのを待って「おや、まだ選手がいたのか」とまた通行止めが行われるという状況は、あまりにも情けなかった。せめてもの見栄だ。
で、4.4km走りきった。タイムは21分10秒。「22、3分で」という期待はとりあえず短縮したし、100m平均29秒、平均時速12.47kmは自分としては上出来だが、出走34人中33位の記録である。とほほ。このオヤジのおかげで我が沼間Bチームは地域対抗部門で参加14チーム中12位となった。すまん。でもまあ、この年齢になってこの手のプレッシャーにさらされるというのも、なかなか気分の良いものではある。少なくともわたしは十分楽しんだ。
お昼は地域の集会所で体育会の長老たちを含め、慰労会(と言う名の昼酒飲み会)に出席。「デビュー戦だったがそろそろ引退したい」と挨拶したら「あと5年はいける!」と声がかかった。そうかあ、あと5年しかできないかなあと複雑な気分になった。
おととし,補欠で参加したときには,慰労会お開き後、地域の長老に連れられて東逗子かいわいで夕方まで飲み歩いたが、今年は身体を冷やしたせいか、くしゃみが止まらなくなったこともあって、そそくさと帰宅。風邪を悪化させたくもなかったのでお風呂に入って寝込んだ。
1月12日(月)
前日の駅伝で、走行終了後、身体を冷やしすぎたか、くしゃみと鼻水が止まらなくなり風邪気味なので、1日ベッドに入っていた。とはいえ、入りきっているわけにもいかず、校正を戻したり、ベッド上でノートパソコンを使ってあれこれ連絡や手配など作業はした。
なんだか、いままで痛くなったことなどない部分の筋肉が筋肉痛になっている。いつもと違う速さで走ると、いつもと違う筋肉を使うということだなあ。童夢の総帥、林みのる氏が出版した著書を直々にいただいたので一気に読了。いくつかこれまで謎だったことがいろいろ判明。それでなくとも、これはお勧めの本だ。
1月13日(火)
今日は、富士スピードウェイで、日本レース工業会が音頭をとって推進しようとしている「フォーミュラ20(F20)」の先行開発車3車種がシェイクダウンを行う。当然ながら、見物しに出かける。
前もって、林みのる社長には「(今回のシェイクダウンが無理でも、そのうちテストのときにでも)乗せてください」とお願いしていたが「いいけど、雪かも」と短い返事がメールで返ってきた。ところが、目覚めてみればなんといつにない晴天ではないか。10時の走行開始には十分間に合い、その段階で時間があれば乗れそうな状況に。

童夢の作品ですね。鮒子田氏がドライブ。
最も「乗ってみたい!」と思っていた童夢のマシンは、鮒子田寛氏がテスト。だが走り出しから「ぼくは午前中で十分だから午後は大串君が全部乗ってね」というありがたいお言葉をいただく。林みのる社長自らデザインしたこの宇宙的なマシンには、座るだけでもいいから乗ってみたかった。
で、午後、早速乗せていただく。鮒子田氏用のシートなので少々きつく、ポジションが前にでてしまうため、シフトレバーが太もものあたりまで来て若干操作しにくいが、わざわざシートを取り外すまでもない。で、走った。シフトの感触がつかめず、シフトミスばかりが情けないが、想像通り、キャノピーの中での走行は異次元感覚でしびれた。エンジンのパワーの割にはちょっと車体が重い感じだが、へたくそには十分楽しめた。
午後2セッション乗って、2回スピン。強いブレーキングをすると唐突にリアのグリップがなくなる感じ。後ろが重いのかな?でも、それに慣れればへたくそでもコントロールできる。敢えて言うならば視界が狭く、クリップが見えないのがつらかった。

ムーンクラフトの作品。いや、こりゃ格好良い。火の鳥? 古い?
ムーンクラフトの作品は以前から由良拓也氏に写真や図面を見せて貰ってはいたが、正直なところ「こりゃちょっと、やっちまったなあ」かな?と思っていた。ところが走り出すとこれが格好良いのよ。時間がなくて「乗れないかな」と思っていたけれど、わざわざ機会を作っていただき、走行。この(言葉は悪いけれども)奇怪なスタイルの自動車に乗ったらどんな気分か、という興味というか興奮がなくなっちゃったから若い者が自動車から離れちゃったんだよね、きっと。
走ると、明らかに軽い感じがして、フォーミュラ的な挙動を示す。視界も良好。走らせるなら、このマシンが最も楽で、楽しいかも。ただリストリクターで吸気を絞ったエンジンなので、すぐに慣れてパワーが欲しくなる。でもF20はそういうカテゴリーではないんだよなあ、きっと。で、立て続けに東京R&Dの作品にも乗せていただいた。

東京R&Dの作品。最も完成形に近い。
童夢とムーンクラフトのマシンは暫定的にF4のエンジンを搭載していたが、こちらは純然たるF20用エンジンとのこと。外観も中身も非常にオーソドックスにまとまっている。走り出したら、これはもう完全なフォーミュラカーだ。ちゃんと「下手を許さない」気むずかしさもある。慎重に走り出したつもりだったのに、ついつい冷えたタイヤでアンダーを出し、最終コーナーで1車線分オーバーランしてしまった。スピードは出ていなかったので、下手に縁石またいでフロアに傷をつけたりしないように、大人しくそのまま止まったが、かえって芝と雪解けの泥で亀の子状態になってしまい、皆さんにご迷惑をおかけした。ごめんなさい。わたしが迂闊でした。
その後、慎重にグリップを確かめながら走り直し。このクルマがやはり「走る」という意味では最も楽しい反応を返してきた。いや、童夢のマシンもムーンクラフトのマシンも十分に楽しいのだが、その個性を理解して操作に反映出来るだけの腕があれば、もっとはるかにおもしろいはずだ。F20はただ速さを競うばかりではなくて、その特性を楽しむカテゴリーになるのかもなあ。いやもう1時間半近くにわたってみなさんのおかげで存分にF20を体感することができた。なんとかこのカテゴリーが発展し、できればわたし自身も楽しめるようになると嬉しいんだが。貴重な体験をさせていただいた。日本レース工業会および、童夢、ムーンクラフト、東京R&Dの皆様に感謝とお詫びを。
1月14日(水)
朝、歯医者。その後、逗子駅前のドコモで昨日から作動しなくなった携帯電話の故障修理。代替機を持たされた。早めに上京。新橋でデジタルカメラやらその他のものを物色。ついでにタミヤショップへ行って、おもちゃを眺める。眺めるだけ。
品川で松浦賢氏取材。おもしろい話が聞けた。それにしても、我が業界は大変な状況になっている。明日は我が身と……、思いながら気楽でいるのがわたしの強みだと信じよう。それしかない。
夜の町で一杯飲んでいこうと思っていたのに、なんだか明日の早起きを考えると気が重くなり早く帰った。
1月15日(木)
朝、5時半に起きて出張準備……。と思ったらふと気になることが。で、よくよく確かめると、出張の行き先が全く違うところで、まだ1時間は寝ていられることが判明。で、自分のいい加減さにあきれながら1時間二度寝。7時前にクルマで出かけた。今日は先日試乗させてもらったF20正式発表会があるが、どうしても外せない仕事だ。
というわけで朝の9時半から夕方の7時まで、みっちり仕事。ぼろぼろに疲れ果てて帰宅。体調もあまり良くなかったみたいだ。前日届いたカーナビの新しい地図ソフトを持って出て、帰路、インストールした。具合が良さそうだ。
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