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6月1日(日)
なんのことはなく、ル・マン取材のパスは下り、ル・マン行きが現実化している今日この頃ではあるが、わたしの気持ちは重くなるばかりだ。外国へ行くのは本当に面倒くさい。10年前までは毎月のように海外へ出かけていたのに、腰が重いったらありゃしない。前回海外へ出かけたのは05年の6月末のこと、そのときにパスポートを更新しているから、まだ新品みたいなものだ。出入国のハンコでいっぱいになっていた昔のパスポートが嘘のようだ。
05年に出かけたときも腰は重かったが、とあるメーカーからの発注仕事で、行き帰りビジネスクラスに乗せてくれたからまだ良かった。今回は、行き帰りの飛行機は自費だから当然エコノミークラスだ。それにしたって、なんだかよくわからない燃料費だとかなんだとか追加されて、ベラボウに高く感じる。どうやってこの元が取れるのか。きっと取れないんだろう。
まあ、今回は童夢が新体制で出るわ、何度も取材してきた東海大の学生チームは出るわ、スーパーGTで親しみのあるチームは出るわで、こりゃ行かなくちゃだなと思い立っただけの話で、元々会社としての収支は考えちゃいないんだが、儲からないうえに面倒な海外渡航をしなくちゃいけないんだから、腰も重くなるわなあ。
しかも岡山でフォーミュラ・ニッポンやらF3やらの取材をして帰ってきたその足で出かけなくちゃ行けない。よくよく考えると家に帰っているヒマがないので、岡山から帰ってきたその足で羽田から成田へ行かねばならなそうだ。鬱陶しいなあ。とかなんとか思いつつ、ル・マンで行われているテストデーの様子をインターネットのライブタイミングを見ながら、仕事。いくらなんでも宿題を抱えて外国へ行きたくない。(と言いながら、きっと抱えていくんだろう)念のためにル・マンのプレスルームにLAN回線を注文したが115ユーロもした。悪評きわめて高い鈴鹿サーキットよりも高いよ、ル・マン。と、グダグダ1日を過ごす。
6月2日(月)
いろいろ調べ物しながら原稿書きの1日。一部、取材予定の宿泊地の変更や新規予約などして気分転換。
ポルシェ956/962Cの原稿を書いているが、「ポルシェハンプ」についての資料が、予想外にほとんど見つからない。その他、956のデファレンシャルについても記述されている資料がほとんどない。手元の洋書までひっくり返しているのだが、これは計算外だった。つうか、ポルシェハンプって、みんな知らないってことなのかい?
久しぶりに雨が上がったので、ランニング。調子の悪かった左太腿はほぼ完治。良かった。ウガンダ・トラ氏死去。身体は大事にしよう。
6月3日(火)
明け方、上の右奥歯が痛んで目が醒めた。このところ、少々怪しい感じがあった場所。いやな洋行を前に、目が醒めるようではよろしくない。
というわけで、朝起きて、いつもの歯医者に電話。主治医ではないが臨時に診てもらうことにした。午前中原稿書きをして、早いお昼を食べ、歯医者へ。案の定、歯周病のせいで奥歯の付け根がもはや風前の灯状態。電動歯ブラシまで導入してあれだけ手入れしてもこれだから、もうこれは遺伝とかそういう世界の話だなあ。
レントゲン写真を見せられたが、わたしの顎は、もうディスカバリーチャンネルで観るエジプトのミイラのX線写真を思わせるほど惨憺たる有様だ。でもまあ、いやな洋行の前に手当と薬の入手が出来て良かった。
帰宅後は原稿書き。ポルシェ956/962Cはいやというほど現場で見てきたし、資料もあるかと思ったんだが自分の記憶も怪しくなっており、しかも大事なマニアックな部分については案外資料がない。結局自分が大昔書いた原稿をコンピュータの中で検索したりする始末だ。年齢はとりたくないなあ。しかし、20年もこの仕事をやっていて、そこで書いた原稿やら資料をほとんどデータとして保管しておいたのは今にして思えば、よくやったな、オレ。外は嵐。
6月4日(水)
夜、ポーのWTCCをケーブルTVで観る。こういう悪コンディションだと、自分がレースをやっているときの気分が思い出されて、感情移入しやすくなり、ついつい見入る。日本でモーターレーシングの人気が出ないのは、やはり実際に自分で関わったことがある人間が圧倒的に少ないせいなのだなあと痛感。原稿を書いている立場にある人だってそうだもんなあ。
その後、アマゾンで買い集めた「と学会」物を読んでいたら止まらなくなって、寝ようかと思ったらもう外が明るかった。で、慌てて寝た。
起きてからは地味に仕事。岡山取材〜ル・マンの負担をできるだけ減らしておきたい。ランニング。昔買った洋書を調べていたら「あらららら〜」な写真を見つけた。ポルシェ956の風洞実験モデルではフロアトンネルのエンジン直下にあたる部分にルーバーが切ってあるのだ。確かに実車でもこの部分だけは金属製だったが、ルーバーはあったんだっけ、なかったんだっけ。わたしの脳味噌にはカスほどの記憶も残っていない。いやだなあ。今朝納めた原稿では明言しなかった部分なんだよなあ。
6月5日(木)
調べ物をしつつ、原稿書き。一旦納めた原稿について編集から注文がつくことがあるが、そりゃそのときはイライラするのだが、やはり相手の意向に沿う形の原稿へ書き換えていくという作業は、必ずしも悪いものではない。というかそうやって編集者と練り上げた原稿にはやりがいを感じたりもするわたしだ。
午後、歯医者に出張中の薬をもらいに行ったら臨時休診だと。おいおいと思うがあまり抗生物質を飲み続けるのもナニだし、消炎剤は家の中を探すとある程度出てきたのでそれでよしとする。
今日でしばらく女房の手料理を食べられないので「ナニを食べたい?」と聞かれたが、即座に答えは出ず。結局餃子になったが、これは週末の出張を考えるに、ベストチョイスだったかもしれないなあ。
6月6日(金)
朝7時に羽田まで女房の運転で送ってもらう。岡山へ。飛行機で落ち合ったI氏とレンタカーをピックアップ、岡山国際サーキットへ。飛行機が遅れたので、到着したときにはもうフォーミュラ・ニッポンが走っていた。
わたしは片付けなければならない宿題原稿があって、わざわざ岡山まで行きながらプレスルームで原稿書き。ナニやってんだか。夜は、CG誌のO氏ご一行様と津山で海鮮焼き肉屋さんで、お肉とお魚を焼いて食べ焼酎をかっ食らった。
はしごでバーへ。わたしはウイスキーを飲む。少し飲み過ぎた?
6月7日(土)
当然ながら、朝はランニングできなかった。I氏と出勤。いつものお仕事。今日最高におもしろかったのは、F3だった。なんと、ホンダの山本が勝ってしまったのだ。
関係者はエンジンが非力なことはよくよくわかっているので、もう山本が首位に立つや、山本を追い詰めるトヨタのカルロ・ヴァン・ダムは完全に悪役。なぜかみんなが山本を応援して勝ったときには安堵の拍手が起きた。こういうレースも珍しい。
パドックをかけずり回ってF3周りの取材。及び相変わらず宿題。このままル・マンへでかけるのでいつにもまして身辺をきれいにしておかねばならない。
夜はI氏と、ホテルそばの寿司屋へ。入った途端、はずしたかなと思ったが、予想以上においしゅうございました。ストレスがかかっているのか店の人間に止められるほど食おうとする。
6月8日(日)
今日こそ走ろうと朝起きたが、睡眠不足を感じたので二度寝。ゆっくり出勤。秋葉原では大事件がおきているそうな。最近、頭のおかしなヤツが本当に多いな。いやな世の中だ。
レースでは、松田の4連続ポールトゥウインはならず。勝負事というのは不思議なものだなあ。簡単に新記録は生まれず、何かが起きる。
松田と本山がリタイア直後に見せた怒りの表現は、いろいろ考え方はあろうが、わたしは諸手をあげて賞賛する。勝負師は、こうでなくちゃいけない。お行儀の良い競技者など、公費で支えられるオリンピック選手だけでゲップが出る。
レース後、脱出。岡山空港にはフライトの1時間半ほど前に到着。レストランでビールとラーメンをI氏におごってもらった。よくよく調べると、羽田から成田へ行くリムジンバスは9時すぎが最終で、下手をすると間に合わないかと思ったけれども間に合った。
3000円でリムジンバスに乗り成田へ。すでにひとけがなくなりつつある成田で、ホテルへのシャトルを待ち、成田エアポートレストハウスへチェックイン。まず、自宅から届いているル・マン向けのスーツケースを受け取り、中に入っているレンタル海外携帯電話を取りだし自分の携帯電話からカードを入れて生き返らせ、テスト。
その後で、最後の宿題原稿をビールとお酒を飲みながら自分に喝を入れつつ書く。帰路、ずっと頭の中でまとめていたから比較的スムーズに書き上がった。
6月9日(月)
岡山で使っていらなくなったものや洗濯物を国内用スーツケースに入れて自宅へ発送。朝8時のシャトルで空港へ。AFのカウンター前で編集部員N氏と合流、チェックイン。
その後N氏と別れ、わたしは文庫本を買いに行く。ついでにお寿司を生ビールでつまんだ。恒例の行事ではあるなあ。飛行機はすいていたし睡眠不足だったので、離陸もよく憶えていないようなタイミングで眠りに落ち、文庫本を開くまでもなく、機内映画を観るまでもなくうつらうつらして、食事だけはしてワインをたらふく飲んでまた眠る。というわけで比較的楽ちんにフランスへ到着した。
空港でレンタカーをピックアップ、N氏の運転でル・マンの宿へ。午後9時半頃宿(といっても看板も出ていないような民宿だが)に到着。荷物を置いて、近くのレストランまで歩いていき、ハンバーガーをビールで流し込んで、長い1日が終わり宿に帰り寝た。
6月10日(火)
日本人カメラマンが常宿としている民宿は、ダイニングルームのひとつ(いくつかダイニングルームがあるような大邸宅である)を仕事部屋に開放してくれ、インターネット回線まで引いてくれているので、メールチェックやら校正やらが容易にできる。便利は便利だが、果たして幸福になったのかというと、そうではないような気もする。
プレス受付が始まる時刻にサーキットへ出かけ、受付し、プレスルームのデスクを確保、個人用インターネット回線を引く。これもまた便利になったもんだ。わたしが初めてル・マンの現地へ来たときには、まだピットガレージは映画の「栄光のル・マン」に出てきたままの古めかしい建物で、ピットの裏には砂利敷きの渡り廊下があったもんだ。
ちょうど公開車検のために出走車両が出たり入ったりしている状況で、雰囲気もゆるゆる、まずはピットロードを歩いて各チームの様子をうかがう。
その後、ジャコバン広場の公開車検場へ出向き、アウディ、プジョーの車検の様子を見物。その後、同宿のカメラマンたちと宿へ戻り荷物をおき再び、ジャコバン広場へ行ってシーフードレストランで夕食。ビールがうまく、山ほど飲む。
帰宿後、仕事部屋でビールを飲みつつ6人ダベりながら仕事。寝た。

こんな螺旋階段を上ったところにある屋根裏部屋に住んでますよ。
6月11日(水)
朝、宿のそばのカルフールに寄って、朝ご飯、昼ご飯、夜ご飯を仕入れてサーキットへ。今日から公式予選だが、午後7時から2時間、午後10時から2時間で、それまではあれこれ取材したりしているから、まともなものをまともな場所で食べているひまがないのだ。こんなにルマンの仕事はつらかったかなあ。やっぱり遊びにくるところだなあ、。
予選では案の定プジョーが異次元の速さ。童夢はガソリン車トップの座を取り損ねた。明日は天候が悪化する予測なので、このままかな。最高速のデータは非常に興味深い。プジョーが早いのは当然として、プジョーに続くタイムを出したアウディは、童夢よりも遅いのだ。同じディーゼル車でも、まったく異なる性格のクルマになっているようだ。
高速でスピンしたとき縁石にひっかかるとクルマが宙を舞うという現象が多発。いろいろ取材してみると、「舞い上がらないように」定めた車両規則が、条件次第で逆の方向に働いているらしい。深刻な事態が起きなければいいが。

童夢S102のデザインが評判を呼んでいる。格好いいよなあ。

ドライバーはこんなところに収まる。ここに座ってレースはしたくない。
実は今日、ルマンのフルコースを自分の足でランニングしてみようと思っていたのだが、コースがクリアになる時間帯がなく、断念。なんとかもう一度トライはしてみよう。宿に戻ったら1時。仕事部屋でビール飲んで仕事の整理をして寝たのは3時頃だったかなあ。ホントに、ルマンは年取ってから来るところではない。
6月12日(木)
長い1週間だ。まだ木曜かよ、と思う。朝、宿のそばのカルフールに寄って、朝ご飯、昼ご飯、夜ご飯(のサンドイッチ)にビールを仕入れて、ビールのみはもう一度民宿に戻って冷蔵庫にしまい、出勤。
昼過ぎサーキットへ着くと、途端に土砂降り。CG誌O氏と計画していたコース1周ランニングは種々の事情により断念。仕事に徹する。と言っても、同時に開催されている「ル・マンレジェンド」にも興味を引かれるので、予選のためにコースインする出入り口に座り込んで皆さんがやってくるのを待つ。

ヨーロッパに、こんな個体や……

こんな個体が、個人所有で現存し、しかも走っているとは知らなんだ。
天気はきわどかったが、第2回目の予選もとりあえず行われた。童夢のタイムアタックはドラマチックだったが、日没寸前にローラ・アストンマーチンに逆転されて、ガソリン車首位はならなかった。アタックの途中ですでにギアボックスに異常が起きていたそうな。
前回来たときに「もう仕事でル・マンに来るのはやめよう」と思ったのを思い出した。もうおなかいっぱい。今回でわたし、最後のル・マン取材になるだろう。2時前に帰宅、ビールを飲んで寝る。50歳過ぎて仕事でル・マンに来たら身体を壊すって。
6月13日(金)
今日は、レースウィークで最も時間的余裕がある1日。だが明日からは最もハードな決勝がある。まずは朝、カルフールへ行って、明日、あさってに我々が食べるもの(既製サンドイッチと自作サンドイッチのための食材)を仕入れる。というのも明日決勝が始まってからは、帰国まで、週刊誌仕事があってまともな時間にまともな店へ行けなくなるからだ。(これまでもさほど変わりはなかったが)
買い出しをして、食品を民宿の冷蔵庫へ入れ、サーキットへ出勤。場内は、一般のお客様が増え始めて、急に活気を帯びている。わたしは、これまで現場での居場所がわからなかった由良拓也氏に電話を入れて会い、チームの状況を取材。一応自前のお昼ご飯を食べてから出かけたのだが、チームに帯同していた舘善泰氏にお昼を勧められて、ミックスフライ&ご飯のランチをいただく。
本来、わたしはパドックのチームスイートでご飯をごちそうになるのを避ける、というか苦手な人間だが、久しぶりのお米はありがたかった。これなら空腹のまま来るんだった。
と、由良氏と話をしていたら童夢の林みのる氏が現れて、わたしがお昼をごちそうになっているのを見て「大串くん、それならうちの方がうまいで」と、林氏らしい声をかけられる。その後由良氏、林氏と、きわめて興味深い雑談をする。ルマンはともかく、国内レース界の状況は予想以上におもしろくなりそうだ。
その後、童夢に話を聞きに行こうとして、歩く途中、下の写真を撮影。某トップチームのフロアパネルである。ここに、ここ最近のスポーツカーがちょっとしたことで宙を舞う原因が現れている。

某優勝候補筆頭のマシンのフロアパネル。写真の下が進行方向、にあたる。
中央縦、穴の間にスキッドブロックが付く。その両側、縦に線が入ってフロアパネルの平面に角度が付いているがわかる。これがマシンを宙に飛ばす真犯人。ここには7度の角度がついている。この角度は、本来は、マシンを宙に「浮き上がらせないように」設定された規定だった。だが、ある条件でまったく逆の効果を発生することがわかった。車両規則というのはおもしろいなあ。今、ネットの上で議論されている原因はほとんど外れている。等々というようなことは帰国後にどこかの雑誌でレポートするつもり。
童夢のスイートでは奥明栄氏と話し込めた。ああ、そりゃ童夢には金があるわけだ、と思うような景気のいい話。童夢カーボンマジックの工場はほぼフル操業状態だそうだ。そこで何が作られているかというと……これもまたそのうちどこかで。今回のル・マン決勝については、よほど上位に行ける目が見えない限りは、テストに徹するという。
そこに林社長が帰ってきて、メディアは何もわかっておらんと叱られる。いつものことではある。わたしの仕事はこれで集中して終了。ドライバーたちはジャコバン広場のパレードへ行くのでもうサーキットに用はない。ということで、プレスルームのセキュリティともめていた某NISMOの某柿元邦彦氏にでくわしたので、リザルト類をプレスルームからメッセンジャーとして運ぶ。
その後、まだ仕事があるという編集部員N氏に宿まで送ってもらい、わたしは、午後5時から7時まで倒れて眠った。誰かと、まともなレストランへ夕食をと思ってたけれども、これでタイミングを逃したので、結局カルフールまで散歩してサンドイッチを買い、生ハムのおいしそうなところを買ってきて追加で挟んで、豪勢なサンドイッチ(笑)にして、ビールとワインで食しつつひとり仕事。

我らが仕事場。
仕事と言っても、民宿のダイニングのひとつを占拠しているだけの話なんだが、今日はわたしがひとりきりだったので、周囲のバーベキューモードになっている新着イギリス人客と言葉を交わしながら、プチプチコンピュータをいじるのは結構シアワセだったかな?
6月14日(土)
夕べは久しぶりにゆっくり寝た。でも今日は早起きでウォームアップから取材。わたしが記憶しているル・マンよりもはるかに洗練された客さばきに驚く。EU効果なのか?
しかし朝から気が重い。というのも15時にレースが始まったら24時間もそのレースが続くのだから。体力、もつわけないよなあ。不謹慎にも担当したチームがスタート直後にマシントラブルでリタイアしてくれることを願ったりもする。すみません。
そんな本心はおくびにもださず各所で取材。ル・マンでは取材先に行くたびご飯を食べていけ、という話になるのでありがたいというか、何というか。ただ、今日はどこにもごちそうにはならなかったなあ。なかなかおもしろい話を仕入れる。それにしてもル・マンカーを作るというのは難しい話なのだなあ。
レース序盤は結構緊迫した展開で、飽きなかったが日付が変わる頃に事態が急変、気が抜ける。夜中のパドックを歩き回って取材をして、一段落したら急に眠くなった。真夜中にレースをやっているパドックを徘徊するという、異次元的で不思議な感覚はル・マンならでは。3時半頃に駐車場のクルマの中で雨合羽にくるまって仮眠。雨が降り出し気温が低下して寒くてかなわない。50歳過ぎてからこんな生活、つらいよう。
6月15日(日)
明け方プレスルームに戻ってみると、圧倒的にプジョー有利な展開だったレースが様変わりしており、雨の中、トム・クリステンセンの乗るアウディが首位を走っていた。すごいぞ、トムクリ。つうか、いいのか?プジョー。
仮眠はしたものの、寒さに震えつつだったのでそれなりの室温があるプレスルームに行くと、またどっと眠気がやってきた。で、いすの上でうつらうつら。ようやく気を取り直して、そこまでの原稿書きに入る。昼前にはまたパドックでわたしが取材すべき相手を探し話を聞く。身体はどこまでも重く、頭は錆び付いたように鈍い。
童夢が2度のクラッシュ、テラモスと東海大学の学生チームは、走ると壊れる車をごまかしごまかし、結局3チームとも走り続けている。何事もなくこのまま(できるだけ早く)終われ、と念じながらレースを眺める。レースはアウディ勝利、というかプジョー惨敗。プジョーのみなさん、週明けには出社したくないでしょうね、きっと。
フィニッシュ後の表彰式はプレスルームから見下ろしながら見物。解放されたコースからピットレーンへなだれこんでくる群衆はいつになく多い。だが大昔、かれらの一部には、チームの器材やスペアパーツを強引に盗んで帰ろうとしたり、マシンのステッカーやカッティングシートを剥いだり、消火器を暴発させて喜ぶような、かなり乱暴で悪質な輩も多かったが、今日見る限りその手の悪漢はほとんどおらず、(チーム側の防衛策も進歩したのだが)EUが機能して以来フランス人(及びイギリス人)観客の民度は向上したのか?と首をひねる。
レース後の取材を行い、きりのついたところで場内を脱出、宿へ戻り仕事の続き。今日中に入れなければならない週刊誌の速報原稿を書き上げて隣にいる編集者に渡す。2回ほど書き直しして今日の仕事はおしまい。これから編集に取りかかる疲労とプレッシャーでどんより暗い編集者を残し、カメラマンたちと、いわゆる「駅前中華」へ。今回のフランス取材で2回目のまともな外食。昔はル・マン決勝後の夜は日本人関係者でごったがえしていたレストランは、なぜか閑散としている。それよりもル・マン駅前が近代的に開発されていて、自分がどこにいるのかもよくわからない有様で驚いた。
わたしが初めてル・マン取材に来たのは確か87年で、そのときは、ル・マンという町がどこにあってどんな様子なのかもよく知らないまま、それどころかル・マン行きの電車がどこの駅から出るのかも知らないまま、タクシーの運転手に相談したりして(確かサンラザールだったように憶えているが、そんな記憶ももう忘却のかなたへと消えつつあるなあ)ホテルの住所だけを頼りにパリから在来線の電車に乗ってこの駅に降り立った。ル・マン駅は本当に田舎の駅だったんだがなあ。というか、あの頃わたしは若かった。よく、そういう「なんとかなるさ」的旅行をしたもんだ。(まあ、今もさほど変わってはいないが)
「味が落ちたからみんな来ないんだ」とかなんとかやかましいことを言うカメラマンをよそにわたしは嬉しく中華料理を食べ、ビールを飲んだ。宿に居残っている編集者とカメラマンにやきそばとチャーハンをテイクアウト。わたしは仕事場でメールチェックなどしながら、昨日の残りのワインを空ける。で、編集者を残し、寝る。この宿最後の夜は結構幸せな気分でベッドにもぐりこめた。
朝まで仕事だという編集N君は結局丸48時間近くベッドで横になれないまま仕事をすることになる。ル・マンに着いた当初、N君は興奮のあまり「次回のためにもいろいろと見ておかなくちゃ」などと口走るので、「キミはまた仕事でここに来たいと思っているのかね?」と意地悪な質問をしてみたら、彼はしばらく考えて「……それは。今回の仕事が終わってから考えます」と言っていたよねえ。N君、若いうちだ。ガンバレ……ムニャムニャ。
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