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5月16日(金)
1日、原稿書き。他には、ランニング以外何もしなかった。某社に請求書。今回は原稿料だが、今や別方面で大成功をおさめている某社のこと、知り合いがいがいないわけでもないし、「次回作」にはエキストラでもいいから出演させてくれないものかなと、ひそかに狙っている。
5月17日(土)
F4のレースに出て優勝する夢を見た。わたしの夢は、どんなストーリーであるにしても大抵、うまくいかないで終わるので、意外な気がした。ああ、レースを書くのではなくて自分でやりたい。レースは取材したり書いたりするモノではない。自分でやるもんだ。
疲れが出ているのかなかなか朝、起きられない。ようやく9時半に起きて原稿書き。原稿に手をつけたときに、かなり事務処理が滞っており、なんとかしなくてはいけないのを思い出し、今だ、と思って着手。結局、お昼を挟んで夕方までかかってしまった。
ランニング。夕食。原稿のための調べ物。「タカダワタル的ゼロ」を見に行って泣いてこようかと思うが、時間がとれるかどうか。
5月18日(日)
1日、原稿書き。他には、ランニング以外何もしなかった。
5月19日(月)
1日、原稿書き。他には、ランニング以外何もしなかった。
5月20日(火)
朝一番で心療内科。投薬量を減らすことに。もういらないような気がするんだけどな。その後は1日、原稿書き。他には、ランニング以外何もしなかった。ランニングを始めたら左腿裏に筋肉にピキッと痛みが走ったのでスローダウン、徐行でピットイン。変な故障じゃなければいいんだが、湿布してサポーターで固定。
5月21日(水)
朝一番で逗子病院へ行き、採血。血圧は依然として若干高めだが、心配するほどの状況ではないということで、今まで通り、減量した降圧剤を飲む。その後1日、原稿書き。そろそろ催促が。でももういっぱいいっぱい。
5月22日(木)
早起きして仕事の決着をつけようと「難波金融伝 ミナミの帝王」を観て寝るが、1時間ほど眠ったところで目が醒め、結局仕事場へ行き仕事。ほぼ徹夜という状況で仕事を仕上げた。午後には予定が入っていたので、時間に追われずじっくり構えられて良かったと思った。
仕事を仕上げて、そのままクルマで御殿場へ行き、森脇基恭氏取材。某模型誌の「ポルシェ956/962特集」のため。今まで知らなかった事実がいくつか浮かび上がって興味深い取材であった。ポルシェが956をプライベートユーザーに供給を開始する際、そんなことをしていたのか、というマニアックな話題を発掘。
帰宅後は、徹夜の影響で身体がだるいが、明日早朝からの出張の準備をしなければならない。重い身体をひきずりつつ用意をして,夕食をとり、倒れて寝た。
5月23日(金)
ラッシュの前に東京を通り抜けようと、7時前に家を出て、栃木県はツインリンクもてぎへ。順調に10時前には現場へ着いた。で、早速仕事。
メインイベントのフォーミュラ・ニッポンよりもサポートイベントのFCJやF3の仕事が多いのでいかがなものかと思いつつ仕事。
夕方、もてぎが新しく導入したミジェットカーの試乗をさせるというので、南コースへ。ミジェットカーを舗装路面で走らせるのは初めて。直4、180馬力のエンジンを積んでいるとあってかなり動力性能が高く、おもしろい。というよりも、それなりの技術がない一般のお客様をいきなりこれに乗せるわけにはいかないよなあ、というしろもの。
これまでにも確か一般向けの250cc版と、エキスパート向けの750cc版(確か)があって、大きな方をダートオーバルで走らせると結構目がつり上がったものだけれども、こっちはそれよりはるかに速い。他に誰も来ないので山本泰吉選手のコーチを受けながら2回も乗って遊んでしまった。

こんな感じのものね。速いんだ、これが。
遅れてホテルへチェックイン、仕事を手伝って貰っているI氏、T氏とホテルそばのスペイン料理屋へいき、ハモン・イベリコとシェリー。中華そば屋さんでおそばを食べて締めた。
5月24日(土)
心配していた天候がもちそうなので、5時半に起床し、支度して大好きな千波湖ランニング。左太ももの痛みが心配だったが、特に悪化することもなく約10kmを走破。阿呆な中学生に惨殺された黒鳥たちにお見舞いを。一所懸命卵を暖めている母親やら、父親と母親に挟まれてくつろぐ灰色の幼鳥とか、走りながら微笑ましい光景に心和む。これを殺して遊ぶというのだから病んだ世の中だよなあ。
土曜日は朝っぱらから1日仕事。FCJ、F3の第1レースもある。ようやく仕事を終えてホテルに戻ったのは8時前。ホテル最上階の中華料理店で、オツマミにビール、紹興酒。I氏と、某社のI氏。なんと前任のN氏が突如退社したとか。寝耳に水の話で驚いた。
5月25日(日)
どうせ雨だからとランニングはあきらめ7時まで寝て、シャワーを浴びて出勤。雨は思ったほど強くないがFCJはウェット路面でのレースになった。荒れたことは荒れたけれども、今年の選手達は総じてレベルが高くてそれほどヒヤヒヤしないでも観ていられた。F3はぼろぼろに荒れた。
フォーミュラ・ニッポンが始まるまで、FCJとF3のパドックをかけずり回っていろんな選手の取材。なんとか予定通りの取材を終わらせることが出来て、安心してメインイベントを眺めることができたが、こっちは少々膠着した展開になって欲求不満。
レースのフィニッシュを見届け、サーキットを脱出。大した渋滞もないまま、すんなりと自宅へたどりついて、夕食。ウイスキーを飲んで早寝。
5月26日(月)
サザンオールスターズが無期限活動休止を発表して1週間かな。もうこの年齢だから「ショック!」とは言わないけれど、あれこれ思うことはある。彼らがデビューしたとき、わたしはまだ大学生だったが、そのぶっ飛んだ感性にはしびれた。
そのしびれぶりを知っていた友人(いまやとある大学の教授だが)にはやしたてられて、大学のクラスコンパではカラオケもなしに彼らの歌を歌った。当時教授だった某氏は、あからさまに顔をしかめたものだった。そりゃそうだろう(笑)。
現在の仕事を始めてすぐ、知人が「サザンのとある人が会いたがっている」と突然電話をくれた。何のことかわからないまま六本木の事務所へ行くと、まさにサザンの野沢秀行(ケガニ)氏がいた。彼はモータースポーツ好きで、デビューしたばかりのわたしの原稿を読んでおもしろがってくれていたらしい。「会いたかった」と言ってくれた。
それからちょくちょくケガニ氏とは話すようになった。「いつも大串さんの仕事場でしか話をしないから一度、僕の仕事場にも来てよ」と招待状をもらって、コンサートに行ったこともある。二度目の結婚をわたしがしたときには、お祝いにとスタッフルームへのパスを用意してくれた。横浜アリーナのとんでもない場所からわたしと妻はお弁当を食べながらサザンのコンサートを眺めた。楽屋にも挨拶に行った。そこにはわたしの知らない世界があった。楽屋で、お礼も兼ねて、素晴らしいコンサートだった、とわたしはケガニ氏に握手を求めてしまったが、後から考えるとコンサート直後のパーカッショニストに握手を求めたらいけなかったかもしれない。それほど彼は手の感触を大事にしていたのを知っている。
好きなもの、近づいてみたいものには自然に何か力が働いて近づいていける。長谷見昌弘氏ではないが、本当にわたしはそう思っている。今、ケガニ氏は何を思っているのだろう。敢えて今連絡を取ろうとも思わない。その先に、何かおもしろいことが転がっていますようにと願うばかりだ。そのうち落ち着いたら、また話を聞かせてください。少なくともサザンオールスターズはわたしの人生にとってその根幹に関わるスターだった。
で、わたし自身は仕事だけの1日を過ごした。
5月27日(火)
仕事だけの1日。せめてと思ってランニングをした。女房に言わせるといつも私の頭の具合が悪くなる時期らしいが、今年はいい感じかな?
女房が担当していた弊社の決算が終わってその概略を見る。自分が思っていた業績にはほど遠くて正直驚いたが、冷静に状況を考えることにする。今の自分にできることを、無理なく他人に(さほど)迷惑もかけずに残した業績だとしたら、これはこれで自分を褒めるべきではないかと。
5月28日(水)
仕事だけの1日。ランニングもした。
5月29日(木)
午前中、細かい仕事をして、お昼に逗子駅から上京。時間が少しあったので新橋の散髪屋さんで頭を刈る。その後ホテルニューオータニでHondaフリードの発表会へ。「あれ、これ、売れるんじゃないかな」と思わせる造りと価格設定。だが今のわたしは、同じプラットホームでよいから、もう少し安めの2座席スポーツカーが欲しい。フリードの姿を見ながら、こんな感じで、と、上乗せするボディのデザインを勝手に妄想、重ね合わせて思い描いていたわたしは迷惑者だ。
会場で先日ロングインタビューをしたばかりの津々見友彦さんをはじめ、何人かの人々に挨拶。宮城光と出会って、赤坂の某事務所へ共に出かける。宮城ってば、ポロのカップカーなどという洒落たものに乗っていた。
某事務所で打ち合わせの後、わたしは新宿御苑へ。実は今日はわたしの52回目の誕生日で、女房と新宿厚生年金会館でWAHAHA本舗の公演を観てから食事の予定だった。「満月ダンス御殿の花嫁」と題するショーはかなり楽しめた。
予定していたお寿司屋は早じまいのようで、駅ビルの割烹「御蔵」へ。どれを食べてもおいしく大当たりのお店であった。必ずしも安いお店でもないのに、平日から若いサラリーマンで賑わっている、この国は、なんとまあしぶとい国なんだろう。
松濤倶楽部へ移り、グラッパにウォッカにマールを飲んでシガーをふかし3時半。びっくりしながら渋谷駅上のホテルメッツに戻る。誕生日プレゼントに女房からコーチの財布を貰った。で、倒れて寝た。
5月30日(金)
女房は朝ご飯を食べに行ったようだが、わたしはベッドから起きられなかった。でもチェックアウトの時間には生き返った。せっかく朝から渋谷にいるのだから、いろいろと行きたいところはあったが、夫婦ともグロッキーで、そのまま逗子へ帰還。昼寝。夕方から仕事。
5月31日(土)
久しぶりに喘息の軽い発作が出て睡眠が浅かった。淡々と仕事。昼寝。仕事。ずっと雨降りでランニングもできず。
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