8月後半 逗子通信




8月16日(土)
例によって「世界中が興奮しているオリンピックですが」とかなんとか、無責任なセリフを臆面もなくTVのニュースアナウンサーが平気で口にする、奇怪な国に住んでいるわたしだが、今日はさわやかに目覚めてさわやかに逗子に帰ってきた。ただ、金メダルごときで号外出すな、全国紙。アホになるのは3の倍数のときだけで十分だ。(しつこい)もっと報道すべきニュースはあるよな、たとえば米ロ合同軍事演習にアメリカが不参加を決め演習が取りやめになったことは米ロ間の緊張をしめすとかいう話。仲のいいときは仲良く戦争ごっこするってか?

駅前で頭を刈り、電池切れで止まってしまったままの腕時計を3つばかりまとめて時計店に持ち込み電池交換。その後、夕食においしい生ハムが食べたくなって、スズキヤでパルマのプロシュートを買って、別途買い物中だった女房に合流、買い物をして帰宅。今夕は、昔から女房共々知り合いの、パワフルなお姉様方が来逗子の予定だ。

帰宅後、軽く昼寝して仕事。夕方、逗子駅までお客様をお迎えに上がり、我が家で宴会。

8月17日(日)
遅寝遅起き。朝ご飯をみんなで食べる。その後はみんなで午後までグダグダした時間を過ごす。我が家ではお客様とはいえ、ふだんは放牧状態で特別なもてなしはしない。それも幸福のうちではある、と思う。

夕方前、お姉様方を逗子駅までお送りして、また昼寝、というか夕寝。夕食前に仕事をコツコツ。なんだか快調なのは、友人と会ってグダグダ過ごし、結果的に夏休みになったからか?こういう時間は大事なんだなあ。

とか考えながらビールを飲んで酔っぱらって寝る。休肝日はいずこ。

8月18日(月)
よくよく確かめてみると、心療内科の予約は16日だった。朝、電話して、今日の夕方に診察ワクをとる。

調査捕鯨を妨害したシーシェパードメンバーの起訴が決まった。ああいう、環境保護に名を借りたテロリストは、護衛艦でも派遣して有無をいわさず威嚇射撃でもすればよろしいと思う今日この頃だ。せっかく機関銃だかなんだか装備してんだから使わなくちゃ。

それはともかく、環境保護論者には、バランスの取れない輩が少なくない。わたしは大学の環境保護学科にいた経験を通して、いやというほどその手のヤツを見てきた。多分、一般社会は今頃になって環境保護に目覚めちゃっているものだから、見極めがつかないんだろう。声高に環境保護を口にする人間はそのメンタリティーを疑ってかかった方がハズレはあるまい。

一番始末におえないのは、世の中の動静を味方につけたと勘違いした集団である。国防婦人会のノリに重なって見える人々のなんと多いことよ。黒井ミサじゃないんだから、やたらエコエコ言うなって。

今日は1日ひたすら仕事。間に合うかどうかスレスレの分量を抱え込んでいる。いつものことだがサラリーマンのみなさんは、夏休み明けに締め切りを設定して夏休みに入られる。その結果、膨大な仕事がこの時期に集中する。

とある編集部からは「随分集中して発注してしまいましたが大丈夫ですか」と心配のメールをいただくが、分量としては大丈夫。なにしろこちとら、そちらから受注した仕事の3倍以上の分量になる仕事を同じ締め切り日で受けてるんだから。問題は、間に合うかどうかだけ。……って大問題だよねえ。すいません。

とか言いながら夕方心療内科へ。なんと前回の投薬は処方と間違った薬になっていた。おいおい大丈夫かよ。というか、それで快調だったわたしは何? 医者は間違いを認め謝罪したうえで「で、どっちにします?」とわたしに聞く始末。あのなあ。どっちでもいいならもう薬、飲まなくていいんじゃないか? と思いながら、大人しいわたしはお薬出して頂きました。

帰宅後も仕事。とにかく仕事。夕食は、お客様は帰ったというのに居酒屋メニュー。酔っぱらって寝る。

8月19日(火)
週末、鈴鹿へでかけるために片付けなければならない仕事が山のように溜まっていて、結局、今日も富士スピードウェイには出かけられなかった。昨日、今日と新しいフォーミュラ・ニッポン用マシン、FN09が公開シェイクダウンをする予定だった。忙しくて取材に行けないという悪循環。しかし、仕方がない。

夜までひたすら仕事。

8月20日(水)
朝一番で逗子病院、先月の血液検査の結果を聞く。このところの不摂生がたたって、中性脂肪と尿酸値が高い。いよいよビールを控えなくちゃいかんか。

帰宅後、ひたすら仕事。比較的頭の具合が良いのが救い。破滅的だった仕事も大分、切り崩した。

夕方、2輪、4輪の関係者を集めて開かれる屋形船の会に出かけるという女房を駅まで送る。わたしも誘われたがさすがに無理。わたしは仕事場にこもってひたすら夜中まで原稿書き。終電近い電車で帰ってきた女房を逗子駅でピックアップ。なんでも加賀山就臣やら井出有治やらも来ていたようで、楽しい会だった模様。

日にちが替わってから缶ビールを1本だけ飲んで、倒れて寝た。なんとか出口が見えたか。

8月21日(木)
朝から夜中まで仕事。なんとか、すべて形にして納める。

8月22日(金)
朝、出張準備。10時、逗子駅から上京、東京駅から新幹線でとある駅まで。駅でおそばを食べ、そこからタクシーに乗り、約束の場所へ行って仕事。

仕事終了後、仕事仲間と、とんかつ屋でとんかつを食べる。駅まで送ってもらい、新幹線で東京へ戻り、家へは戻らずそのまま新幹線に乗りかえて名古屋から四日市のホテルへ。今日は飲まないつもりだったが、よく仕事したごほうびに缶ビールを2本飲んで寝た。

8月23日(土)
朝一番で、近鉄に乗って白子へ。タクシーで鈴鹿サーキット入り。予定のインタビューを3本ばかり。

タクシー、近鉄で四日市へ戻ったのが8時頃。駅前で喜多方ラーメン&餃子&生ビール。ホテルでワンカップ酒を2本飲んで9時には寝た。

8月24日(日)
四日市から近鉄線で白子。タクシーに乗ろうと思ったら、7月末にシルバーストーン取材で一緒だったカメラマン、T氏がいらっしゃったので、ご一緒させてもらう。

木曜に納めた原稿に直しの依頼が入った。たまたま鈴鹿の現場で森脇基恭氏と雑談する過程で後追いの取材ができ、こちらとしても修正をしたい部分が生じていたのでちょうど良い。ただ、家を出てくるときノートパソコンとデスクトップパソコンの同期をするのを忘れたため、女房を遠隔操作して元原稿の文書ファイルを送ってもらう必要があった。そんなこんなで午前中は原稿の直し。

午後、GTA記者会見。09年に向けて、09年仕様のマシンが間に合うのはトヨタだけという問題について、初めて公式発表があった。前日も、その点についてあれこれメーカーの人間と話したばかりだったが、これで正面から仕事ができる。

午後、予定のインタビュー。後半は09年についての話。一旦決めた話が、ここへきてひっくり返るという、表面だけを見れば大問題だが、そこには様々な事情がある。同じひとつのメーカーの中でも相反する意見が錯綜していて、おいそれと外から触れない状況もある。ただ3メーカーに共通しているのは「スーパーGTを潰したくはない」という姿勢だ。これはJGTCから一貫しているメーカー間の共通認識だけに我々もそれを側方支援するのがひとつの道ではあろう。だがあまりにも情けない顛末についてはなんらかの形で公式の反省を促す必要はある。

決勝レースは、なかなかの展開ではあった。お客様は堪能してお帰りになるはずだ。レース後、また森脇氏と今後の国内レースの在るべき姿について話す。

表彰式を横目に、さて帰りのタイミングはどうしようか、ゆっくり構えて後泊しようかと迷っていたら、AS誌編集長が帰るけどどうすると声をかけてきたので、それでは帰ろうかと、正面ゲートまで歩いた。タクシーにはまったく待たずに乗れた。

白子から名古屋の近鉄車内で21時15分発ののぞみを予約。予約してから、大雨の影響で新幹線のダイヤが大幅に乱れていることを知る。どうする?とA氏と顔を見合わせながら名古屋に到着。新幹線乗り換え口で、ダイヤの乱れは3時間以上になっていることがわかり、わたしはそこで帰宅を断念、名古屋泊まりを決めた。

A氏は編集部に戻り、原稿の受けをやる必要があって帰京を決行。わたしはA氏と別れて、緑の窓口へ行き状況を再度確認しようとしたらもう改札で大混乱が起きていた。これはもうだめだと改めて名古屋泊まりを決意。予約した切符を電話でキャンセル(無料だった)し、駅前でコンピュータを開いて、ホテルの空き室を検索、目の前の名鉄ニューグランドホテルを予約。

夕食をとっていなかったので駅前で手羽先でも食べながら一杯やるかなとも思ったけれど、奥歯が痛い。というわけで牛丼を食べ、コンビニでお酒を買ってチェックイン。ワンカップ酒を1本だけ飲んで、寝た。

8月25日(月)
朝起きてニュースを見ると、まだ新幹線のダイヤが乱れているという。これにはびっくりすると同時に慌てた。早々に朝ご飯を食べ(朝食無料といううたい文句だったので楽しみにしていったら、朝食とは名ばかり、パンとゆで卵とサラダとウインナソーセージがあるだけ……って十分? わたしはご飯とお味噌汁が欲しかったんだけどな)チェックアウトして目の前の駅に行ったら、すでに30分以上の遅れが出ているという。

散々迷ったうえ、直近ののぞみを予約して改札を通る。そこへ遅れていたひかりがちょうど来たので、乗り込んだ。検札に来た車掌に事情を説明すると「この列車でいいのか?」と妙に確認をする。いいんだ、と答える。すると、わたしが予約したのぞみはたったの数分遅れで名古屋に到着し、わたしが乗り込んだひかりを追走しているらしいことがわかった。……って、いまさらわかってももうどうしようもない。これだけ全体のダイヤが遅れていても、のぞみは最優先で走っているってことだな。勉強になった。

無残にも途中の駅で、本来わたしが乗るはずだったのぞみに抜かれた。その後再び大雨が降ったらしく私の乗ったひかりは掛川でストップ。隣には、さっき追い抜いていったのぞみも立ち往生している。どちらの列車もドアは開かず、掛川のホームにいるお客はただ事態を眺めるのみ。みんなにとって悲惨な状況である。

30分ほど立ち往生してようやく走り始める。なんとわたしのひかりはもう1本のぞみに追い抜かれ、さらに新横浜の手前で再び立ち往生。その間、久しぶりに追いかけられている原稿はないわたしはゆっくり構えてパソコンでゲームなどして時間を潰していた。

ただし、東京で買い物をして帰るつもりだったが新横浜で降り、新しくできた駅ビルのビックカメラで必要なものだけを買って帰ろうと予定変更。ついでに鎌倉で女房と合流、銀行で事務手続をするついでにお昼を食べることに。

ビックカメラではICレコーダーを新しく買う。鎌倉で女房と合流。銀行へ行った後、小町通り入口の「デニームタルタル」でパスタのランチ。わたしは生ビールを2杯飲んだ。女房の運転するクルマで帰宅、昼寝。

夕方、デスクについて今週の予定を確認したら、出張の予定があって、原稿を書く日は2日しかないことを思い出し、しかもその1日には歯医者へ行く予約を入れたばかり。一転して結構厳しい状況に追い込まれた。1日2日はお休みできるかと思っていたのに、とんでもなかった。暗澹たる気持ちになる。

しかも買ってきたばかりのICレコーダーの動作を確認したところ、製造元のソニーはMP3ファイルに独自のタグを付け加えている模様で、外部のMP3操作プログラムがMP3を認識せずファイルを読み込めないことが判明。ソニーってば、ようやくMP3に手を出したと思ったら、余計なことをしてくれていた。本当にひねくれている会社だなあ。まあ、手間さえかければなんとかなりそうなので、このまま使い続けるつもりではいるが、ここでも凹んだ。

8月26日(火)
編集部に予定を確認すると、わたしの勘違いが判明、若干作業量は減った。これでなんとか間に合うか。朝からひたすら仕事。

夕方、なんとか一段落。それでも夜まで仕事して、寝る前に女房が観ていたパイレーツオブカリビアンを途中から一緒に眺める。

ソニーのMP3ファイルは、WAVに書き換えれば外部アプリケーションでも読めることが確認できた。

8月27日(水)
ひたすら原稿を書き、夕方、東京へ夜遊びに出かける女房と逗子駅まで出る。わたしは歯医者へ。

奥歯の痛みは案の定、歯周病である。なぜこのところ歯肉炎が頻発するかというと、遺伝と加齢が原因であろうとは思うが、医者によると子供の頃に歯列矯正を中途半端に終わらせたため、上下顎のかみ合わせが不正になったことも大きく働いているようだ。今回も、かみ合わせが悪いため奥歯に必要以上の負荷がかかり、耐えきれなくなって、炎症を起こしている模様だという。

わたしは抜歯を覚悟していったのだが、奥歯の抜歯はその後のことを考えると厄介だ。人工歯根も入らない状況らしい。「もう駄目かもわらんけどね」と言いつつ医者は対症療法の大工事を施す。

逗子駅で女房と別れ、わたしは帰宅。駅前で買ってきたお寿司を夕食に食べ、原稿にとりかかる。歯の具合はとてもよろしく、お寿司がおいしい。よし頑張るぞ、と思った矢先。

8時前に、どうも原稿が進まないな、変だなと思ったら、急に頭痛がしはじめ、身体もぶるぶる震え始めた。あ、こりゃ歯の大工事の影響だなと、仕事の続行を断念、ベッドへ。というのも夜が明けたら早朝から大事な会議へでかけなければならないからだ。週末までに片付けようと思っていた仕事は週明けに回さざるをえない。

申し訳ない、ごめんなさい、と心の中で謝りつつベッドへ行くと、恐ろしい寒気に襲われ身体がぶるぶる震え、もう歩けない。まるでインターフェロンを注射したときのような激しい症状である。運悪く、頼れる看護師は渋谷あたりで楽しい宴会中。家の中を這って回ってタオルケットを集め、ジャージーを着込んで寒さに耐える。

体温はみるみる上がり40度1分へ。ああ、明日どうしよう、と思うがあまりにも激しい症状で、深刻な気分にもなれない。歯医者でもらった抗生物質と消炎剤と痛み止め=解熱剤を飲んで、震えながらTVを眺めるしかできない。

眠りたかったが、つらさで目が冴え、眠れない。本を読んだりTVを観たりして熱に耐えていると、2時過ぎから熱が下がり始め3時には37度台になった。これならなんとかなるかなと胸をなで下ろす。身体も頭も楽になって、ようやく眠れた。

8月28日(木)
目も歯も壊れているが、耳も壊れている。オマエはヘレン・ケラーかっての。耳は職業病だろうけれど、数年前から、ある特定の音域がすっぽりと聞こえなくなった。始末の悪いことに、わたしの目覚まし時計のブザー音がこの音域にハマるようで、ちっとも目覚ましの機能を果たしてくれない。といって女房は東京の実家に泊まっていて自力で早朝起きなければならない。女房の目覚まし時計とわたしの目覚まし時計を枕元に置いて、おそるおそる寝たが、幸いにして起きられた。体温も平熱になっている。

ただ、足がふらつく。今日はふだん行き慣れていない場所で大事な会議があるので遅れるわけにもいかず、確実に計算できる電車ででかけようと思っていた。だが歩くだけの体力に自信がなく、座っていられるクルマで出かけることにした。そのかわり1時間ほど早く家を出た。

渋滞にはまったけれども、1時間近く早く目的地に着いたので、ガストでモーニングセットを食べて時間調整。食欲があるからもう身体は大丈夫だろうと一安心。

午前中から昼食をはさんで夕方まで会議。クルマで帰宅。家に帰っていた女房(笑)がスパゲッティを作ってくれた。明日からの出張に備え荷造りをしてほとんどノックダウン。

8月29日(金)
今日は昨日とは違う遠隔地で会議があり、そこから直接富士スピードウェイの取材に入る予定。我ながらなんとハードなスケジュールかと思う。

早朝、クルマで出発、某所で会議。昼食を挟んで夕方18時半まで。そこから富士へ。東京を通り抜け、御殿場のホテルに到着したのは23時過ぎ。途中、3回ばかり土砂降りの雨をくぐり抜けたが御殿場の地面は乾いていた。

御殿場のマクドナルドで買ったフィレオフィッシュ&ビッグマックをビールで流し込んでバッタリ。

8月30日(土)
朝から富士スピードウェイにて現場仕事。その合間にあれこれ打ち合わせ。仕事が終わったのは20時30分。沼津港に魚を食べに行こうと誘われていたが、とても無理。沼津のホテルへチェックイン、I氏とホテル下の和食屋で魚やら煮物やら揚げ物を食べて飲む。

8月31日(日)
ゆっくり寝たので気力が出てきた。仕事仲間が「脳が腫れる仕事」と言ったが、言い得て妙。その腫れが引いた。

朝から富士スピードウェイにて現場仕事。FCJはなかなかおもしろかった。このところ安定して面白いレースになる。F3はもう末期的状況で、ポカーンと眺めるのみ。

フォーミュラ・ニッポンは、第1レースが大変おもしろかった。近年のF1では見られない緊迫感のあるレースだったと思う。だが問題は第2レースだ。

あの天候急変は誰の責任でもない。お客様には可哀想だったけれども、中止もやむなし。ただ、決断が遅かった。確かに一時期回復の兆しも見えたから、難しいところではある。なにしろコースではあんなに土砂降りだったのに、ゲートを出ると雨は降っていなかったというのだから。

これをもって、富士批判だとか2レース制批判が起きるだろうが、安易な短絡はするまいと思う。こちらもゆっくり構えて雨が弱まるのを待って帰ろうと思ったら、ちっとも弱まらない。某編集部K氏の身を挺した特攻により、駐車場まで運んで貰えた。でも横付けした車から自分のクルマに乗り移るだけでズブ濡れになった。

駐車場からゲートまで、走るのも怖いほどの雨。ところがところが、ゲートを出ると急に雨は弱まり、御殿場市内へ行くとなんと路面はドライ。なんという局地的豪雨であるか。確か富士スピードウェイの競技委員は、御殿場市内の天候を参考に競技続行の是非を判断しているはず。わたしが同じ立場ならば、やはり決断には苦慮しただろう。

昨年12月に購入した我が愛車、オイルチャージランプが点いた。オイル消費が随分早いなあ。帰路は、夏休み最後の日曜日だったのに比較的すいていて、すんなり帰れた。