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1月1日(火)
今年は、除夜の鐘も、港の汽笛も聞かずにデスクに向かっていたら年を越し、ベッドに入った。朝はいつものように女房と二人、新年の朝餉。こうして何の心配事もなく新年を迎えられるだけでも幸福ではある。
地上波TVはどれもこれもナニで、1日だらだらして過ごした。
1月2日(水)
女房の作ったお節料理を持って、実家へ。と思ったら途中で「家に施錠を忘れたような気がする」と女房が言い出し、大井の先でUターン。当然ナラシ運転のまま。
結局施錠はされていた。少々遅れて我が家に着き、母と3人でお正月。遅い昼食がそのまま夕食になり、早寝。
1月3日(木)
朝食後、家を出て父親の墓参りをしてから世田谷の女房実家へお年賀。道はすいていた。あんまりすいていて早く着きすぎたので、千歳台に出来たユニクロへ行き、あれこれまとめ買い。
お昼は、義弟の自作餃子と義母作の海苔巻き。わたしはハンドルを女房に預け、ビールを飲む。夕方、助手席で居眠りしながら帰宅。夕食はパスタ。ワインとビールを飲んで寝る。
1月4日(金)
今日は、天気も良さそうなので走り初めの日と決めていた。新しい靴を下ろす。走り初めは、逗子・湘南七福神巡りと決めた。沼間の光照寺(寿老人)、池子の東昌寺(福禄寿)、逗子の延命寺(弁財天)、桜山の宗泰寺(大黒天)、葉山一色の玉蔵院(恵比寿)、長柄の長運寺(布袋)、長柄の仙光院(毘沙門天)と巡って、地図ソフト上の計測では20.21km。アップダウン豊富でかなり走りがいのあるコースになる。
最後の毘沙門天でおみくじをひいたら「吉」で、要約すると旅をするのがよい、それが商売に関係するならなお良い、となんだか良い具合の御神託。気をよくして完走。今年は良い年になるかなあ?
1月5日(土)
週末だけれども、お正月はおしまい。前倒しで仕事を始める。おかしなことにこの2晩、仕事に追われている夢を見て夜中に目が醒めた。これをストレスと言うべきか、サガというべきかはわからないが、余計な不安感に襲われたくないので、セパゾンを頓服することにした。
見回すとわたしの仕事部屋はもはや資料本で満杯の状態、わたしはそこに残されたわずかな空間で仕事をし、資料を探すとなるととんでもない労力を払うという劣悪な作業環境に、ここ数年埋もれていた。なにしろ本棚が重なっているのだ。裏の本棚から本を取り出すには前の本棚を動かさなければならない。でもそんなことをすれば半日が潰れる。こうした悪条件を改善しなければ新しい一歩など踏み出せるわけもない。というわけで日曜日は大整理を行うことに決めた。それだけの1日。
1月6日(日)
セパゾン、効いた…かな? そのかわり、妙に楽しい夢を見たような気がする。午前中は、原稿書き。午後、資料の大整理を行う。英国オートスポーツ、F1関連の速報雑誌等は実家へ送り込む。近年の仕事では英国オートスポーツを遡って調べ物する必要がほとんどないし、速報本は手元に置いておく必要はないと割り切った。そもそもF1の仕事は今ほとんどしてないし。と言いながら今書いているのはF1関係の原稿だが。
実家へ持ち込む雑誌の量は半端ではなく、トラックが必要かもしれないなというほど。客間にとりあえず放り込んだが、困った。と言って作業環境が劇的に改善されたわけではなく、むしろ仕事場に入るための入口が狭くなって、身体を横にしなければ通り抜けられない状況に。これはどうしたもんかなと悩むわたしである。
仕事場兼倉庫、あるいは倉庫だけが欲しいが、それも無駄のような気もする。よくよく考えて、少々思い切ったことをする必要があるかもしれない。
ランニングをして気分転換。パスタを食べて早寝。
1月7日(月)
どうもうまく眠れない。が、もう余計な薬も飲みたくないので朝方までTVを見てなんとかやり過ごす。ほぼいつもと同じ時刻に起床し原稿に集中。いろいろな調べ物をしなければならない原稿なので時間がかかる。だが比較的集中が出来て、なんとか夕方までに形にする。今年は調子が良いかも知れない。
1月8日(火)
あまりうまく眠れたとも言えないがとりあえずは普通の夜を過ごす。朝、ペインクリニックへ行き、五十肩の診断&相談。あとはリハビリと個人的ストレッチで対応しようということになって、夜の痛み止めも頓服にした。薬が減るのは良いことだ。
リハビリは、なんだかぬるい赤外線だがなんだかの照射と電気マッサージ。効いているのかどうかと首を傾げるようなしろもの。これで爺様婆様を相手にしていればいいのなら、整形外科はかなりおいしい商売だと、部外者たるわたしは思わざるを得ない。もう、病院に行くのやめようかな。どうぜ五十肩だし。
帰宅後は、仕事場の整理。コンピュータのCRTを処分し、新しい液晶ディスプレイに置き換えようと思うが、CRTの処分に面倒な手続がかかりおまけに結構なお金がかかることに驚く。その他、収納関連グッズをインターネットショッピング。
今日は暖かくなるというので2時過ぎからハーフマラソンのシミュレーションを行う。何より身体が大事だ。もっと鍛えなければならない。でも便意に負けて、20周するところを19周でめげた。良い年齢して情けない。夜は博多風水炊き。非常においしゅうございました。
1月9日(水)
朝、8時半に平塚駅前南口集合という、なんだか目新しい出発の仕方で取材へ出かける。まだ朝も薄暗いうちから逗子駅に学生やら勤め人やらがやまほどいるのを見て、けかなり驚いた。本来、世の中というのはこういうものなのだなと少々反省。
平塚で編集部N氏のクルマに乗って、豊田へ。そんなに遠くまで行くとは認識していなかったが、助手席に座っているだけだから楽ちんで、新鮮な時間を過ごした。豊田のファミリーレストランで時間調整後、SARD社加藤眞氏取材。こちらの思っていたストーリーとは違う話になってしまったのでどうしたもんかなとは思いながら、興味深いインタビューができた。特集の方針とか無視して、生インタビューをズラズラ並べる本もありだなあ。サード、というよりもシグマ設立当時の社屋原形を見せてもらって、ひとり感動。
N氏に名古屋駅までおくってもらったので、わたしは新幹線に乗って帰宅。昨日発注したばかりのディスプレイや書類整理箱やファイルボックスなど、すべてが届いていた。近年の物流の仕組みは魔術だ。
1月10日(木)
朝起きて、あれこれ細かい仕事をする。まず新しく買った19インチのディスプレイをメイン機に接続。その後、自分の車で出発。お昼に八王子の約束。ファミリーレストランで編集部員と合流、長谷見昌弘邸へ。
撮影やらロングインタビューで半日。長谷見氏には昨年の取材で少々お叱りをいただいていたので、恐る恐るの部分があったが、まったく問題なく接していただけた。「Cカー最盛期の助手席に大串さんを乗せたかったなあ」と言われたけれど、わたしも乗ってみたかった。
インタビュー仕事は非常に疲れる。と良いながらオミヤゲに珍品トミカをいただいちゃったりなんかして。帰宅後、一杯飲んで寝た。
1月11日(金)
朝起きてメールをチェックしていて、田中健二郎氏が昨年末に逝去なさっていたことを初めて知った。こんな扱いはあんまりだろう。昨日も長谷見氏とタナケン氏の話をしたばっかりだ。他の業界では考えられない話だ。
…と憤りながら新たに買った書類整理箱に、とりあえず必要ない雑誌を収納して運び出す準備。本当は身近に置いておきたい資料だが、もう物理的な無理が来ている。いわゆるミカン箱大の箱を10個ばかり、実家へ送り出すことにした。一汗かく。
その後、逗子駅から上京、イデアへ。イデアで岡田秀樹&細川慎也対談取材。この二人を前にすると、少々胸にくるものがあるなあ。細川はFDで勝ちまくってイギリスへ旅立っていった頃のこと、岡田は、レイトンハウスに移籍して「F1へいく!」と言っていた姿が浮かんでくる。時間は流れるものなのだなあ。
取材後はAS編集長と奥方を合わせ、場合によってはわたしの妻も呼んでどこかで新年会、という趣向があったのだが突発的事態が生じてキャンセル。わたしはさっさと帰宅して鏡開きしたお餅をつまみにお酒を飲んだ。みんな、元気に暮らそうな! さすがに3日続けてのロングインタビューは疲れた。
1月12日(土)
朝から実家の新年会へ。ついでに前夜のうちに書類整理箱をクルマに積んでおいたので、到着するや、まず荷下ろし。その後は例年通り、義兄の料理でお昼から夕食までだらだら飲んで食って話す。社会人生活を経て今年から某大学の医学部に編入学した甥は、夜のうちに帰った。
1月13日(日)
朝食をきちんととり、義兄夫婦を見送り、我々も帰宅。帰り道に墓参り。
道はすいていてすんなり帰り着く。帰宅後はランニングするか仕事するか、と思っていたが異常な眠気に襲われダウン。夕食で一杯飲んでさらにダウン。なにもできなかった。
1月14日(月)
かなりの量の資料を実家へ移したので、空いた空間を使って仕事部屋の整理。すこしずつ原稿に手をつける。夕方眠くなったところでランニング。予定していたほどには仕事は進まなかった。
1月15日(火)
朝、心療内科へ行き、投薬継続。その足でペインクリニックでリハビリを受けて帰宅。その後はただただ原稿。実はこの日は大磯へ行ってGTーRがらみの取材の予定だったのだが、よくよく聞いてみると締め切りが週末だというタイトスケジュール。今のわたしはとても無理なので申し訳ないがゆうべドタキャンしたのだった。
予定外の時間が出来たのに、病院へ通って原稿書きして、その原稿が間に合いそうにないのだからそもそも無茶な話だったのかなあ。と言いながら健康は大事だ。夕方ランニング。前日短い原稿を納めたが細かい部分の事実確認に手間取り、校正で夜遅くまでかかる。
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