9月前半 逗子通信




9月1日(土)
市役所の雑草伐採係が動き出したようだとの女房の通報。我が家の裏山は市有地であって、夏草でいっぱいになった山を勝手にきれいにしてくれるのだからありがたい話なのだが、我が家は我が家に面した斜面を我が家の経済領有権として主張こそしないものの、各種草木を植えて整備している。そこまでばっさりやられると悲しいので、我々はこの領域で経済活動、というか栽培活動を継続的に展開しておるのだと、経済水域ならぬ栽培領域を主張すべく、自力で当該領域の雑草伐採にとりかかる。先方が活動を休止してしまったため、境界付近での衝突は発生しなかった。

東逗子のバーへ一杯飲みに出かける。早く帰ってきた。

9月2日(日)
ひさしぶりの自宅での週末、ボンヤリ過ごす。イラストの原画を描いて指示をしなくてはいけないのだが、右手がきかず、絵が描けない。幼稚園児のようなイタズラ書きをFAXしてよろしく頼んだ。

9月3日(月)
去年は、北海道までWRC見物などに行ってたのだなあとしみじみ。確か去年はもうシーズンがほとんど終わったような力の脱け方だったが、今年はなぜにまだこんな緊張のど真ん中にいるかな?腕までマヒさせながら。

9月4日(火)
少しずつ良くなっているのはわかるが、。右手がまともに動かないと気力がなくなる。大学時代の同級生だった女性が急死との知らせ。ミニスカートのよく似合うすらりとした娘で、在学中だかなんだかに、さっさと結婚したりしたんではなかったか?

今、自分が従事している仕事のことなどについてぼやぼや考える。決してさきのある業界ではないけれども、規模が小さいだけに何かできるのではないかと思ったりもする。今、比較的力の入る「100選」といういわば国内レース界の歴史記録書も、まずできることをやろうという使命感を見出しているからにほかならない。

そういえば近年、いくつかの過去の事実を発掘する取材(わたしの取材も含む)で、黒澤元治氏が「R383と同時にR384の開発も進んでいた」と明言されたので、そのような風向きになっているが、これは違う。黒澤氏が、他の事については驚くべき記憶力を発揮する方なので、わたしもそれを聞いたとき驚いたが、確認できなかったし初めての話だったから、わたし自身は活字にしなかった。そして今回桜井真一郎氏に改めて食い下がって確認した。氏によれば「R384は、そのうち作るつもりではあったが、ボンヤリしたイメージをもっていただけのことで、実際に開発に着手したのはR383まで」と明言なさった。

黒澤説から、R383が6リッターV12搭載の日本国内向けモデルであり、それにターボチャージャーをつけたもの、場合によっては7リッターにまで拡大したうえでターボ過給したモデルがCAN−AM用R384だったということになりかかっているが、桜井氏はどちらもR383であったと明言した。ちなみに昨年レストアされた車体は、2種類存在した「R383」のボディのうち、インダクションボックスが低いものだが、これはCAN−AMのインダクションボックス規定に合わせたもので、要するに現在走っているのはCAN−AM用R383だということになる。

9月5日(水)
夏前、逗子海岸に産み落とされて注目されていた海亀の卵が、この早朝にふ化して15匹だかなんだかの子亀が海に帰っていったそうな。嬉しいことだ。逗子は海亀の来るまちになった。そのうちもっと増えたら、おっちょこちょいなヤツを手なづけて…

朝一番で逗子病院へ生き、結果を聞く。中性脂肪以外は問題なし。いや、尿酸値が高く薬をもらって帰ってくる。

午後からクルマで等々力のTOMSへ。取材。順調に話を聞き、帰宅。

9月6日(木)
台風がくるんだそうで、テラスの植木鉢を室内に避難。あとはだらだら。インターネットで宿泊状況をチェック、泊まりたかったホテルが今日になって急に1室空いたので早速確保。これまでおさえていた近くのホテルの予約をリリース。

9月7日(金)
悪夢と肩の痛みで寝たんだか寝ないんだかわからないうちに起き、家を出る。外は案外、台風っぽい。あちこち高速が止まっているので、間をぬってツインリンク茂木へ。早く着き過ぎたので朝、ガストでハンバーグ朝食。なぜかお腹が空いていた。コンビニで、レーシングカートと4輪レースのJAFライセンス更新手続。今年からこんなことができるようになった。

台風のため午前中の走行スケジュールがキャンセルになったため、逆にインタビュー仕事は午前中であっけなく終わってしまったのでさっさとホテルへ。普段なら宿題原稿を書きながら周囲の様子を探っていられるのだが、今回は何もないし、そもそも指が動かないので仕事にもならない。夕食は水戸駅前の札幌ラーメンを、怪しい手つきで。お酒を飲んで早寝。

9月8日(土)
5時に起き、千波湖を10km弱ランニング。
それからサーキットへ行き、だらだら仕事して夕方は明るいうちにホテルへ帰り、楽しみにしていたガンチョへ。今回はひとり。
前回食べられなかったハモンイベリコ。マッシュルームのオイル煮みたいなやつ。スペイン風ジャーマンポテト。シェリーいろいろ5杯で9100円。明日は走り込むつもりなので早寝。

9月9日(日)
できたら4周に挑戦しようと午前4時半に起きた。5時から走り始めたらもう結構朝日が射していて走りにくい。空気も湿っているので、3周にしてせめて早めに仕事の現場へ出かけようと方針転換。で、10km弱走った。

現場では約束の取材をして、レース観戦。合間にあれこれ仕事回りの情報収集と調整、そして某クライアントと水面下工作。よい方向へ働けばよいのだが。早速報告をメールで送信。

S-GTは、それなりに見応えのあるレース。これならまだまだお客様を喜ばすことができるはず、と思うのだが。残り5周で場内脱出。すでに場内で渋滞が始まっており、行きたくもないメインゲートへ誘導されてしまったので、ナビを頼りに笠間へ逃げる。案外すいていて、家で夕食。

9月10日(月)
滞っていた事務仕事。
TVではなぜかモンゴルに逃げた相撲取りの話題ばかり。たかが相撲取りだろうに、どうでもいい話題だ。そっとしといてやれって。塀の外から中をのぞき込んで興奮気味のレポートするヒマがあるなら、もうちょっと気の利いた話題を探してください。

疲れていたけれどランニング。

9月11日(火)
あれ、そろそろ薬が切れるなと思って心療内科の診察券を見たら約束から4日も過ぎていた。「ありゃまあとあやまりの電話を入れたら「え?大串さんの予約は、こちらでは今日の11時になっていますよ」と。そりゃラッキー。すぐにでかけて診察を受け、薬を3週間分処方してもらってきた。

というのもわたしは富士スピードウェイでF1日本グランプリが開催される週、これまで20年続けた「日本グランプリ取材」を中断して夏休みを取ることにしたのだ。当然、わたしは日本グランプリが開催されている富士スピードウェイには行かない。みんな忙しいときだからどさくさ紛れに休みも取りやすいってものだ。

9月12日(水)
「辞めま〜す」と我がニッポン国の総理大臣がニッポン国を放り出した。ポカ〜ン。参院惨敗を受けてまだ続けると言うのでポカ〜ンとしていたから、ポカポカ〜ンだ。

気持ちがだらだらするのは、心療内科で処方されている薬のせいだなあ、きっと。かってにやめるわけにもいかないしなあ。

9月13日(木)
筑波で掘雄登吉氏取材。全く何の予習もできなかったので、早めに家を出て筑波のファミレスに入り、朝食を食べつつ資料に目を通す。

1時半から取材。堀氏とは久しぶり。心配した通り話があっちへ行きこっちへ行き、苦労したがなんとかまとめた。あのアローS2の残骸が倉庫に残っているというので、無理を言ってみせてもらった。たしかにフレームとカウリングはホコリをかぶりさび付いた状態ではあったが存在した。感激。

そこから東北道を目指し、仙台へ。筑波から仙台ははこんなに遠かったか、と思うほど遠かった。8時にホテルに入り、そばの居酒屋へ。岩牡蠣。生牛タン(切ってから1回も冷凍をしていないもので、他のタンとはちょっと違うよ!というフレコミ)、野菜天ぷらなど、なかなかこだわりのあるよい店だった。おかげで飲み過ぎた。

9月14日(金)
朝、仙台駅でM氏をピックアップ、スポーツランドSUGOへ。いつもの仕事。書かなくてはいけない報告書とか企画書を片付けたかったのだが、わがハネムーンシンドロームはまだ治らず、指がまともに動かないものだから仕事が全然進まない。全治3週間から半年というのはやっぱり本当か???プレスルームではずいぶんいろんな方に心配の声をかけていただいた。

夜は、M氏I氏と一番町利休でまた牛タン。ついでに頼んだ金華サバの〆サバが死ぬほどおいしかった。牛タンもおいしかったのでカレー定食まで頼んで、食べ過ぎた。9時半には部屋へ戻っていたが、そのままベッドで気絶。死ぬほど眠かった。

9月15日(土)
さすがに早起きしてランニングする余裕はなく、そのまま現場へ。FCJはコースで眺める。走りたくなる。やっぱりレースは観るものではなくてやるもんなんだなあ。順調にレギュラー仕事をこなし、ホテル帰還。I 氏と待ち合わせて途中の和食レストランへ。RON編集部からのお誘いも入ったが、結局合流せず。ミンククジラの刺身、干物などとてもおいしゅうございました。