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7月1日(火)
原稿書き以外の何もせず。新しいデスクトップコンピュータを導入しようとインターネットストアへ。Windows Vistaは、現状弊社の業務に耐えるOSではないと判断、旧XP仕様のものを探し、あれこれオプションを選択していたらページがタイムアウトになってしまった。これで購買意欲がそがれ、つうかめんどうくさくなって購入延期。
ランニングのみしてみた。
7月2日(水)
4日、マーチカップカーによるプレス対抗レースがあるので、どうやって出かけようかと考えるが、仕事もあるので編集部からの提案である4日早朝出発は無理と判断、前日から電車で出かけ前泊しながら仕事をやっつける作戦を立てる。
今日は、しばらく顔を見ていなかった母親の様子をうかがいに白岡の実家へ。母親お気に入りの回転寿司店へ行き、女房と3人で昼食。わたしはビールを飲む。
帰りは女房の運転で父親の墓参り。
7月3日(木)
今日こそは、と半年も遅れていた愛猫ひなたのワクチン注射のため磯子の主治医の元へ。大学時代からの知り合いである主治医自身の顔も見たかったし。
我が家で夕食を食べてから夕方、逗子駅で横須賀線に乗ろうとしたら、線路上の障害物があるとかで大船と久里浜の間しか電車が動いていなかった。しかたなく、大船まで出て東海道線に切り替え、小田原まで。その車中でこだまの切符を予約。落ち着いてからひたすら仕事。
10時前に浜松に着き、ホテルにチェックインしてやれやれと思った時にわたしの頭に「?」
なぜわたしはこだまに乗ったまま豊橋まで行かなかったのか、と。と、ようやく気づいてももう取り返しはつかないわけで、浜松駅前のホテルの部屋で原稿を書いて、睡眠導入剤を飲んで寝る。
7月4日(金)
6時に起き、東海道線でトコトコ豊橋経由蒲郡へ。なんでも三島あたりで豪雨が降っているようで、編集部からのクルマが1時間ほど遅れるという。わたしは蒲郡で時間を潰すことにしたが駅前にはマクドナルドもスターバックスコーヒーもない。
と思ったら駅の構内に喫茶コーナーが。まさか営業しているまいと覗いたら、7時半から営業中で、しかも結構賑わって居るではないか。中に入ってみると、顔見知りらしいオジオバが語らいながらコーヒーを飲んでいる。壁にはコーヒーチケットのキープ用ポケットがあり満杯だ。話には聞くが、恐るべし愛知の喫茶店文化。
編集部のクルマに駅前でひろってもらい、マーチカッププレス対抗レースの会場であるSPA西浦モーターパークへ。初めてのコースだが、なかなか良く出来た施設だ。
前もってコース図は頭に入れていたが、それがかえって悪かったか、走り出しの1周目、S字の曲がり込みを間違えて曲がりきれずグラベルへ突っ込む。1周もせずにこれかよと自分が情けなくなる。時間も押しているので、走り込むことは出来ず。予選セッションの残り半分をもらって数周走る。
1年に一度は実際のレースをやっておかなくちゃ、と思っているので、「実際のレース」ではないにせよ、嬉しい機会。決勝では、3番目でステアリングを握る。順位争いはさほど緊迫した状況ではなさそうなので、チームの足を引っ張るまいとペースをそこそこに抑えて走る。と、前にクルマが見えて来て、「あれ?あれは抜かなくちゃいけないのか?」と無理はしないよう追いかけて、パッシングライト連射しつつ都合3台を抜く。いまだによくわからないが、全部周回遅れだったのかな??
順位には関係なかったかも知れないが、何にせよ3台をいろんな形で追い抜くのはおもしろかったのでよしとする。(自分としてはコースを本気で攻めきれなかったのは心残りだが、まあ、最初のコースオフの報いと思うことにする)最終的に我がチームは優勝できたし。毎年恒例のこのレースでイデアチームが優勝したのは初めてではないか?
編集部のクルマで横浜町田まで運んでもらい、そこからは編集部員F氏のクルマで自宅まで送ってもらうという大サービスを受ける。ありがとう。おかげでゆっくり夕食が摂れた。
7月5日(土)
今日は、「東逗子ふれあい市場」と銘打った地域振興イベントのお手伝いの日。日頃、公共イベントや施設名にはなぜ「ふれあい」という得体の知れない肩書きが多いのかと苦笑しているこのわたしが、まさにその肩書きを背負ったイベントの手伝いをすることになるとは思わなかった。「ふれあい」と言うだけに、もちろん、ボランティアだ。
朝9時に会場である東逗子駅前広場に近づくと携帯電話が鳴って、小学校で備品をはこびだしているところだからそこへ直接来い、との指令。実は、大昔、東京でわたしの担当編集者をしていたH氏が偶然同じ町内に住んでいて、その関係でボランティアグループにわたしを引きずり込んだのだった。
子供のいないわたしたち夫婦は、地域とのつながりが希薄である。それでなくとも東京からの移住者で知り合いは少ないし、ただでさえ人見知りはするし人と同じことをするのが大嫌いなわたしが亭主なので、我が家は下手をすると、この先地域の中で孤立してしまいかねない。元担当H氏のお誘いは、有り難い話、我が家と地域との関係を改善していくためにも必要なことと思った。
とはいえ、一般的な住人とは生活時間帯、というか曜日の異なるわたしゆえ、寄り合いには何度か顔を出したけれども本格的なお手伝いは今回が初めてだ。というわけで初めて地元の小学校に足を踏み入れ、体育館からテーブルやらテントやら折りたたみ椅子やらを、グループの親分であり東逗子界隈の顔役である畳屋さんS氏の業務用トラックで運び出す作業を始める。
その後広場に会場を設営。大汗をかく。午後からは、我々自身のブースを作る。テーマは子供が遊べる場所。それで大型さいころゲーム、要するにチンチロリンはどうかと思うが、まあ、子供がよろこぶならよろしい。実際、大盛況になったし。本日は前夜祭で午後4時から9時までの営業。意外だったのが「型抜き」に子供達の人気が集まった点だった。今の子供も、こういうのは好きなのな。
営業している大人もビール片手で、まあ、田舎のイベントとしては健全な形を見たような気がする。汗みどろだったが、反省会及び明日の打ち合わせと称する宴会に顔を出すと、驚くべきことに東逗子駅前ビルの地下にはミラーボール回るダンスホールがあるではないか。今はスナックとしてその一角が使われているという謎の空間になっていて、そこでボランティアのお父さんお母さんが飲んだくれる。新入りのわたしはご挨拶がわりに「あいざき信也」などやらかし、帰宅。日にちが変わるところだったが、そこからまともな夕食をとって寝る。
7月6日(日)
朝9時現場集合、本日はダーツ式風船割りゲームが我々ブースのメイン出し物。朝から風船膨らますオレ様は何者?とは思うが、これもボランティア。ふだんとまったく違う時間が違う速度でわたしの周囲を流れていく。
1日、ビール飲み飲み風船膨らましていたなあ。一生で最もたくさんの風船を膨らませた日だっただろう。本日は4時終了。撤収作業でまた一汗かく。
その後、親分の畳屋さんの作業場に畳を敷いて、主たるメンバーで打ち上げ&反省会。今日は軽くビールと焼酎を飲んで終わり。10時前に帰宅し、夕食。
7月7日(月)
ふだん使わない筋肉を使ったせいか、全身筋肉痛。ひたすら資料読み及び原稿書き。毛色の違う仕事で、作業の見当がつかず、プレッシャーをおぼえる。
とある方に連絡をとったところ「今、休暇でマダガスカルにいます」とお返事が。どひゃー。マダガスカルつったらわたしにとっては世界の秘境中の秘境だぞ。その秘境であるマダガスカルから必要なものをメールで送ってもらった。便利な世の中なのか、不幸な世の中なのか。少なくとも、わたしには有り難かった。
7月8日(火)
まだ身体が痛い。週末、風船を膨らましすぎたせいか、妙な偏頭痛に苦しむ。それでも資料読み及び資料作成。夜中までかかる。とにかく前倒しで進めなくちゃ、工数の見当もつかない。
日にちがかわるまであれこれ作業するが、別件の校正が飛んできたのでちょうどよかった。いつになく疲れて寝る。
7月9日(水)
ひたすら資料読み。不足分の資料が飛んでくる。また山ほど資料を読まなければならない。大変な仕事を受けちゃったな、というのが正直な気持ちだが、興味深い仕事でもあるので、実は嬉しくもある。
7月10日(木)
疲れが残る中、綱島のTRDへ行き、取材。帰り道。PC−DEPOでインクジェットプリンタのインクと、外付けハードディスクを購入。帰宅後は資料読み、というかプリントアウトだけで時間がかかる。
7月11日(金)
朝一番で新横浜まで送ってもらい、新幹線で名古屋、白子、鈴鹿サーキットへ。いろいろ予定が変わって、昨日、慌てて白子でレンタカーを1台押さえた。ニッポンレンタカーは四日市から津まで、ほぼ満車だったが、白子のトヨタレンタリースであっけなくヴィッツが借りられた。
サーキットの現場で仕事。提案していたとある仕事を、今日の夕方してくれないかという申し入れが有り、対応。その後、白子駅前のホテルへ帰り、荷物をほどいて、すぐに椿大社へ向かう。途中で夕食にラーメンを食べた。
実は、今日、鈴鹿インター先にある椿大社で執り行われる禊ぎの会に参加する予定だった。椿大社は、垂仁天皇が猿田彦大神を祀って造営した、日本最古と言われる由緒正しき神社である。ここには宿泊施設もあるので、レースの週末、鈴鹿近辺で宿がとれないときなどこれまで2度ばかり泊まったことはある。確かに古代神道の起源を思わせる深い森林に囲まれた立地で、いかにもな雰囲気のある神社である。昔から、鈴鹿に関わるレース関係者が参詣することが多かった神社でもある。
今回は、レースを通じた知人が、滝に打たれる禊ぎの会が金曜日の夜にあるからぜひと誘ってくれたので興味半分、行くことに決めた。彼女はわたしが肝臓を壊して苦しんでいた頃、椿大社から御神酒をもらってきて送ってくれたり、いろいろ気を遣ってくれた人だったし。
で、夜の8時半に深山に分け入って一行に合流した。彼女はわたし以外にも友人を呼び寄せており、顔合わせの後、禊ぎの会に加わった。で、まあいろいろあって、午後10時近くにふんどし一丁、はちまき巻いて、(女性は上下ある白装束だが)神社奥の滝へ集まり、かがり火のたかれる中、順番にひとりひとり滝に打たれるわけだな。「祓いたまへ清めたまへ、六根清浄」と叫びながら。
いや、これは異次元体験だった。みなさん、エキストラじゃないんだよねえ、と問いかけたくなったわたしはバチ当たり者なんだろうが、夜の夜中に、百人あまりの人が白装束に身を包んで滝に打たれに集まるんだから。
その後、身支度を調えて日にちが変わる頃には違うお堂に集まって護摩を焚く。最初は祝詞みたいなものを唱和しているわけだが、いつの間にか般若心経だ。ニッポン神道の奥の深さというか間口の広さというか、ある種のおとぼけ感に驚きつつ、場を過ごす。
そう言えばその昔、オーストラリアの砂漠のど真ん中にあるエアーズロック(今は現地人の宗教観を尊重してウルルと呼び、登ることもあまり喜ばれてはいないようだが)の頂上で、砂漠の地平線に昇る初日をおがんだことがあったわけだ。欧米人も「初日」は特別のモノのようで、結構周囲に登山者がいっぱいいたんだが、太陽が見えた途端に拝みだしたわたしたち日本人一行を見た彼らは仰天していた。それを見たこっちも仰天した。
そりゃそうだ。オレは一体何を信仰して何に向かって拝んでいるんだかわからないまま、敬虔な気分になって太陽拝んでたんだから。太陽神ラーでも拝んでいたかな。それはともかく、そのときは日本人の宗教観のグダグダさを痛感して帰ってきたわけだが、日本人の基盤と自称する神道ですら、この間口だからな。日本人というのはおもしろい民族だと思ったな。わたしは心情左翼だが、神道には強く興味を持ってホテルに帰ってきた真夜中の3時半であったよ。
7月12日(土)
禊ぎで睡眠不足になってボロボロで、とか言ったらまた罰が当たるのかも知れないが実際ボロボロで、(というのも、やっぱし清めてから寝なくちゃなとか思って、ホテルに帰ってからビール飲んだりしたものだから)朝、レンタカーを返して、そこでパートナーI氏と合流、クルマでひろってもらい、現場へ這々の体でたどり着く。
現場では、驚くべき情報がもたらされるが、どうも箝口令がひかれているようだ。1週間もたたず明らかにはなるだろうけれど、当事者の無事を祈る。
今日は一番忙しい日なのにな。しかも猛暑がやってくるし。あちこちかけずり回って取材して原稿書いて、その合間にメインイベントのF・ニッポンの予選を眺めてと、もうグルグル状態。でも、気合いが入っていたか、なんとかこなして、I氏、T氏と四日市のホテルへ。
もうそのまま焼き肉屋さんへ直行。前回I氏と行って、結構気に入った店。土曜の夜だけどあっけなく入れた。焼酎のボトルをとって、今後の打ち合わせ。激動する状況次第ではひどく忙しくなって、お二人の力も借りなければならなくなるかもしれない。牛タン、レバ刺し、おいしゅうございました。
7月13日(日)
若干二日酔い気味でシャワーを浴び、I氏のクルマで出勤。仕事、仕事、仕事。
ただし翌日のこともあったので、最終レースフィニッシュ直前にサーキットを脱出、帰路へ。ちょうど平手が本山をパッシングし、グランドスタンドが大歓声に包まれるその場にいた。これは結構、良い経験だったかも知れない。
帰路は順調に、眠って過ごした。夕食後倒れて寝た。
7月14日(月)
疲れ果てていて、朝起きられない。書きたい原稿があったのだが断念。整理作業だけして早めのお昼を食べ、上京。麹町B社へ。
いろいろ出版事情も苦しい中、決して良い話ではなかったが、新しい方向へ進むのにはいいきっかけにはなるかもしれないという打ち合わせだった。帰路渋谷へ出て、文房具を探すが望むような都合のよい物は見つからず、あたりまえのファイルだけ買って帰宅。一杯飲む時間も気力もなかった。
7月15日(火)
ひたすら仕事。作業過程の見当が付かない仕事なので、手が進むより先に頭と心が疲れ果てる。でもなんとかしなくちゃ。と言っているそばから新しい仕事の依頼が舞い込む。断りたいけど……断れない。
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