8月後半 逗子通信




8月16日(木)
朝10時前の電車で上京
電車を乗り継いで名古屋、白子、タクシーでウエストレーシングカーズ本社へ。撮影立ち会いと追加取材のため。で、ついでの取材対象だったこんなクルマのコックピットに座らせてもらう。本人はもう脳内走行中。


見ればわかる名車中の名車。次号レーシングオンにて。


調子に乗ってこんなものにも座ってご満悦。

取材の間中、ビバーチェ7があるのが気になっていたので、帰り際、神谷社長にお願いして座らせてもらった、おもしろそうだなあ、これ。「今度一緒に何かやりましょうよ」という社長のセリフ、忘れませんよ、わたし。4AG積んで鈴鹿を2分22秒だとか。スポンサー募集開始。

取材後はカメラマンのクルマで鈴鹿コンフォートホテルへおくってもらう。仕事しようかと思ったけど、中途半端な時刻で何もやる気せず、早めに駅前でおうどん食べて、寝てしまった。

8月17日(金)
今晩から津のホテルへ移るはずだったがチェックアウトの段階で確認すると今晩だけは同じホテルに空きが出たというので、チェックインし直し。

午前中にインタビューの約束。その他の時間は、宿題原稿をプレスルーム一所懸命書く。猛暑なので下手に外を歩き回らない方が仕事の効率は上がるけれども、現場を見て歩けないのはいかがなものか。だが今回は間に合うかどうかという原稿を抱え込んでいるので仕方がない。プレスルームで調べると、レーシングオン編集部が泊まる亀山のホテルに空き部屋ができたようなので、明晩の予約。結局、津にはいかないことになった。

夕方は遊園地の方へ出て、バスに乗って白子へ帰る。荷物を持ったまま、気になっていた居酒屋へ。ざいごの干物、くせがあって焼酎に合いました。その他いろいろおいしゅうございました。

8月18日(土)
朝から鈴鹿サーキットへタクシーで入り、宿題原稿。帰りは編集部のクルマで楽ちん。みんなで夕食&ビール。

8月19日(日)
今日も、各メーカーの現場トップと2009年度について取材。実態がなかなかみえないのでいらつくがしかたがない。その間、宿題原稿をしつつ、今回は別企画でブレーキメーカー技術者の取材を連発、頭がこんがらがる。

レースは終盤になっておもしろくなったが、こちらも早く帰って原稿を書かねばならず、あるところで見切ってサーキット脱出。そこで雨が降って順位が変わったようだ。残念。その代わり早く帰れた。

といってもらくらいで新幹線が遅れており、1時間以上待ちそうなので、目の前にいた列車のグリーン車に飛び乗って帰ってきた。家で夕食。

8月20日(月)
朝から原稿書き。間に合わない。

8月21日(火)
原稿書き。間に合わない。

8月22日(水)
原稿書き。間に合わないが、心療内科には行ってくる。治療継続。

8月23日(木)
原稿書き。

8月24日(金)
早起きして荷造り、家を飛び出す。御殿場のファミリーレストランで8時前から小一時間原稿書き、9時にパートナーのM氏をピックアップ。富士スピードウェイについたら関係各所に挨拶の後、宿題原稿の仕上げ。

午後からようやく本来の現場仕事。ところがその途中で思わず力尽きて腕枕して居眠り。起きてみると、どうも右腕の様子がおかしい。ただの痺れではなくて、「麻痺」している。首を傾げつつ仕事を終え、沼津のホテルへ、右手はステアリングを握る握力はあるものの、細かい角度がつけられない状況。

M氏とホテルそばの新しい創作料理屋へ。まだ客あしらいが混乱しているが、まずまずおいしかった。ただし、わたしは箸がまったく使えず、スプーンで食べた。麻痺がひどくなってきたようだ。

8月25日(土)
一晩眠れば直るだろうと思っていたら相変わらず麻痺が続く。気をつけて富士まで行き、さすがにサーキットの医務室へ行って相談する。聞けば、腕まくらをやりすぎて末梢神経を壊して起きる麻痺は結構頻発するそうで、ハネムーン麻痺とか、サタデーナイトシンドロームとか言うんだよと教わった。つまり、少しでも身体を動かして神経を助けてやればいいのに、花嫁の頭が腕に乗っかっていたり泥酔して意識がない場合などに、末梢神経を壊すまで同じ格好をして麻痺を起こしてしまうんだそうだ。

時間さえかければ直るとは言われるが3週間かな〜半年かな〜などと怖ろしいことを言う。
わずかに動く指先を使ってせめて少しでも仕事がしやすいようにと、FRPでギプスを作って手首に角度をつけてくれた。医務室の皆さん、ありがとう。

宿はまた沼津。I氏とR氏編集長F氏、編集部員F氏といつもの「一輪」へ。ごちそうさまでした。

8月26日(日)
腕の麻痺、悪化。かろうじて現場へ。各メーカーの首脳と取材、各ブレーキメーカーの技術担当者と取材していたらレースが始まる。

例によって、誰がどうやって勝つかにはそれほどの興味はない。レースが終わるのを見届け、記者会見はパスして帰路に。御殿場駅にM氏を落とし、わたしは東名の渋滞へ突入。さすがにこの右腕では足柄越えは不可能だ。

で、発表された2009年型フォーミュラ・ニッポンについては…次号へ続く。

8月27日(月)
右腕の麻痺がひかず、どうにもならない。仕事はつかの間の一段落なので、動く指を使って各種メールのやりとりなど仕事しつつ病院を探す。東逗子駅前に以前から目をつけていたペインクリニックがあったので午後開業と同時に飛び込む。

非常に好ましい診察と受け入れ体制。わたしは診察申込書すら記入できない状態。で、どうやら圧迫性末梢神経障害としての橈骨神経麻痺であると診断。典型的な「ape hand」症状がでているという。つまり、手首から先に力が入らず、だらりと前へ垂れ下がったまま動かない状況である。まあかろうじて人差し指と親指でものを挟む力だけは入るんだが。治りやすい症例だが早くて数週間、遅くて半年と、富士の医務室と同じ診断。ついでに、このところひどい左の50肩も診て貰い、全部で5枚ほどレントゲン。「肩の凝りすぎです」とひとこと。肩こりの酷い人は自分で気づかないものだけど、あんたは典型だと。マッサージ類の治療を勧められる。

で、寒冷前線が頭上を通過中で、頭の具合ははなはだしく悪い。いろんな方に御礼状だとかお見舞い状だとかお願いだとか脅迫状だとか書かなくてはいけないのに、そのまま。で、発表された2009年型フォーミュラ・ニッポンについては…次号へ続く。

8月28日(火)
麻痺はいくらか軽減人差し指がかろうじてもちあげられるようになった。それよりも秋雨前線が頭上を通過中で、頭の具合が悪い。何の意欲もなし。だらだら。

でまあ、発表されたスイフト製の2009年型フォーミュラ・ニッポン車両だが、同じ規格で他メーカーと戦ったらおそらく空力面で大ハンディを負って苦戦するだろうが、ワンメイクなんだからそう思って受け取らないといけない。そう思って眺めれば、オーバル状につなげられた上下ウイング(?)は、スポーツカーノーズ的な意味で前車のリアタイヤとの直接接触を避ける有効な安全用デバイスとして機能するはずで、その点は非常に好感を持った。その他は、まあ、個性的であることが目的なのだから、これでいいんだろうなあという感じ。ただオーバーテイクの問題は今後の課題だろうなあ。モノコックも、新しいエンジンのサイズに合わせてきちんと作ってくれるならば、今のFN06よりは安全だろう。

ああ、相変わらず右手がほとんど自由にならないのでこれだけ書くのも難儀だ。原稿があまり溜まっていなくて良かった。

8月29日(水)
右手の麻痺はいくらかよくなり、ようやく人差し指が伸びるようになってきた。これなら2週間くらいで治るだろう。しかし重症だったな。今回は非常に良い経験をした。おそらくちょっとした末梢神経が壊れただけなのに右手が使い物にならなくなり、右手が使い物にならないだけで日常生活のどれだけがうまく進まなくなるか、他者からどれだけの手助けが必要になるかということを身を以て思い知った。つうか、思い知りつつある。

午後、女房の運転でDUO藤沢へ。もう海岸通りは夏の景色ではなくなりつつあるなあ。DUOでは先日の接触事故の修理見積もりと、定期点検、そして新車への買い換えの相談。で、修理見積書だけもらって帰ってくる。

8月30日(木)
麻痺は少しだけ改善された。ナゼ?と思うようなタイミングで、NISMOがメディア懇親会を開くというので、逗子駅から品川で折り返して大森へ出かけた。外へ出かけるので、室内では外していたギプスを一応付け直していく。

当初は午後3時からと勘違いしていたので、わたしは夜遊びの一つでもして帰るつもりだったのだが(ウイスキーグラスを左手で煽ると、ふだんの1.5倍悪酔いするそうだが)よくよく調べると11時からだった。

早めに出て、大森駅の本屋で時間を潰す。やはり本屋は楽しいなあ。勢いをゆるすとどんだけ本を買って帰るかわからない雰囲気なのでブレーキを必死にかけて2冊ばかり。

大森駅につながったホテルで催された懇親会では主に、車両開発に関わる解説。興味深い図表なども公開される。軽食、懇談後に解散。わたしは結局直帰。頭上の秋雨前線がどうもわたしの脳味噌にいたずらをしている。

8月31日(金)
腕の麻痺は、またわずかによくなる。だがまだ鉛筆で自分の名前を書くのはとても不可能な状態。その他身体の具合は良いのだが頭の具合は相変わらず悪い。とかなんとかいっているうちに夏はおしまいだ。(と、日記には書いておこう)