1月後半 逗子通信



1月16日(火)
朝から富士スピードウェイへ。トヨタ系F3チームの占有走行の様子を眺めに行く。提案しつつある企画の基礎固め。覚悟して行ったけれども、富士は思いの外暖かく、拍子抜け。

チームへ顔を出すと、アシスタントエンジニアとしてこのWEBでも決して無縁ではない予想外の人物がいてびっくりした。あれまあ、そういう関係だったのね、と。しかもドライビングアドバイザーにも予想外の人物がいてびっくり。これは企画が実現したら非常におもしろいものになるのだがなあ。その代わり企画の方向性を少し修正して再提案の必要があるな。

富士のパドックでは昨年来からの工事が継続中。何の建物なのかと思ったら、どうやらF1でチームスイートになるようだ。1階と2階で別々のチームが使うらしく、この建物が6つだか7つだか作られている。金に糸目はつけないとはこのことだなあ。それくらいの規模だ。


工事中のパドック

走行終了まで立ち会って退散。とある雑誌で評判だった、御殿場二の岡ハムのベーコンを探して買って帰ろうかと思ったけれども面倒になって直帰。

1月17日(水)
またまた夜中に目が醒めた。ちょうどいいのでベッドの中でノートパソコンを使って書き残していた原稿を書き上げた。その後ケーブルTVで「アビエイター」など眺めた。朝一番で逗子病院へ行き、先月の血液検査結果を聞く。若干中性脂肪値が上がったが、よくよく考えてみると前回採血したのは前夜、山ほど牡蠣を食べた朝。そりゃ上がるわなあ、と。その他はすべて正常値。実に健康な肝臓である。ただし昨年超音波エコー検査を行ってから1年が経過したので、来月初めにもエコーを受けることに。

帰宅後お風呂に入って早めのお昼を食べ、逗子駅から上京。都内某所で某社某氏と落ち合い、その後某社担当者と今季の新しい仕事に関する会議。

帰宅後、ランニングしようかと思っていたが、急激に気温が下がってきたので怖じ気づき、断念。すき焼きを食べて寝る。自分を追い込まないのがオヤジランニングの秘訣。

1月18日(木)
バニラヨーグルトのTVCFで流れる歌が耳についてしかたがない。肋骨の裏あたりがむずがゆくなる感じ。かなり高度な心理学的宣伝手法ではないか。そもそも音痴では歌えない音痴な歌だ。似たようなのでは「マスカラ命の女です」という倉橋ヨエコによるビオレパーフェクトオイルの歌もある。あれも下手くそには絶対に歌えない歌で、1日中頭の中をぐるぐるする。思うつぼだ。

朝、横浜は根岸で開業しているひなたの主治医、アン先生のもとへ。1年半ぶりのワクチン注射。まずはお尻の穴で体温測定。体温計がささっている間に微妙な表情の写真を撮ろうとカメラを携えていった(笑)。手の空いたスタッフの手まで借り、押さえ込んで撮影したけれども失敗。逃げる姿しか撮れなかった。ひなたにとってはいい迷惑。


微妙なところへ体温計を差し込まれ情けない声で「ハニャ〜ン」と逃げるひなた

体重4.7kg、少々デブが入ってきたようだが、健康。次いでワクチン注射とステロイド注射。昨年までのワクチンは副作用が強く、発熱してかわいそうな状態になるので副作用がないよう他のワクチンにしてもらった。去年までは、帰宅する間に発熱が始まり、グニャーとして、つらそうだった。

あんなにつらい思いをさせるのだったら今年はもうワクチンはいいか、と思って主治医に相談したのだが、どうも家猫だからといって厄介な病気から逃げられるわけではなくて、飼い主がいろんなものを家の中に運び込んで猫に感染させるケースも珍しくないそうだ。それならばできるだけ楽なやつを一発。


今度は注射。あだだだだ…。

帰り際、ひなたの後継猫を紹介してもらう。ミモザちゃん。交通事故で瀕死の重傷を負い、左後ろ足を切断したというかわいそうな子猫で、なんとか幸福にしてやりたいと思うが、対面させたらひなたはシャー!とか威嚇するし。相性のこともあるので、よくよく検討してみることに。そういえば、義兄宅でイギリス、ドイツ、日本と暮らしたシェパードのナナも、途中で足を失ったのだった。縁かなあ。帰宅後は事務仕事。明日の取材の予習。

1月19日(金)
例によってまた夜中に目が醒め、ベッドの中でTVを見たりパソコンをいじったり。朝方眠って、朝10時、逗子駅前スターバックスコーヒーで某氏と合い、仕事の打ち合わせ。昨年春に動きかかった話が蘇ったようだ。

一旦家に帰ってお昼を食べ、再びクルマに乗ってニスモへ取材。少々予定よりも長引いた。帰宅後、仕事。夜は事務仕事及びひなた屋マーク(Working、Running、Drinkingとも)の作者であるデザイナーA氏に連絡を取り、仕事の打診。氏にご用命の向きはわたしにご連絡ください。(スタイリー風。まあ、正しくはデンワシテクダサイ、だが)

ひなたは副作用も軽く、元気でいる。

1月20日(土)
1日仕事。最近の愛聴歌は、元マルハペットフード、現アイシアのコマーシャルソング、「アイシアの歌」。なかなかよく作り込まれた歌だが、これもまた音痴には歌えない歌なのが困る。TVCFでは子供たちが音程外しながら歌っているのだが、いざ自分で口ずさんでみると歌にならない。興味のある方は「アイシアの歌」で検索ください。

女房は義父の誕生日祝いに実家へ。わたしは仕事があって同行できず。夜、電話で話した。

1月21日(日)
朝6時に起き、サーキット秋が瀬へ。レーシングカートの2時間耐久レース出走のため。練習走行開始の時間まで時間があったので、近くのデニーズで朝ご飯を食べた。

8時半にサーキットで皆様に合流。SSストック、Sストック合計で22台だかの出走。わたしは当初、塚越広大、中山友貴と組んで優勝候補の一角チームに加えられる。いわゆるカートコースでの走行はおととし夏以来か。練習走行で走り始めると、感覚がつかめず苦労する。とりあえず足慣らしをして交代したら、我がチームのカートにブレーキローターが割れるというトラブルが発生、大騒動に。


必死に修復してくれる若い者二人。わたしは見守るばかり。

カートのフレームがイントレピッドという特殊なものだったため、スペアパーツが手に入らず、手配できたパーツでなんとか走れるよう応急処置をすることに。ものがブレーキだけに下手なこともできず、結局若い者二人におまかせ。スタートには間に合わず40分遅れでようやくコースイン。

そんなこともあって、わたしは急遽他チームの助っ人になってクラッチつきのカートを40分ほど走らせた。急にカートが変わったので当初は戸惑ったが、滑り気味の遠心クラッチで30秒1ならまずまずか。レースは井出有治チームが「誕生日」ウイン。井出も元気そうで良かった。

結構肉体的なダメージを受けた。あれだけランニングしていてもカートで使う筋肉はまったく別物。5時にサーキットを出て女房を世田谷の実家でピックアップ、帰宅。

1月22日(月)
朝っぱらから筋肉痛。一所懸命原稿書き。比較的よい調子で進み、夕方には納められた。余裕があったらもてぎへ前泊で入りたかったのだが、やめておく。とある仕事の見積もりを提出、基本的にそれで内定、仕事が進み始める。

1月23日(火)
朝6時に起きてツインリンクもてぎへ。途中、パートナーのM氏をひろうが、朝のラッシュに若干ひっかかり予定より遅れる。

もっとももてぎのF3占有走行開始が10時半と遅く、間に合う。あれこれ打ち合わせ。サーキットホテルでお昼に担々麺を食べ、インターバルにプレゼンテーション用取材。午後の走行開始を見送って帰路に。

コレクションホールを見たことがないというM氏とコレクションホールに寄る。その後の帰路は道もすいていて順調。いろんな仕事が動き出しているが、どれもこれもなかなか正式決定に至らないのでアイデアばかりはあっても予定の立てようがない。

1月24日(水)
コツコツ1日仕事。今年の仕事の企画書をいくつか作成。なかなか1日丸ごとの休みはとれないものだ。

1月25日(木)
朝起きて仕事の準備をし、10時すぎの電車で上京。市ヶ谷からぽてぽて歩いた。九段南には、わたしがレース業界で最初の一歩を踏み出すきっかけになったレーシングニュース社があった。ここでは本当にあれこれ劇的な場面に多々遭遇した。懐かしくて昔の道を歩いてみたけれど、さすがに20年ぶりでは細かい景色が変わっていて、「ここだったよなあ」と、あやふやな確認しかできなかった。

生暖かく懐かしさに包まれた後、約束の某社事務所に向かう。怖ろしく冷たい風が怖ろしい勢いで吹く。今年初めて冬らしい天候ではないか。それでも約束の時刻には早すぎたので、靖国神社などに踏み込む。

実はわたしはこれまで靖国神社の参拝をしたことはない。たぶんレーシングニュース時代に、桜の開花を確かめに行った一度だけではないか。わたし自身は心情左翼ではあるけれども、国やそこに住む家族のために戦死していった庶民を悼み敬う気持ちは十分にある。だが問題は先の大戦で従軍し米軍機から機銃掃射を浴び、爆撃を受けながら異国の地面を這い蹲って逃げまどった父親が、「だまされた」と常々言っていたことだ。

父親は最後の最後まで日本は戦争に勝つと思いこんで命がけで一兵卒として戦った。その過程で、ゆくゆく戦勝記念にしようと、戦場で拾った様々な弾丸の薬莢をコレクションしていたのだそうだ。だが突然敗戦を告げられた。信じていたものがすべてひっくりかえって、その日、コレクションの薬莢を野原に投げ捨てたと聞いた。最後まで父親をだましていたのは誰なのか。

それを思うと、人間として最も有意義な時間を戦場で過ごし、すべてをなくして着の身着のままで内地へ引き揚げてきた(父親は台湾生まれの台湾育ちだった)ものの、苦労に値するだけのフォローを受けることができなかった父親のためにも、愛国という形式ばかりを押しつけようとする人々を受け入れるわけにはいかない。というわけで、神門はくぐらずに、外から戦死した庶民の冥福を祈った。戦後の混乱期をうまく利用した要領の良い方々に対するひがみや妬みがないとはいわない。

というわけで某社事務所へ出向き、打ち合わせ。お昼に天ぷら定食を食べ、その後喫茶店(いまどき珍しいクラシックな「喫茶店」だった。いいなあ)であれこれ打ち合わせの続き&雑談。この打ち合わせ間も外から電話が入り、提案中の企画が少しずつ進む。出っ張ったり凹んだりしながらではあるが。

再び市ヶ谷まで歩いた。次の打ち合わせは午後5時で中途半端な時間が空いた。で、迷った末に秋葉原へ出た。考えてみると久しぶりの秋葉原で、外へ出て駅前広場の変貌ぶりに仰天した。(って、いつ以来の話だよ>オレ)

寒風吹きすさぶ中、メイド姿のお嬢さんが「秋葉原無料案内所」と看板を掲げて立っていた。あれは何だ? 秋葉原はこちらの方面でもますますものすごい街になりつつあるようだなあ。で、わたしはと言えば、特に欲しいものもなかった。安売りソフトとプリンタのインクを購入、新製品をあれこれチェックしただけ。

その後新橋へ出て待ち合わせ。SLの前に立っていたらTBSと名乗るTVクルーがインタビューしたいと声をかけてくる。女性インタビュアがかわいらしかったし同業と言えば同業で気持ちもわかったので受ける気にはなったが「ところでナニ?」と聞くと「野球のことについて」と言う。今の野球のことは全然わからないので取材の無駄になるなと思い、結局は断った。取材を受けてもらったはいいけれど、話してくれたことが結局使えないときの気持ちもわかるからなあ。

前々日に初めて電話をもらった某制作会社の担当者と打ち合わせ。コンペに向けアイデア出し。そのまま帰宅、牛しゃぶを食べた。

1月26日(金)
朝早く起きて、昨日請け負った仕事ににとりかかる。原稿書き&企画の見積もり。

あれこれ考えて、電話取材の予定を変更。大阪まで出向くことを考えるが先方の都合がつかず断念。

1月27日(土)
提案用の原稿作り。グラフィックソフトを使ってサンプル誌面を作ってみる。新しい提案方法にふだんやらない仕事で結構楽しむ。

お昼前、久しぶりにM氏から電話。サイクリングで近くまで来ているので寄るとのこと。お茶を飲んで雑談。近々飲もうと約束。

午後、大阪に電話をかけ電話取材。早速原稿書きをして夜には書き上げる。

1月28日(日)
午前中までに仕事が一段落したので、ランニングなどすることにした。ちょうど大阪国際女子マラソンが始まったけれども、どんなにハイレベルなプロスポーツを見物するより自分でするアマスポーツの方が楽しいのはマラソンも自動車レースも一緒。市内在住のA氏に書類を届けようと、往復13kn弱の挑戦。

久しぶりのランニングだったが案外楽に走破。あまりにも楽だったので首をひねっていたら夜になって徐々に足腰のダメージが浮上してくる。特に右膝にいままで感じたことのない痛みをおぼえ、消炎剤を塗り湿布してサポーターで支え寝る。

1月29日(月)
膝が痛む。年はとりたくないもんだ。午前中仕事。午後逗子駅から上京、ホテルニューオータニで開かれたブリヂストンの活動発表会へ。ここで何人かの人に会って、あれこれ頼み事をしたり書類を託したりするつもりだった。久しぶりにF1関連の知人に会う。

閉会後、会場で落ち合ったパートナーのM氏と赤坂見附へ。喫茶店でエスプレッソダブルなど飲みつつ制作物について打ち合わせ。

その後新橋へ移動、O氏ご接待のため予定のジンギスカン料理店へ行くとなんと昨年末に店じまいしていた。どうりで予約の電話がつながらないわけだ。楽しみにしていたのにがっかり……しているわけにもいかず、慌てて駅近くの居酒屋に飛び込み席を確保。O氏を待って宴会。その後A氏も合流、あれやこれや話す。

新橋で解散、わたしはA氏と横須賀線で逗子へ。駅前ロータリーにはA氏宅及び我が家からのお迎え車が並んでいた。

M氏にバレンタインチョコをもらった。直後に、ホテルのクローク脇に置き忘れるという大ポカをやらかして大変なことになるところだった。せっかくのチョコレートは、まずホテルニューオータニ扱いの遺失物という立場を経てわたしの手に渡った。

チョコレートは、非常に凝った作りのもので、おもしろい。インターネットで検索してみたら、もらったメカヲタク男どもはみんな同じようなことを言って喜んでいるようだ。「食べられないよぉ!」 同意。世の中にはおもしろいことを考える人がいるもんだ。興味がある方は http://www.frantz.jp/ まで。


他にも精巧なペンチなどあったがA氏、O氏と分けた。

1月30日(火)
午前中、仕事。夕方、デザイナーと打ち合わせのため逗子から上京。先方は元々女房の知り合いだったため、女房も同行。せっかく上京するのだからと吉祥寺で買い物。ひなたのおもちゃだったレーザーポインタが壊れたため新しいのを探したけれども、案外見当たらないものだ。

なぜ吉祥寺だったかというと、デザイナーの家の近くで、しかもわたしがなぜか八丈島料理が食べたかったから。吉祥寺ではお気に入りの「浜やん」がお目当て。で、結局レーザーポインタは見つからないまま吉祥寺の中央口で待ち合わせ。人が行ったり来たりする中央口に突っ立っていると、20歳くらいのわたしがどこからか現れそうで、妙にどきどきする。吉祥寺は心の故郷ではある。

6時に浜やんへ入店、打ち合わせしつつ乾杯。つうか乾杯しつつ打ち合わせ。とびうおのくさや、ゴーヤチャンプルー、明日葉のてんぷら、島寿司と、食べたいものを食べて大満足。これで仕事もうまく進みますように。それにしてもくさやは、しょっちゅう食べる物ではないけれどもその旨味は突き抜けているなあ。これを、昔の人はよくもまあ思いついて作って食べたもんだ。八丈島焼酎中ビン1本。

1月31日(水)
淡々と仕事。頭の具合は去年と比べものにならないほどに良い。鬱症状がなくなったからなのか、メガネの度が合ったからなのかよくわからないが、よろこばしいことだ。Amazonで本を注文。ついでに一太郎の新しいバージョンを予約注文。

デスク周囲を整理したいけれどもすでに物理的飽和状態にあってどうしようもない。何か抜本的な対策が必要である。