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3月1日(土)
鈴鹿サーキットで、残りのインタビュー。今日は夕方、某誌編集長F氏と副編集長A氏に合流、白子へ行って明るいうちから飲んで話す。
白子駅前には近年、小じゃれた店がいくつか新たに出来て、そこそこのものを飲み食いさせ、それなりに賑わっている。1軒目は予約でいっぱいだった。何もない白子が懐かしくなるくらいだなあ。
5時頃から10時近くまで馬鹿話9割で過ごした。国内(だけじゃないな)モータースポーツ界は見えない場所で激動している。それをサカナに残り1割で、お開きに。飲まずにつきあってくれた副編集長に感謝。わたしは白子駅前のコンフォートインにチェックインし、ビールを飲み直して寝た。
3月2日(日)
朝、8時半にチェックアウト、若干二日酔いかなという状態で名古屋へ出て、ひかりに乗って小田原へ。小田原から東海道本線に乗り換え辻堂。
辻堂に着くと、待ち構えていたように大先輩A氏から電話。駅前でF1「漂論家」A氏、A氏夫人、F1ライターN氏と待ち合わせて、世話になった編集者M氏の見舞い兼食事会に行く予定だった。
その足でM氏宅へ行き、奥様も交えてお茶を飲み、M氏が予約を入れてくれていた茅ヶ崎の名店、「えぼし」へ。えぼしは、富士から帰ってくるときや自家用車のディーラーへ行った帰りなどときどき前を通り、いつも行列ができている店だなあと気になっていたところだった。
今回はM氏が予約を入れていてくれたのですんなり行列を追い抜かして席へ。なかなか充実したメニューがあり、大満足。真っ昼間からビールに酒を飲み、見舞いなんだかなんだかわからなくなる。
帰路、開高健記念館に寄った。自筆の原稿用紙は、やはり誰が書いたにせよ、胸を打つものがあるなあ。パソコンで電子的にしか文字を並べない近頃の物書きはつまらないな。でも、わたしの胸を最も打ったのは愛猫の剥製だった。ああ、わたしにはこの感性は理解出来ない……。
というわけでM氏を自宅に送り届け、我が家経由で帰って貰うことに。我が家でお茶を振る舞って御礼。みなさんを送り出した後、わたしはもうお腹いっぱいだったので生ハムにワインで夕食をとり、倒れて寝た。
3月3日(月)
原稿書きの1日
3月4日(火)
急遽、水面下その2の打ち合わせを持つことに。午後赤坂でK氏、A氏と会い、状況報告&今後の展望を語り合う。気が重くなるばかり。きれいな正解がそこにあってそれを我々が指し示しているのに、なぜかそれを無視しようとする人々が多すぎる。肩を落として直帰。もう、この業界は足を洗った方が精神衛生上いいかな。
3月5日(水)
午前中、原稿書き。午後、世界スーパーバイク選手権参戦中なのになぜか日本にいるライダー加賀山就臣来訪。夜まで今年2回目の超ロングインタビュー。
インタビュー中に思いがけない人の消息が判明したりする。今度出かけてみよう。その後、また原稿書き。
3月6日(木)
早朝から原稿書き。ひたすら1日原稿書き。外が暖かいのか寒いのか黄砂が飛んでいるのか花粉が飛んでいるのかもわからぬまま字を書き連ねる。追加注文した名刺、到着。忙しくて今月はまったくランニングができない。
3月7日(金)
午前中、原稿書き。午後、某編集部と打ち合わせのため、ホテルニューオータニへ上京。その後、トヨタのモータースポーツ活動発表会の様子をうかがい、速攻で帰宅、原稿書き。
3月8日(土)
原稿書き。結婚記念日に、房総へ菜の花を見に出かけようという計画があったにはあったが、割り込み仕事を早く決着させなければならず、無期延期。
3月9日(日)
原稿書き。午後、名古屋国際女子マラソンを眺める。案の定、高橋尚子は惨敗を喫した。よせばいいのに、この人、前回に引き続き負けた後にしようもない言い訳をした。それがそんなに大問題だったのならば、スポンサーの●ァイテンでも膝に卷いて走れば良かったのに。言い訳の仕方にがっかりした。
3月10日(月)
原稿書き。電話で、締め切りが1日早まるという報せを受けていたのに忘れていて慌てて別件仕事に。大体のイメージを頭の中でまとめていたから助かった。いろいろご迷惑をおかけしてすみません。
3月11日(火)
朝一番で心療内科。もういいんじゃないかと思うが、投薬継続。その後電車に乗って上京、品川駅からぶらぶら歩いて童夢S102完成発表会および日本自動車レース工業会発足発表会の会場へ。
S102はまたどこかで記事を書くこともあるだろうけれども、かなり力の入ったレベルの高い出来で、楽しみ。飛行機に乗るのはいやだけれども、今年はル・マンに行くかなあという気分にさせられた。
日本自動車レース工業会発足については地味な記事なので、そこらのレースジャーナリズムは扱わないだろうが、国内レースを見続けてきた身ににとっては大きな出来事である。といっても、こういう動きはずいぶん昔から知っていて、ようやく日の目をみたかという気分ではある、
今回は、戸田さんが、全面自社開発のレーシングエンジンを準備中という大ニュースがあった。自動車メーカーの名前のつかない車体ができ、自動車メーカーの名前がつかないエンジンができるというのは、国内レース界にとっては革命的事件だ。少なくとも国内レースの可能性は一気に広がる。その意味が理解できない人間は多いだろうから、たいしたニュースにはならないんだろうけどなあ。
その後、新宿に出て女房と落ち合い、ちょっとした用事を済ませに証券会社へ。まったくもって苦手な分野の場所である。
お互いに次の予定があったが、時間が余ったので、西口のビールバーでビールを飲む。その後夕方になって女房の友人でわたしも仕事をてつだってもらっているA氏と合流、ルミネ下のタイ料理屋さんで夕食。
わたしは次の予定があったので途中で抜け、五反田へ。レーシングオン編集部のU氏、O氏の壮行会へ出席。F氏、H氏と横須賀線に乗って帰ってくる。
3月12日(水)
10時にTRDへ取材に出かける。かつてのトヨタ綱島工場跡に、トレッサ横浜という大ショッピングモールが建設中であることは知っていた。ただ、工場敷地の一角にあったTRDはそのまま残るということだったから工事中も何度か取材に出かけていた。
ところが今回出かけてみるとトレッサ横浜が半分完成して稼働しており、TRDの入口がどこだかわからなくなっていた。結局、先着している編集部員に迎えに来て貰った。
半日、5リッタートヨタ7撮影の立ち会い。資料に寄れば、日本CANAM優勝車として当初から保管されていたらしいのだが、ちょうど20年前になる87年にトヨタ広報部を含む八方手を尽くして探したけれども見つからなかった車体だ。一体どこにあったのか。2年ほど前にTRDでレストアが始まったのを知ってはいたし、その後デモ走行も始めたので公の存在になったが、ここまでじっくり眺めたのは初めてで、感慨深かった。
帰宅後、少々原稿書き。
3月13日(木)
朝、ラッシュアワーが過ぎた頃を見計らって、富士スピードウェイへ。FCJの第1回目公式テスト。あれこれ情報を仕入れ、様子を眺める。今年は(小)ツブ揃いか。
今年の仕事について、A氏、S氏と打ち合わせ。たたき売りレベルの大安売り。状況も状況だしな。
走行終了後、帰路へ。早速原稿書き。遅い夕食。長年患っていた叔父が逝去との知らせ。この週末、密葬だというがわたしは鈴鹿取材の予定が入っている。急遽あちこちへ電話して様々な予定をずらしてもらい。土曜日を空けた。
3月14日(金)
電車で上京、品川から名古屋、白子、鈴鹿。行きに由良拓也氏と会ったので、あのこととかこのこととかを話す。わたしは白子で一旦ホテルに荷物を置き(喪服の類を携えていた)サーキットへ。ただし宿題があって、鈴鹿のプレスルームで早速原稿書き。
夕方、ウエストレーシングカーズ35周年&1000台生産引き渡し式へ出席。いちコンストラクターが特に深く自動車メーカーと関わることなく1000台のレーシングカーを生産し世に送り出したというのは、日本のレース界にとっては一大事件であるはずなのに、取材に来た人間の少ないこと。
本来は神谷社長のショートインタビューと思って用意もしていたが、式次第が社長中心で時間が取れず、結局会場で落ち合ったR誌編集長及び副編集長と白子へ出て、夕食。
「2階しか空いていませんが、2階ですとサービス料がかかりますけれども、いいですか…?」とお断りの入る不思議な居酒屋で前割佐藤など飲む。牛乳の天ぷらなどがあるけったいな店だったが、刺身は非常にうまかった。
わたしはひとり白子駅前ハイシティにチェックイン。
3月15日(土)
朝、7時45分から10分だけGT−Rを見せてくれるというので早々にサーキットへ出勤、ニューマシンのすべてを眺める。写真撮影は禁止だったので写真では紹介できないが前後に機械式サードダンパーがあり、エンジンのシリンダーヘッドに軽合金のサブフレームが結合されていて、エンジンを構造部材として利用する形式を取りつつ、そのサブフレームがアッパーアームのピックアップ等も兼ねるという、非常に整理された構造。
見学会終了後、R誌副編集長の運転で白子へ送ってもらい、わたしはホテルで朝食を食べたのち部屋へ戻って喪服に着替え、白子駅から上京。
時間に余裕があったので名古屋駅から「こだま」に乗ってグースカ眠りながら品川へ。それでも待ち合わせ場所の五反田には1時間早く着いたので喫茶店でランチをとって女房と姉夫婦を待つ。
2時に集合後、タクシーで桐ヶ谷斎場へ。叔父にはかわいがってもらったが、頑固な人なので近年は一族のお墓のことだとか、位牌のことで意見が合わず、すり合わせが必要だなあと思っていた矢先の逝去であった。
死に顔を見てしみじみ。大往生ではあるのだろう。その後姉夫婦、女房と五反田へ戻り、お清めという名目で明るいうちから焼酎を飲んで話した。
わたしはその後品川から再び名古屋、白子と戻り、ハイシティの部屋に帰着。いっぱい飲み直して寝た。
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