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9月16日(日)
睡眠がおかしく、不調のまま現場へ。
決勝終了後に取材をという話があり、準備していたら、よくよく聞いてみると「そのうち」という話だった。それじゃあと決勝終了後、記者会見は聞かずにさっさと帰る。
展開は単調だったが緊迫したいいレースだったように思う。比較的楽に帰宅。
9月17日(月)
世間はお休みだそうだが、こちらは今週片付けなければならない原稿が山ほどある。
昔の人のインタビューだと本人が言っている事と事実が食い違う事が結構ある。しかも故意にウソ言う場合もある。ここがむずかしいところだ。調べ物に時間がかかるうえ、ウソをウソとも書けず苦労する。
9月18日(火)
午前中、原稿書きに集中。夕方ペインクリニックへ。ハネムーンシンドロームは良くはなっているが、握力を測ると左は49kgあるのに右はたったの13.5kg。「もう少しで箸を落とすところですねえ」と医師は笑うが、回復具合があまりに遅いのでがっかり。
しかも第6頸椎だか第7頸椎だかが潰れていて、それは古傷なんだが、ハネムーンシンドロームにも関係する部位なのだそうで、そろそろケアしておかないとね、とリハビリが始まった。昔あった身長を伸ばす機械、みたいので頭をグーッと引っ張り上げる。これで聞くのかいな?と思いつつリハビリ室を見回すと、いろんなことやっているじいちゃんばあちゃんが。いやに老いの密度が高い空間で、いろいろ考えさせられた。
夜、逗子駅前で大学時代の友人K、Tと会う。早い話がKの離婚届の証人として書類に署名捺印したわけだが、これがアメリカとの国際結婚だったので随分やっかいだったようだ。そういえば結婚届の時もアメリカ大使館に行って署名したっけかな〜。長く生きていると、いろんなことが経験できる。
9月19日(水)
早朝から原稿書き。書いても書いても終わらない。お昼前、茅ヶ崎のM氏宅へパスタランチのご招待を受けに行く。重病の治療中だが、具合が良いのでと手料理でもてなしてくれた。快癒を祈る。
帰宅後、先月三郷で起きた事故処理の書類のやりとり。わたしが追突されたのに先方は「自分が追突された」などと無茶なでたらめを言い出して困っている。キズを見れば一目瞭然だろうに。
9月20日(木)
朝から原稿書き。その他にはランニング以外なにもせず。
9月21日(金)
早朝から原稿書き。午後、 女房がひなたをつれて実家へ帰還。こちらは原稿書き。途中で、1979年に輸入されたシュニッツァーセリカターボLBについて先日の取材音声から疑問がわく。当時のグループ5の車両規則を改めて確認するとギアボックスの位置の変更は禁じられていたはずなのに、輸入されたモノは違っていて、それがトラブルの元になったという。
ひさしぶりの大先輩から元F1ドライバープロデュースの焼酎試飲会に誘われる。当初は、すぐいくつもりだったが、そんな疑問が発生したため身動きできなくなりお断り。残念。
で、トムスに電話。大岩さんに再取材すると、非常におもしろい状況が判明した。詳しくは次号レーシングオンで。こりゃ、やっぱりシルエットフォーミュラを特集せざるをえないんじゃないか??ひとりなので飲みにでなおすかと思ったが時間もなく、カップそばを食べて寝る。
9月22日(土)
すっかり勘違いしていて朝早起きしてネボケマナコでモータースポーツジャパン2007の取材のためバス停へ歩き出して、サイフを忘れたことに気づく。慌てて帰って探すが、我が仕事部屋は月刊誌締めきりのため壊滅状態になっており、通常あるはずの場所に見当たらない。家中探しても分からない。実家に帰宅中の女房に電話してクルマの中まで探してもらうがみつからない。
家の中にあるお金を集めて出かけることは可能だったが気持ちが悪い。で、今日はあきらめて部屋の整理兼サイフ探しに…と思った瞬間、モータースポーツジャパン2007は明日からだったと言うことを初めて知った。
行き宛をなくしたわたしは脱力、倒れる。それでなくとも、頭も身体も疲れ果てている。夜、女房が帰るまで横になり、二人でもう一度財布を捜したら、FAXの使用済み紙のポケットに落ちているのを発見。あ〜あ、クレジットカードとキャッシュカードを止めちゃったから面倒なことになるなあと早寝。いやに疲れが出ている。風邪を引いたか、疲れすぎたか。とにかく異様に頭と身体が重い。それから50肩がものすごく痛い。明日、モータースポーツジャパン2007を取材したら、あさってから南の方へ行って夏休みをとる。
地域の寄り合いの誘いがあり、自転車で出かけていく。秋の市民祭りについての話だったが、時間調整がうまくいかず、地域に関する情報収集が9割の時間を過ごす。
9月23日(日)
ぶらぶら逗子駅から上京、ゆりかもめに乗ってお台場へ。ゆりかもめにもSUICAで乗れるとは知らなんだ。人手は昨年の1日目よりはるかに多いが、今年は自分にとってはあまりお目当ての車種はない。
エブロのK氏と、シュニッツァーセリカターボの話を立ち話。ようするにシルエットフォーミュラのグループ5車両規則に関するヲタク話だ。今考えている企画がある。ちなみに発売すると言ってもう1年以上経つのに姿を見せないホンダRA302は、単に中国の工場の準備ができないから発売が遅れているだけとのこと。
長屋に会った。例の「ハネムーンシンドローム」になって、初めて本当の「麻痺」を味わった、と話した。「知らないに越したことはないですけどね」と長屋。そりゃそうだ。しかし、このわたしにとって経験は大きかったし、まだ続いている!
お昼は去年と同じく、ベイサイドシティまで戻ってタコスとビール。その後、お目当ての69年日本CANAM仕様トヨタ7の走行を取材。本邦初公開なのに、その意味がわからない人がほとんどでがっかり。ドライバーを務めたO氏にインタビュー。これも、ちょっと今暖めている企画がある。F1は興味ないのでそのままさっさと帰宅。夏休みのしたくして早寝。
9月24日(月)
朝、6時45分だかのボーイング737で石垣島へ飛ぶ。早起きしたから居眠りしているうちに着いた。空港でレンタカー店の係員と接触、お店でパッソを借りた。まずとりあえずドライブしつつ景勝地めぐり。昨年よりも1週間ほど早い夏休みだし、より南まできたので真夏。
夕方、マングローブ林の中のカヌー体験。一度やってみたかったので大満足。帰宅後、ホテルチサンリゾートにチェックインして、盛り場をぶらつき、「番屋」という店を選んだが、これが大正解で、沖縄野菜の天ぷらが非常にうまかった。八重泉を3合のんだ。梯子して、どこかライブハウスにと思っていたけれど、めぼしい店が軒並み休みなので楽しみにしていたのだけれど、残念ながら部屋へ帰って早寝した。
9月25日(火)
午前中浜、昨日見つけていた秘密の浜に寝そべりに行く。綺麗なビーチなのに人っ子ひとりいない。なんでも女房はインターネットの口コミで知ったそうで、昨日様子見に初めて入り込んでみたら、石垣が長いと思われる若者がいて「なんでここがわかったの?」と聞くから「インターネットで」と女房が言うと「そうかあ、インターネットに出たらもう終わりかなあ、ここはいまのところぼくがいち番好きな場所なんだけど」とか悔しがっていた。
その後、灯台を眺めに行き、マリンショップでスノーケリング。昔作った近眼の度入りマスクを探し出して持っていったが、もうラバーが劣化していて少々辛い思いをした。遊んでいなかったんだなあ。でもきれいな海を十分に堪能した。
夕食は、女房が旅行前から見つけていた石垣牛の有名焼き肉店「やまもと」に予約が入っていた。早速出かける。わたしの基本スタンスは、名物「地元牛」にさほどうまいものなし、というものだが、これは、まいった。うまい。食べ過ぎかと思うほど食べた。石垣牛は、本当においしい。
9月26日(水)
午前中、石垣島の盛り場をぶらついて買い物。フェリーに乗って小浜島へ。女房のリクエスト。わたしはどんな島かどこにあるのかもわからないまま。着いてみたら、本当の離島だ。その昔わたしが座間味にたどりついたときのことを思い出した。でもここにヤマハのリゾートがあるのかいな!。
ヤマハリゾート「はいむるぶし」は炎天下の中広すぎて、思わず2日間6500円だかのランドカーを借りた。午後、女房はアロマテラピーを受けたいとかで、「どうぞごゆっくりと送り出した。
その間、わたしはビーチで1時間居眠りし、1時間浮き輪に乗っかってうとうとし、1時間またビーチでうとうとして過ごす。脳味噌にはとてもよい休暇であった。
夕食は、リゾート内にはそれなりのレストランしかないので、せっかくの離島だし、地元の店へ行こうと事情を聞くと、(なにしろタクシーというものは存在しない小島なのだ)何軒かの店をホテルが紹介してくれてそのうち、予約(!)の空いていた居酒屋「さとうきび」へ。7時にクルマで迎えに来てくれるという仕組み。
言ってみると、民家に毛が3本生えたという感じのわたしが大好きな風情の店で、メニューも基本は言われるがままのコース。まあ、どれもこれもうまくて大満足して送り届けてもらう。
ちょうどホテルのロビーでエイサーのショーをしていたので見物。ホテルのプールサイドバーで飲み直して寝た。
9月27日(木)
ミャンマーで日本人ジャーナリストが射殺されたとか。いろいろ考えることはあるが、わたしは「とりあえず安全な日本国内」のリゾートホテルで、ヤマハのヴィーノなど2台借りて、女房と島巡りへ。
日本にこうした離島があることですら驚いているわたしにミャンマーは遠すぎる。それにしてもヴィーノは重たい原付バイクだった。
その後ビーチで寝転がる。夕刻、太陽が陰ったので早めに引き上げる。
夕食は、前日は満員だったが今日は空いていた居酒屋「あーじゅ」へ。同様に、クルマで迎えに来てくれる仕組み。日焼けしすぎたか、わたしの体調が悪化、寒気の中でコーラをガブ飲みしつつ夕食。「今日潰した石垣牛のレバーなんですよー」とサービス品が供されるが、これがうまいのなんの。
一番おいしかったのは地元「ギーラ」と称するシャコ貝の刺身で、これはもう、絶品。スノーケリングしたときのインストラクターが「うまい!」と言ったときから気になっていた。これを東京で何も言われずに供されたら、何を食べているのか当てることは出来まい。
そう言えば店のはす向かいの家では庭で宴会をしていた。あれは、牛を潰す度にする感謝の宴会なのだそうで、レバーはあそこから流れてきたんだろう。「あれ、そんなに久しぶりに牛を潰したの」と聞くと、「ここ2週間、ずっとこうです。あの宴会、1時頃になるとうちの店へ流れてくるんです」と店員兼運転手の娘が苦笑い。大した離島が日本にもあったもんだ。
具合が悪いので早めにホテルへ返してもらい、倒れて寝る。両足が燃えるように熱く、上半身は寒気で震える。
9月28日(金)
思ったより悪くならず、睡眠も取れた、朝ご飯を食べて、チェックアウトの準備。早めにフロントまで行けたので、チェックアウトは女房にまかせ、ランドカー返却ついでに気になっていた「ふれあい農場」の道をひとりたどる。いたのはヤギとウサギ。100円でエサを買って触れ合った。
バスで港、大きめのフェリーで石垣港へ。買い物をして、フェリーターミナル前の店で昼食。わたしは石垣牛丼をおごる。タクシーで空港へ行き、石垣経由で羽田。
9月29日(土)
みなさんF1日本グランプリ号取材で忙しい1週間を選んだ今回の夏休みは、本当に静かに過ごせた。何かあれば対応できるようにパソコンは持っていたが、宿題原稿もなく、いくつかメールをやりとりしただけで、あとはほんとに頭を空に出来た。よいお休みだった。
20年間続けた日本グランプリ取材を中断するのは残念だったけど、限られた取材パス、もはやF1に興味を失ってしまったわたしがぶんどるより若くてやる気のある取材者の手に渡った方が日本のモータースポーツのためにもなるしな。
で、家に帰ってみると、富士スピードウェイでは、悪天候だわ観客の輸送が破綻しているわと大騒動が起きている模様。悪天候はしかたないにせよ、観客輸送については危惧していただけにため息しか出ない。普段国内レースですら、大量の車列をコントロールした経験のないと思われるガードマンが、わざわざ渋滞を作っているような始末、F1のときはよほどの精鋭を投入するのだろうと願っていたのだがなあ。
今回の混乱の直接の原因は場内整理にあるわけではなさそうだが、これについては何度かFSW係員に指摘したつもりだし、F1についても、発表された計画ではおそらく破綻するという意見は随分取材関係者からでていたはず。外からやってきて帰って行く人間が何を見て何を感じるのかという視点が内部の人間には欠落していて、我々の意見や提案は無視されていたってことなんだろうなあ。
と言って楽しみにしているお客様の気持ちに水をさすわけにもいかないし、「行ったら酷い目に遭うかも」とか無粋なことを言うのもナニだし、ただただうまくいけばいいなあと願っていたんだが。津川哲夫氏が奥様連れで帰国しているようなので、来週にでも現場の話を聞こう。
9月30日(日)
どうも、寝起きが悪いのは天国から返ってきてしまったからなのかなあ。救いは、今日はF1日本グランプリ決勝日で、なんだかんだとやっかいな電話や連絡はかかってっこないだろうと思えることだ、
のんびり起きて、溜まっていた事務仕事を進め、インターネットで富士現地の天候や混乱状況を確認しつつ地上波でF1日本グランプリを見る。しかしオープニングに登場すべきは森脇氏と星野一義氏、長谷見昌弘氏であるべきだろう。イベントに対する敬意というものがここには存在しない。期待したって無駄なことはもうはるか昔に知ってはいるんだが。
レースはグダグダなチキチキマシン猛レースであった。ピット戦略(フォーミュラ・ニッポンよりはるかに複雑な)で順位が決まるこのレースを、今のファンは見ていておもしろいのか?不思議だ。やっぱりF1はF1であってF1でないとだめなんだろうなあ。で、ファンの皆さんご無事でご帰宅をと祈らざるを得ない。
…が、聞けば案の定大混乱になった模様でご愁傷様でした。日本グランプリに先立つFニッポンやスーパーGT開催時に、場内誘導係員や誘導の方法をチェックしていたのだが、まったく緊張感が増してこないばかりか、カイゼンの様子も見えないので、F1当日は本当にまったく異なる観客誘導方針を携えた精鋭部隊が大挙して舞い降りるのだとばかり思っていた。
夕方からはまた事務仕事で頭がぐるぐるになる。いろんなみなさん、ごくろうさまでした。
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