|
1月1日(月)
あまりにも早くベッドに入ったので年が明ける前に目が醒め、しかたなくTVを眺めていたら、年が明け、港の船の汽笛が聞こえた。今年は風向きのせいか、いつもより近くに聞こえた。
しようもないお笑い番組を観ているうちに再び眠り、朝まで寝た。お節料理で新年の朝餉。去年は鬱症状で頭が重かったが今年は快調で前向きな気分。ただ、とにかくTVはおもしろくない。昼寝して夕方起き、ヒストリーチャンネルの唐招提寺金堂平成の大修理スペシャルなど眺めつつ夕食食べてまた寝る。文字通りの寝正月。
1月2日(火)
早起きして原稿書き。3日までの原稿があるので今日中に納めておかねば危ない。箱根駅伝を眺めながら比較的順調に進み、お昼までに納品。
午後、女房の作ったお節料理を持って埼玉の母親の家へ。道はすいていた。夕方到着、ゆっくりお正月。一杯飲んで寝る。
1月3日(水)
朝食後、家を出て父親の墓参りをしてから世田谷の女房実家へお年賀。道はすいていた。途中、成城の東宝日曜大工センターで買い物。
女房実家には義弟が結婚予定の女性を連れてきていた。わたしはハンドルを女房に預け、ビールにお酒を飲む。夕方、助手席で居眠りしながら帰宅。飲み直して寝る。
1月4日(木)
ゆっくり目覚め、お昼までデスクで雑事。母親が愛聴している瀬戸内寂聴のテープがカセットプレイヤーの中で絡まって切れてしまったので、カセットを分解してテープを繋ぐ修理。
お昼すぎ逗子駅から上京、赤坂V社へ出向き、打ち合わせ。打ち合わせ後新年会の予定だったので、合間に秋葉原にでも行こうかと思っていたが、打ち合わせと雑談が長引き、断念。
5時から新橋へ出向き、パートナーM氏上京を待って、駅前の店に入る。時間も時間だし4日ということもあって、あまり店の選択肢はなかった。レストランかと思ったらシェリーバーで、あらら、と思ったが夕方でもありお腹もそれほどすいていなかったから、まあよろしい。しかもハモンイベリコとシェリーがやたらおいしかったし大満足。
7時半にはお開き、帰宅。家でおでんをつまみに飲み直し、寝た。いよいよ本格的に仕事を再開しなくちゃ。
1月5日(金)
朝から仕事。昨年は鬱症状でボロボロだったんだなあ。今年は比較的前向きで快調だ。今年はもっと勉強しよう。ここのこところ、仕事はしても勉強はあまりしてこなかった。次の段階に進むためには勉強しなくちゃな。
夕方、逗子駅から上京。品川駅で某社某氏と某社某氏と会う。待ち合わせの時間に、駅構内のショッピングビル(またまたエキュートなどという悪趣味な名前がついているわけだが)を眺めて回ったら、ギフトショップで猫の工芸展示即売をやっており、しばらくあれこれ眺めて、小さな香立てを買った。ほかにも気に入ったものがいくつかあったけれども、ベラボウに高かった。
インターシティの居酒屋で新年会兼相談会。品川の港南口は本当に変わって、もう見たことないような街になっている。(っていつの話だよ)一杯飲みながらあれこれ業界に関わる話をして、まあ、世の中はいろいろ動いているし動こうとしているんだなあとつくづく。こちらもいろいろ戦略を練らなくてはいけない。
みなさんは、インターシティの駐車場にクルマを置いて電車で帰宅。1泊させても1800円なんだそうだ。シメのラーメンなど食べて満腹状態で帰ってくる。
1月6日(土)
11時過ぎにクルマにあれこれ積み女房と埼玉の実家へ。姉夫婦と母親を囲んで新年会。途中で早く着いた姉から「ナンプラーを忘れたから買ってこい」との指令が入り、岩槻駅前で買い物をしてから実家へ。
いつものように、義兄の手料理で昼過ぎから宴会。このほど某大学に社会人入学した甥やら飼い犬一家も一緒で非常ににぎやかになり母親も喜んだだろう。
延々と10時すぎまで飲んで寝る。
1月7日(日)
朝食をとって姉夫婦が帰京した後、以前から気になっていた実家のトイレや洗面所の壁を修理。化粧板が剥がれて浮いていたのをクギで固定。まあ、もう35年以上経つ家だから仕方がない。
昼前に帰路へ。道はすいていて、すんなり逗子へ帰り着く。妙に腹が減り、遅いお昼をビールで。んで、昼寝。今日までお正月。
TVの旅番組を観ながら夕食をとり再び眠る。休みすぎかもなあと思うけれども、去年の日記を読み返して比較すると今年は随分前向きな気分でいられる。前向きならどんどん原稿を書き上げろ、という話ではあるが。
1月8日(月)
朝からひたすら仕事。お昼を食べて、気分転換にダイニングテーブルとセットの椅子の座面張り替え。ひなたが爪研ぎをしてボロボロになっていたのを直して気分が良くなった。
原稿を書き、気分転換に久しぶりのランニング。老眼が進んで目が合わないためか、すぐに疲れて集中が利かない。
夕食をはさんで深夜まで仕事。疲れた。
1月9日(火)
前夜、眠り付けず3時半頃まで本を読んだりTVを見たりして過ごす。睡眠不足だが、早く起きて仕事をしなければ間に合わない状況だ。
ひたすら原稿書き。ランニングをしたかったが、とてもそんな余裕はない。やはり集中が利かないので、ぶつ切りで原稿を書く。効率が悪いし、流れも良くない。ふだんの倍くらい時間がかかるがしかたがない。そのうちまた本調子になるだろう。
気分転換にあれこれニュースを読んでいたら、きく8号が微調整の結果、静止軌道に乗ったという知らせに出会った。打ち上げ以来、随分楽しませてもらったなあ。JAXAがこんなに情報発信をきちんとしているとは知らなかった。
各地の成人式では脳味噌の少し足りない方々がいつものように暴れたとか。暴れるバカもバカだが、いまだにこんな式典を開いている地方自治体もナニだ。失笑するばかり。しかしあの暴れる方々は何がしたいんだかよくわからない。思考停止状態のお上が催してくれる式典にわざわざ可愛らしく出席したうえで暴れてどうすんのって。
ちなみにわたしは人の集まるところが大嫌いなので、成人式には出席もしなかった。こんな式典にノコノコ出かけること自体、自立していない=大人になっていないことの証明ではないか? だとすれば、猿並みの小僧どもが暴れるのも仕方がないのか。
1月10日(水)
朝から仕事。今年はあちこち出歩こうと思っていたのに、相変わらずデスクに貼り付いて変わり映えのしない状態。電話がかかってきて、21日にレーシングカートのレースに出ることを決めた。
夕方、一段落したので気分転換にランニング。年末に倒れた影響がいまだに残っているようで、なかなか納得いくペースにならない。これじゃあ富士で惨敗するわけだよなあ。というよりもあれは健闘だったかな。
フィニッシュ直前、近所の子供たちが寄ってきて一緒に走り出す。「あけましておめでとーございます」などと声をかけられてどぎまぎする。公園の前で別れたが「がんばってー」などと激励を受け「また一緒に走ろうな」と答えたけれども、いつからわたしはこんな地域密着型オヤジになったんだか。
訪欧中の安部総理がエゲレスのブレア首相と会談したんだかなんだか。イラクに突撃したブレアですらフセインの処刑について難を示したというのに、我が国の首相は良いとも悪いとも態度を表明しなかったんだそうな。あ〜あ、これじゃあ誰にも(金さん含む)相手にされないよ。折からそんな原稿を納めたばかり。詳しくは日本の名レース100選「85年WEC−JAPAN」号。
1月11日(木)
怖い夢を見て夜中に起きる。怖いと言っても、20年前のわたしが、いまどんな仕事をしているかをこと細かに知り合いへ説明する夢。その内容は正確で、我ながら「そうだったよなあ、懐かしいなあ」とか思ってしまうのだが、その直後、あれから20年も経っているのかよ、あと20年経ったらオレ様70歳じゃないか、と夢の中でマジに釣られた次第。でも本当に怖い夢というのはこういう夢だ。
で、1日仕事して寝た。
1月12日(金)
午前中、仕事。午後、港南台へ女房共々メガネを作りに行く。老眼鏡も近眼強も合わなくなり、なんとかしたかった。なんか、毎年ここにメガネ作りに来ているなあというような場所だ。
で、検眼係員がかなり親身になってくれ長時間あれこれ試行錯誤。結果は「視力はかえって上がっている」という意外なもの。だから、今仕事用に使っているメガネは合わなくなって目を疲れさせている、と。
医者からは「白内障が始まってますねえ」と言われるが、それは以前からわかっていたこと。医者も「心配することはありません。放置しましょう」だと。年齢はとりたくないが、しかたないな。重病から立ち直った身としてはちょっとやそっとのことでは怖くはない。じたばたせずに受け入れられればそれで良い。
それよりも気に入ったメガネが作れたので嬉しい。半日時間を使って仕事の続きができなかったのは痛いが、よしとする。気持ちよく眠る。
1月13日(土)
朝10時から駅伝大会のミーティング。集合場所を間違え、気づいたときには15分遅れ。慌てて、やはり集合場所を間違えたU太(知り合いの編集者の息子)と一緒に走って正しい集合場所へ。これまで会ったことのない役員や選手がいて、自己紹介など。補欠ではあるが、一応ゼッケンとユニホームなど受け取る。んで、家に帰ってから着てみた。

こんな感じ。
帰宅後は仕事。万が一出走することも考慮して、かわいくビールを飲んで早寝。
1月14日(日)
とはいえ、気持ちはもう出走する気はまったくなく、早朝起きて集合場所へ向かう間も万が一走ることになったらどうしようと、そんなことばかり考えていた。それでも一応、急に走ることになっても大丈夫な装備だけは携えていたけれども、スタートフィニッシュ地点の逗子アリーナへ出向き、選手が全員そろったことを監督に聞いて胸をなでおろすわたしであった。
スタートを待つ間、チームメイトU太のお父さん、すなわち大昔パソコン雑誌で一緒に仕事をしていたフリー編集者のH氏を見つける。今や彼は選手の父兄兼地域の役員という立場である。わたしはスタートを見た後、近くのコースで折り返してくる選手を眺めてから第3及び第5中継点へ出向いて応援。お隣のKさん長男S君からU太への引き継ぎなど観戦。その後フィニッシュへ回って観戦を締めくくる。その間はジョギングして移動したので、結構な運動になった。我が沼間はAチームが2位、Bチームが8位と健闘。走れなかったけれど、非常におもしろかった。
表彰式後、沼間会館でお昼兼慰労会。わたしは何もしなかったわけだが、選手と並んで役員にあいさつし、お弁当を食べる。大人にはビールやらお酒やらが出てきて、断り切れず飲む。午後から仕事しようと思ってたのになあ…と思ったが地域の長老たちがいてはしかたがない。せいぜい新入りとして顔を売っておく。これまでまったく地域には関わらないできたからなあ。
若い選手そっちのけで長老たち中心の飲み会が始まる。こちらも、お昼ご飯だというのにさんざん飲んでいい調子になり、今日はもう使い物にならないかもしれないなあと思いつつ後片付けをしていると、逗子市体育協会の役員たるS氏が「一緒に帰りましょう」と声をかけてくれる。S氏は同じ区域にお住まいなので、連れだって帰ろうということかと思い、お供する。
と思ったら、S氏、まったく逆方向へ歩き始める。え?バス?え?タクシー?と首をひねっているうちにS氏、まっすぐ東逗子駅前の飲み屋へ。ええっ?この時間に開いてるわけないだろ?と思ったら案の定開いてない。でもいつもは開いているらしい。首をひねりつつS氏は次の店へ。ええっ?要するになにがなんでももう一杯飲もうって話なのねと、なんだか大昔学校や会社の先輩に夜の街を連れ歩かれたときのことなど思い出し、妙に新鮮な気分に。
行く先は、とある集合店舗2階のカラオケ居酒屋。日曜日、2時前にカラオケ居酒屋。開いてるわけないだろと思ったら、なんとまあここは開いていた。しかもなんとお客(オジサン1人、オバサン3人)が全開で演歌をうなっている。「ええええ?なんだ、この世界は」と仰天。お店のママというかババに「あらあ、Sさん、息子さん?」とかなんとか迎えられながら店へ踏み込むと、先客は次々と絶え間なく、これまで聞いたことのない演歌やらムード歌謡を歌い続ける。それにしてもカラオケ飲み屋で歌われる歌はなぜこうもカラオケでしか聞いたことのない不思議な歌が多いのだろう。
それはともかく、わたしの前にはウーロンハイと、なぜかこんにゃく味噌田楽にコロッケとウスターソースが。日曜日2時、窓のないカラオケ居酒屋。「抱いて、抱いてくださぁ〜い〜」と直立不動で朗々と歌い上げるオバサン、というよりバアサン。確かオレ様、朝は駅伝選手として家を出たはずだが、こりゃまたとんでもない魔窟に連れてこられちゃったぞ、と頭がくるくるする。
あれこれS氏から地域の話を聞くが、難聴が悪化した今のわたしの耳ではカラオケの騒音もあって話は半分も聞こえない。で、さんざん適当な相槌をうったあと、ようやくお開きかと思ったら1曲歌って帰るというのでお相伴。しかたないので月の法善寺横町など、久しぶりに。何やってんだオレ、と思いながら。
で、今度こそ帰れるかなと思ったら「もう一軒」と。最初に行った店のママにどうしてもわたしを紹介したいという。日曜日の午後4時、開いてるわけないだろと思ったら今度はなんとまあ開いていた。恐るべし逗子。中へ入ってみると、カウンターだけのミニ割烹。さっきも来たけど閉まっていたとS氏が訴えると「それじゃあマグロでも切りましょうね」とお刺身が出てくる。日曜日午後4時。さっきコロッケとこんにゃくを食べていたのに。ここでは静かになったので地域のお話も聞こえた。お店はなかなかよろしかった。また来よう、まともな時間に。「海栄」と言ったかな。
ここでもさんざん日本酒(S氏おすすめの多聞)を飲み、6時すぎお開き。女房に迎えに来て貰い、S氏を送り届けて帰宅。走りもしなかったのに、妙に疲れて早寝した。
1月15日(月)
早寝しすぎたか、夜中に目が醒めた。最近どうも睡眠がおかしいけれども、あまり気にはしない。TVを見たり本を読んだりする。
睡眠不足だったからというわけでもなく半日であがると思っていた原稿がなかなか仕上がらず1日かかった。おまけにようやくおさめた原稿に直しの依頼がきて夕食後も仕事。でも、これくらい反応があると、こちらの気持ちも引き締まってよろしい。
|
|